江副 康成 鳥栖市の未来を語るブログ

鳥栖市議会議員として鳥栖市の未来に対する思いを語るとともに、その活動の様子を議会および議会外についてお知らせします。

宇宙へのアプローチ

2009-08-31 10:54:19 | 宇宙・ロボット
宇宙の時代
以前、このブログの記事として「宇宙」や「地質調査ロボット」などでも触れ
ましたが、これから人類が進むべきフィールドとして宇宙というものは
最も重要な分野の一つであることは言うまでもありません。
政治のテーマとして介護や環境が論じられるとそこに介護ビジネス
や環境ビジネスが産業として形作られたように、これからの子どもた
ちが挑戦すべき対象としてまた政治案件として宇宙が論じられなけ
ればなりません。


知識創造型産業
宇宙産業はNASAやJAXAのように強大な発射施設やスペースシャ
トルのような高額な輸送手段など巨額な予算が必要な分野と、高い
知識の集積や独創的なアイデアなど大学や先端研究機関が担うべ
き分野に分かれることとなります。特に後者は個人の努力により如何
様でも社会貢献できる分野であり、地球のどこに生まれても、どこに
住んでいようが立地可能な次世代産業であることは間違いありませ
ん。

私がこの分野で着目するオピニオンリーダーである松浦晋也さんが
次のように状況報告されています。以下該当箇所を引用します。
松浦晋也の「宇宙を読む、BPnetより)

松浦晋也の「宇宙を読む」
NASAそのものも、一枚岩の組織ではない

 NASAそのものも、一枚岩の行政組織ではない。その代表が、
惑星探査を担当するジェット推進研究所(JPL)である。日本では
「ヴォイジャー」「ガリレオ」「カッシーニ」といった、JPLの探査機が
「NASAの探査機」として報道される。このためJPLをNASAの下
部組織と誤解している人も多いが、その認識は誤りだ。

 JPLは、「NASAからの予算で運営される、カリフォルニア工科
大学の研究機関」である。予算はNASAから出るし、インターネ
ットでのドメイン名も「jpl.nasa.gov」であるが、組織運営や意志
決定の権限はカリフォルニア工科大学にある。

 NASAは、宇宙科学の研究拠点を全米の主要大学に育成する
方針で予算を組んでいる。例えば、ジョンズ・ホプキンス大学の
応用物理研究所(APL)は、NASAの予算で冥王星探査機「ニュ
ーホライズンズ」、水星探査機「メッセンジャー」などを開発し、
実際に運用している。また、ハッブル宇宙望遠鏡の運用は、メリ
ーランド大学に設置された宇宙望遠鏡科学研究所(STScI)が
担当している。

つまり、かつての文部省・宇宙科学研究所のような独立した運
用体制を持つ組織が全米に複数存在するわけだ。現在の宇宙航
空研究開発機構の下部組織としての宇宙科学研究本部とは、
全く異なる体制で、アメリカは宇宙科学を推進している。

JPLほど独立性が強いわけではないが、その他のNASAのフィ
ールドセンターも決してワシントンD.C.のNASA本部に従属する
ものではない。それぞれに独立性と権限を持って活動している。
宇宙科学の一部と、地球観測業務などはゴダード宇宙飛行セン
ターが管轄している。ロケットの研究開発はマーシャル宇宙飛行
センターの管轄だが、ここは元来ドイツから来たフォン・ブラウンら
の拠点だったところで伝統的に独立色が濃い。

日本を生活者主権の国にしよう

2009-08-28 23:08:23 | 学校・教育
平成維新を実現する会
平成維新の会は1995年解散しましたが、平成維新を実現する会と
して今日も以前と比べれば細々と存続しています。九州ブロックの
議長であった株式会社タカサキの高崎社長が、あの燃え盛った火を
消すまいと大前研一先生にまつわる資料を今でも会員に送り続けら
れているのは頭の下がる思いです。

その高崎社長から「日本を生活者主権の国にしよう」というタイトルの
ポスターを本日自宅宛に多数お送りいただきました。


日本を生活者主権の国にしよう

「平成維新」の主人公は、私たち生活者自身です。政治を政治家だけ
に任せるのではなく、行政を官僚だけに任せるのではなく、教育を先
生だけに任せるのではなく、医療を医者だけに任せるのではなく、財
やサービスを提供者だけに任せるのではなく、今こそ、私たちがもっと
積極的に行政や政治に関心を持ち私たちの行動によって、この日本
を「生活者による、生活者のための、生活者主権の国」にしていきま
しょう。


生活者主権へのアプローチ
今、まさに政権選択か、政権交代かというテーマで総選挙が終盤を迎
えようとしています。また、1992年平成維新の会が立ち上げられてか
ら今年で17年が経とうとしています。

自民党、民主党を始めとして各党の主張はすべて生活者主権を確立
するための方法論の違いとして区分けされるのではないかと思いま
す。
自民党等の主張は生活基盤を築く経済主体が市場原理の世界
での競争に負けない経済基盤の強化に重点があります。一方、民主
党等の主張はすべての生活者の家計が疲弊しないよう富の再分配
に力点があるように思います。置かれている立場や状況によりその
人にとっての真実が浮かび上がり投票行動へと表れて行くのでしょう。

官僚依存国家との決別
そして、今回の最大のテーマ、霞ヶ関の官僚国家と決別するかどうか
ということは、平成維新の会の大前研一代表がいち早く鮮明に主張さ
れてきた市民運動の本質でした。
その運動がボディーブローのように
じわじわと官僚支配の呪縛から日本の政治を解き放す作用を果たして
きたのではないかと私は思います。当時10年でこの成果を得られな
ければ日本は世界から取り残されてしまうと警鐘を鳴らされていました
が、17年目に大きな節目の年を迎えようとしているのではないでしょ
うか。ジャパン アズ No1からG7、G8そして最近ではG20となりま
した。また中米2超大国体制へと行きそうな雲行きからすると、日本の
国際的な地位の凋落ぶりは、まさに大前先生の危惧通りに進んでい
ると言えます。


私は今日本国民に真に必要なのは、明日(近未来)の飯の種はどこに
あるのか、どのような産業構造社会へと我々が舵をきり進むべきか、
そしてどのような準備が我々の子供たちにとって必要なのか、真剣に
議論することだと考えます。


ナイトウォークを終えて

2009-08-25 11:28:29 | 学校・教育
ナイトウォークを省みて
8月22日の夜から23日の朝にかけて、三回目の鳥栖西中学校ナイト
ウォークが行われました。
当日は朝から生憎の雨模様で開催が心配されましたが、夕刻より雨も
上がり結果的には好天に恵まれた大会となりました。鳥栖西中PTA
主催ということで、内村貢会長を頂点として学校側の全面的な協力も
ありPTA組織がフルに機能した立派な事業が完成されたこと大変嬉し
く思いました。


裏方に徹した学年委員会
私も学年委員長という立場から、大会の主役である歩行者の安全管理
という裏方の役目を田中副会長と円城寺先生を含め総勢17人のメンバ
ーで無事滞りなく果たすことが出来、正直ほっとした思いで一杯です。

準備期間からすると大変長い間にわたり私を含め執行部のみなさんは
労を厭わずこの事業のために心血注いだことになるわけですが、成し遂
げた後はその努力に比例して達成感がえられることは神が与えた微妙
な快楽ともいえましょうか。


中一から中三・・・体力差がある中で
因みに私の中三の息子は中一の時と今回と2回目の参加となりました。
受付時には参加費500円の準備を忘れていて相変わらずどこか抜けた
感じ(私に似ているということ)ですが、ゴールは最終直線勝負となり、
駆け抜けて一番目でのゴールとなりました。家に帰って「三年生はいい
ね、好きに出来て。今回は楽だったね、コースが短くなったのかな」との
事でした。中学生は1年生と3年生では体力の差が大きく、このような
コメントになるのでしょう。

来年への橋渡し
こうして色々な思い出をそれぞれ持ち帰ることが出来たナイトウォーク
大会でした。準備作業の際は来年は違うことを企画したらという声も聞
かれるほど、時間と手間隙のかかる事業であることは間違いありません。
しかし、成し遂げた成果を考えてみれば是非継続しなければならないと
も思います。私は今回準備した資料を来年度使いやすいようにこれから
整理して今年のナイトウォークを終わりにしたいと思います。


未来を見すえた町づくりをめざして

2009-08-18 22:49:56 | 郷土愛
今世界は大きな転換期を迎え
今世界は大きな転換期を迎え、21世紀にふさわしいあるべき姿を
探し求めています。一方私たちが住むここ鳥栖市は、九州の中で重要
な役割を担ってきた歴史ある町だと誇りに感じます。


こうした状況のなか鳥栖市としてなすべきこと
こうした状況のなか鳥栖市としてなすべきことは、世界の動き、日本国
民の意思をよくよく見守りつつ、21世紀の新たな大きなうねりの中で、
自ら主体的に新しい都市の姿・目ざすべきビジョンを積極的に語ること
です。


私たちの願いは
また私たちの願いは、この地で育った子供たちが、それぞれの人生の
舞台として鳥栖市を選択してくれることです。
こうした声がこだまし、一
つの力となるようここに江副康成後援会を立ち上げたところであります。




江副康成後援会会長 野口利勝


核の傘は必要か

2009-08-18 01:49:42 | 学校・教育
終戦記念日を迎えて
8月15日終戦記念日を今年も迎え、私の伯父も先の大戦で戦死さ
れたことを思うと、他国と交戦状態にない現在の日本を大変有難く思う
次第です。
ここ数年この時期靖国神社参拝問題がいつもクローズアップされるマス
コミの光景から、今年は麻生総理の核の傘容認発言に端を発し、安全
保障問題につき論議が交わされることが多いお盆となりました。
NHKで三宅アナウンサーが司会されていた番組を少し見せていただき
ましたが、スタジオの専門家は別として会場の発言者の自分の論拠を
主張される際の押しの強さには従来のNHKという媒体の性格からする
と少し驚きをもって聞いておりました。田原さんの朝まで生テレビのように、
議論の流れを参加者すべてが自らコントロールする責任があるかの如く。

しかし、安全保障問題という大変高度な問題を国政を預かる政治家や
専門家に任せるというのではなく、私のようなレベルの国民がある一定
の見識を示せるというのも民主主義をより強靭なものにするにはいいの
ではないかと思い私も発言したいと思います。

span style="color: #000099;">核兵器をなくすことは可能か
まず、私は現時点において核兵器は必要悪だという現状認識にあります。

核兵器は無差別大量破壊兵器であり、戦時法上も違法な兵器であり、
極東国際軍事裁判(東京裁判)でもしこの問題が裁かれていれば明ら
かに核兵器使用者は有罪となっていたと思います。現実問題として歓
喜の戦勝国を誰が裁けるのかという問題があるにせよ、もしその上位
概念にあたる国際司法というものがあり、核兵器の使用につき厳格な
要件の吟味検証がなされていれば、その後の冷戦構造、米ソを中心と
する核軍拡競争という選択は良識のある国際社会では出来なかったの
ではないかと私には思え残念です。


ただ、人が陥りがちな驕り恐れ怒り不信という情念が原爆の開発や敵
国都市部への原爆投下という行為まで行き着いてしまったのだと思い
ます。世の中には途轍もなく怖いものがあるということを子供のとき色々
な行事を通して社会が教えたりしますが、原爆はそうした戒め的な絶対
に開けてはならぬパンドラの箱と言えます。そうした意味からすれば唯
一の被爆国日本は広島長崎を通じて核兵器廃絶を国際社会に訴える
のは過去の悲惨な犠牲を多くの人に知らしめることにより国際平和に
対して崇高な使命を果たされているのだと思います。


核の傘は誰のもの?
次に核の傘は必要か、核の所有共有は必要かということですが、私は
現状核の傘は必要だが核の所有は断じてするべきではないと考えます。
オバマ大統領がプラハの演説で核廃絶を呼びかけましたが、私は核は
国際社会で共同管理へと進むべきだと考えます。

朝鮮が仮想敵国、核発射先として日本を想定しているとの話のもと
それに対抗するためにも日本は核武装すべきだという論拠はそれに伴う
弊害を省みず少々短絡的かなと思います。もし、それが許されれば北朝
鮮風に軍事国家の思惑にあわせてあらゆる国が核武装の備えをする必
要性が出てきます。そうした善意の防衛的核武装国に対して周辺国がま
た核の脅威を身近のものとしなくてはなりません。国際的な不安の連鎖
は果てしなく続きます。

私が日本の総理に臨むのはそうした核兵器の脅威を与える国あるいは
組織に対して、考えうる全ての発射施設の能力をそぐための防衛行動を
通常兵器を使いいつでも執れる体制に現在あることを示して泰然としてい
てもらう方が国民はパニックにならずに済みベターだと思います。


核兵器の共同管理⇒核縮小⇒核廃絶
また核の傘ですが、安全保障条約で核保有国に対して自国の安全が脅
かされたときに自国の為に核兵器を利用できる契約だと考えれば必要悪
かも知れませんが誠に合理的な契約関係であると思います。核は最後の
脅し的な意味合いが強いことからすれば所有することにどれほどの意味
があるのでしょうか。
安全保障締約国との友好関係の維持に負担の懸念
が先にたつ場合のことを考えれば、あるいはすべての地球人に核の傘で
の安全保障を分け与えるためにはこれから核兵器の共同管理という方向
に行くべきものと考えます。

核兵器を所有するためには所有に伴うリスクに対する対処能力、他に
自己の所有を納得させる厳しきルールと透明性、人類愛に満ちた管理
能力がなければなりません。保険を与える組織とそれを買うグループ、
あるいはその恩恵に与る人々との関係があって然るべきだと考えます。

原子力発電に依存する日本
もう一つ、日本が核兵器を持つべきでない理由は日本がエネルギー供給
において原子力発電に3割以上頼っているという事情があります。核兵器
の保有に対して前向きの意思を世界に示したとき果たして現在の原子力
に依存したエネルギー体制を維持することが出来るのでしょうか。


最後に麻生総理が不人気に馴れてしまったのか、人の気を引くような発言
をあきらめてしまったのか、まじめな本質的な議論が今回の総選挙の前に
なされていること大変結構なことだと私は思います。