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日々是好日 とっつあんの雑記帳

とっつあんが徒然なるまま”ほっこりと暖かく誰もがうなずけるちょっとした幸せを感じる”話題を発信していきます。

高槻 まちかど遺産北部地区(^^♪No21 経文などを納めて供養するため文政8年に建立された「経塔(きょうとう)」 

2017年08月11日 14時36分29秒 | 三島地区の文化財
経塔(きょうとう)は、経文などを納めて供養する塔です。この石製の経塔は、文政8年(1825)に、田能村庄屋の並河氏の妻・音羽の発願によって建立されました。 . . . 本文を読む

高槻 まちかど遺産北部地区(^^♪No20 田能の地名伝承「アンタコ」 

2017年08月04日 16時19分32秒 | 三島地区の文化財
桂香寺(けいこうじ)周辺の地名を「アンタコ」といいます。由来は定かではありませんが。「平安時代に征夷大将軍・坂上田村麻呂が東北地方に遠征した際、連れ帰った蝦夷の人々を当地に住まわせたことからアイヌ語のような地名が付いた」との伝承があります。 . . . 本文を読む

高槻 まちかど遺産北部地区(^^♪No19 山城・摂津両国の国境が接する要衝 戦国時代の山城「田能城跡」

2017年07月30日 15時17分59秒 | 三島地区の文化財
樫田支所の北に見える山は「城山」と呼ばれ、戦国時代に田能城が築かれました。樫田地区は、丹波国南端に位置し、山城・摂津両国の国境に接する地域でした。江戸時代の軍記『興敗略記』には、丹波を本拠とする波多野元秀の家臣・籾井越中守らの軍勢が「多能」(田能)を超えたとあり、田能が軍勢の行き交う要衝であったことが分かります。 . . . 本文を読む

高槻の古木探索(^^♪自然たっぷりの山間部「萩谷」 高槻の古木指定の「クスノキ(楠)」・樹高14m、古木「カヤ」樹高 10m、

2017年07月25日 16時08分27秒 | 三島地区の文化財
JR摂津富田駅からバスで奈佐原丘陵から阿武山山系を上ること30分で終点「萩谷(はぎたに)」到着、そこからいきなりダラダラの上り坂、なんとか皆さんについて行き、諏訪神社に到着、とっつあんはここでいったんリタイヤしてバス停で皆さんを待つことにしました。 . . . 本文を読む

高槻 まちかど遺産北部地区(^^♪No18 勝負事や商売にご利益がある毘沙門天 「本山寺への二十丁石」

2017年07月23日 14時35分44秒 | 三島地区の文化財
本山寺の本尊、毘沙門天は、勝負事や商売にご利益があるとされ、神峯山寺とともに多くの参詣者で賑わいました。寺までの距離の目安となる丁石は、大正3年(1914)に、勧請掛前の一丁石から、この二十丁石まで20基建てられました。ただ、十八丁石は現存しません。 . . . 本文を読む

高槻 まちかど遺産北部地区(^^♪No17常に雲がかかったように霞がかかり、夜の雨音が泉の水音と重なる幽玄な情景 原八景「神峯夜雨」

2017年07月16日 15時44分31秒 | 三島地区の文化財
「神峯夜雨」(かぶのやう)は、瀟湘八景の「瀟湘夜雨」(しょうしょう やう)になぞらえています。渓谷の奥に古寺があるとし、これが神峯山寺にあたります。そこは常に雲がかかったように霞がかかり、夜の雨音が泉の水音と重なる幽玄な情景を詠んでいます。 . . . 本文を読む

高槻 まちかど遺産北部地区(^^♪No16運搬に使われた牛を労うため祀られた、原八景「京坂帰牛」

2017年07月08日 16時02分35秒 | 三島地区の文化財
「京坂帰牛」(きょうざかのきぎゅう)は、瀟湘八景の「遠浦帰帆」(えんぽ きはん)になぞらえ、京坂から帰ってくる牛を、夕暮れに帰港する船に見立てて読んでいます。 . . . 本文を読む

高槻 まちかど遺産北部地区(^^♪No15雪に覆われた山々に本山寺が…、冬の情景 原八景「本山暮雪」

2017年06月25日 14時09分52秒 | 三島地区の文化財
「本山暮雪」(ほんざんぼせつ)は、瀟湘八景の「紅天暮雪」(こうてん ぼせつ)になぞらえ、雪に覆われた山々の中に、微かに見える冬の本山寺を詠っています。羭素(ゆそ)は蚕の繭ののことで、雪山の白さを削った玉や開いた繭に例えています。(「羭」は糸へん) . . . 本文を読む

高槻 まちかど遺産北部地区(^^♪No14雨上がりの晴れた日に大森橋から見える夏の情景 原八景「大森晴嵐」

2017年06月12日 14時21分05秒 | 三島地区の文化財
「大森晴嵐」(おおもりのせいらん)は、瀟湘八景の「山市晴嵐」(さんし せいらん)になぞらえています。晴嵐とは、晴れた日に山にかかる霞や吹き渡る山風のことです。雨上がりの晴れた日に、田を耕す人や木々の緑など、大森橋から見える夏の情景を詠んでいます。 . . . 本文を読む

高槻城二の丸跡 現地説明会(^^♪江戸時代初めの「高槻城絵図」にはない橋脚21本を発掘 

2017年06月03日 15時43分36秒 | 三島地区の文化財
高槻城は1573~85年、高山右近が城主を務めました。その後、豊臣家を経て徳川家の直轄地となり、大坂夏の陣の2年後の1617年、西国大名への備えとして幕府が全面改修。明治の廃城後に堀は埋められました。現在は公園になっています。貯水施設を建設するため、市教委は昨年11月から発掘していました。 . . . 本文を読む