経塔(きょうとう)は、経文などを納めて供養する塔です。この石製の経塔は、文政8年(1825)に、田能村庄屋の並河氏の妻・音羽の発願によって建立されました。 . . . 本文を読む
桂香寺(けいこうじ)周辺の地名を「アンタコ」といいます。由来は定かではありませんが。「平安時代に征夷大将軍・坂上田村麻呂が東北地方に遠征した際、連れ帰った蝦夷の人々を当地に住まわせたことからアイヌ語のような地名が付いた」との伝承があります。 . . . 本文を読む
樫田支所の北に見える山は「城山」と呼ばれ、戦国時代に田能城が築かれました。樫田地区は、丹波国南端に位置し、山城・摂津両国の国境に接する地域でした。江戸時代の軍記『興敗略記』には、丹波を本拠とする波多野元秀の家臣・籾井越中守らの軍勢が「多能」(田能)を超えたとあり、田能が軍勢の行き交う要衝であったことが分かります。 . . . 本文を読む
JR摂津富田駅からバスで奈佐原丘陵から阿武山山系を上ること30分で終点「萩谷(はぎたに)」到着、そこからいきなりダラダラの上り坂、なんとか皆さんについて行き、諏訪神社に到着、とっつあんはここでいったんリタイヤしてバス停で皆さんを待つことにしました。 . . . 本文を読む
本山寺の本尊、毘沙門天は、勝負事や商売にご利益があるとされ、神峯山寺とともに多くの参詣者で賑わいました。寺までの距離の目安となる丁石は、大正3年(1914)に、勧請掛前の一丁石から、この二十丁石まで20基建てられました。ただ、十八丁石は現存しません。 . . . 本文を読む
「神峯夜雨」(かぶのやう)は、瀟湘八景の「瀟湘夜雨」(しょうしょう やう)になぞらえています。渓谷の奥に古寺があるとし、これが神峯山寺にあたります。そこは常に雲がかかったように霞がかかり、夜の雨音が泉の水音と重なる幽玄な情景を詠んでいます。 . . . 本文を読む
「本山暮雪」(ほんざんぼせつ)は、瀟湘八景の「紅天暮雪」(こうてん ぼせつ)になぞらえ、雪に覆われた山々の中に、微かに見える冬の本山寺を詠っています。羭素(ゆそ)は蚕の繭ののことで、雪山の白さを削った玉や開いた繭に例えています。(「羭」は糸へん) . . . 本文を読む
「大森晴嵐」(おおもりのせいらん)は、瀟湘八景の「山市晴嵐」(さんし せいらん)になぞらえています。晴嵐とは、晴れた日に山にかかる霞や吹き渡る山風のことです。雨上がりの晴れた日に、田を耕す人や木々の緑など、大森橋から見える夏の情景を詠んでいます。 . . . 本文を読む
高槻城は1573~85年、高山右近が城主を務めました。その後、豊臣家を経て徳川家の直轄地となり、大坂夏の陣の2年後の1617年、西国大名への備えとして幕府が全面改修。明治の廃城後に堀は埋められました。現在は公園になっています。貯水施設を建設するため、市教委は昨年11月から発掘していました。 . . . 本文を読む