天桜会の江副です。
駅周辺のまちづくりについて、鳥栖駅、新鳥栖駅周辺及び田代駅を含む連続立体高架事業の採択条件を満たした区間について、まちづくりをいかに進めていくのか「まち・ひと・しごと創生」への期待を含めて通告に従い伺っていきたいと思いますので宜しくお願いいたします。
最初に9月議会で急ににぎやかになった鳥栖駅周辺整備の今後のあり方についてお尋ねしていきたいと思います。
先の9月議会で鳥栖駅周辺における東西連係の在り方検討委員会が議会に問われました。私は市民の意見を聞くということは一般論としては当然良とするも、随分と間が空いてしまった感がありました。市政の負託を受けた議会人としてはこれまで色々な角度からその可能性を検証及び議論されてきたとの思いから、議会あるいは当該委員会を交えて市政として再整理すべきだということを申し上げてきました。そして後顧に憂いなきよう責任を以って市民に対してはその方向性示すべきなのかなと政治に携わる者として思うところです。
それではこれまでの経緯とその真意についてご答弁のほど宜しくお願いいたします。
残余の質問は質問席からさせていただきます。
(答弁1)
江副議員のご質問にお答えいたします。
本市では平成9年の鉄道高架事業の次世代送り、高架化計画区間4.3キロのうち田代駅周辺の約1.3キロ以外は採択要件に適合しないという、平成17年の補助採択基準適合性の検証を受けて、JR鳥栖駅周辺整備推進協議会を設立し、平成18年の連続立体交差事業の白紙撤回への対応として「駅前顔づくり事業」に取り組む方針を決定し、駅前の交通安全の確保と乗り換え機能の充実を図ってまいりました。
「JR鳥栖駅周辺整備推進協議会」はJR九州、佐賀県、そして鳥栖市で構成されておりましたが、9月市議会で提案させていただいた検討委員会の趣旨につきましては、鳥栖駅等の鉄道施設や連絡道路を再整備して、分断されている中心市街地の東側と西側の風通しをよくするための具体策を検討するにあたり、より幅広い意見をお聞きし、それらを市が策定しようとする基本構想に反映するため、学識経験者をはじめ、自治会代表、商工・観光分野の代表等の市民の代表による委員を構成メンバーの案としていたものであります。
以上、お答えとさせていただきます。
(パネル①出す)" alt="" />
これまでの経緯につき執行部としてのご認識をお話しいただきました。ここに鳥栖駅周辺におけるこれまでの主な経緯を時系列に沿って表にまとめてみました。
昭和62年4月に鳥栖駅周辺市街地整備構想が鳥栖駅の東西約72haの地域を対象に策定されました。その成果として駅東側の造成整備、サンメッセ、鳥栖スタジアム、虹の橋などが順調に完成することと成りました。しかし、その後鉄道高架事業の次世代先送りが当時の山下市長から表明され、代替策としての駅周辺活性化策の検討が就任時の所信表明で牟田市長から示されました。牟田前市長はその流れを受け鉄道高架事業については議会とのコンセンサスを取りながらこの問題に対する結論を得られるよう進められました。その結果、平成17年8月事業主体である佐賀県より補助採択基準適合性の検証結果が示されました。踏切解消の為の連続立体交差事業、4.3キロの高架化計画は田代駅から幡崎踏切までの1.3キロ区間以外は採択要件に適合しない、費用対効果も1に満たないというものでありました。そうした国県の意向を踏まえて、鳥栖市は議会に対して全員協議会に諮ることになりました。事業は次世代送りの凍結とするのか、事業を断念するのかの判断を行う。並行して東西地域の連携強化、都市計画道路の見直し作業、駅利用者の利便性向上などの諸政策について、県などと協議会を立ち上げて、早急に検討を行うという方針が出されました。同年10月第1回JR鳥栖駅周辺整備推進協議会が佐賀県、JR九州、鳥栖市をメンバーとして設立されました。そこでの議論を踏まえたところで18年2月鉄道高架事業を先送りするのではなく、断念することとし、それを踏まえて駅周辺整備を推進するという鳥栖市の閣議決定ともいうべき庁議がなされました。第2回推進協議会を経て18年3月市議会全員協議会の上で鉄道高架連続立体交差事業を白紙撤回することが確認されました。そして平成18年10月第3回JR鳥栖駅周辺整備推進協議会が行われ、周辺整備として駅前顔作り事業を概ね5年後新幹線開業時までに行うこととして、駅前広場の整備、駅前交差点の改良、東口の設置、そして駅西立体駐車場の4事業を行うこととされました。同年11月に市議会全員協議会でその方向性を確認されたところです。
ところで先の9月議会での橋本市長のご答弁によりますと、検討委員会で想定される具体案として東口設置のために現在の地下道を延伸する案、新たに地下道を掘り進める案、橋上駅案、そして再度高架事業を復活させる案などが想定されるということでした。
(パネル②出す)
ここに議論のたたき台として当時使われた構想図があります。これをみれば現在の地下道を延伸する案がベースになっていたのはご覧の通りです。先のご答弁で分断されている中心市街地の東側と西側の風通しをよくするための具体策を検討することが検討委員会のテーマだということでした。現在ある虹の橋は東西の風通しを良くするものであることは明らかです。しかし、サガン鳥栖の試合など一度に多くの人が移動するには手狭であり、また東側の方から駅を利用するのに少々遠回りだという課題に対しては、現在の駅内地下道の上に新たに自由通路を作れば駅利用者の利便性向上になりますし、さらに東西の風通しを良くすることにならないでしょうか。
それを図に示したものがこれです。
(パネル③出す)" alt="" />
虹の橋と同じような自由通路を駅の南側、ベストアメニティスタジアム側に作ったらどうですかというご提案です。東側から駅改札口まで大変近くなります。仮にこのような案を検討委員会で提案することは可能なのでしょうか、ご答弁を求めます。
〔答弁〕2
江副議員のご質問にお答えいたします。
9月市議会で提案させていただきました検討委員会は、市が策定を考えている基本構想について市民、駅利用者、有識者等の意見をお聞きし、それらを基本構想に反映するために設置を考えた機関であり、鳥栖駅周辺の在り方や駅の機能などについて、様々な立場に立った視点から、活発な議論を期待するものでございました。
そのために、検討委員会の構成メンバーには学識経験者をはじめ、自治会代表、商工・観光分野の代表等の市民の代表に務めていただき、幅広い立場からの意見をいただきたいと考えていたところでございました。
したがって、基本的にはフラットな議論からスタートし、新しい連携策の提案もいただきつつ、専門的立場からの意見等を踏まえながら議論を進めていく予定としておりましたので、さきほど議員からご提案いただきましたような東西連携に関する新しい手法についても、検討委員の方から同様の提案がなされていたならば、会議の場において、適宜、議論されていたことであろうと考えております。
以上、お答えとさせていただきます。
フラットな議論からスタートしとのご答弁でした。橋本市長が市長になられるときの公約が、市民の声を聴くということのようであったと記憶します。市が策定を考えている基本構想について何事も市民、駅利用者、有識者等の意見をお聞きするのが橋本市長誕生のエネルギーであり、政治手法なのかと思っております。
わたしはその気持ちを理解しもっと議論していいのではないかと思い、修正案に賛成したわけです。しかし、折角事業が進みそうな状況であったのに執行部提案に反対したのは東西連係を望む市民の声に反していると批判されました。JR九州、佐賀県、鳥栖市で何らかの合意点が見出され来年8月を基本構想の策定期限とするかのようなご発言でした。市民を交えた議論の余地があるのかないのかどちらかわかりません。
平成19年12月鳥栖駅前整備説明会がサンメッセで行われました。
(パネル②出す)
その時の資料をみますと最初にお示ししたパネルのようにこれまでの主な経緯を説明され、最後のプレゼンでこの整備構想図を当時は整備方針図(素案)として皆さんに示されています。私が強く思うのは9月議会に提案された検討委員会はこの時平成19年12月の鳥栖駅前整備説明会の時にすべきではなかったのかということです。高架事業撤回に至る経緯を住民にしっかり示さなかったという前市長に対する強い批判を橋本市長はされたとお聞きします。その熱い空気はこの説明会を以って萎んでしまうようなものだったのでしょうか。そもそも高架事業に対するこだわりとはその程度のものだったのでしょうか。デフレ時代の閉塞感漂う当時の状況において世の中を変える、政治を変えるという強いリーダーシップの出現を求める世相が確かにありました。一方伝統的な行政に対するチェックと同意を公選の議員に委ねる間接民主主義の議会制、地味ではありますがオーソドックスな手続きを尊重した政治スタイルは牟田前市長でした。先ほどの経緯を見てすれば一目瞭然、高架事業断念は議会、市役所、県、JRそうした関係者とのコンセンサスを積み上げた上での結論です。多様に分化専門化してきた世の中で望ましい意思決定を分担する間接民主主義、その結論に従って行政運営すれば本来文句を言われる筋合いのものではありません。しかしその結論を受け入れられない人々にとって、そうして出てきたコンセンサスを一気にひっくり返す荒業つまり世間的には高架事業の継続を期待されて誕生したはずの橋本市長はなぜか19年12月の鳥栖駅前整備説明会では前任者の流れを引き継いだ高架断念後の東口設置を示した説明会です。なぜその時市民、駅利用者、有識者等巻き込んだ検討委員会を今回のようにしなかったのでしょうか。既に整備されていた駅西側立体駐車場以外の駅前顔作り事業中3事業についてもその時検討委員会を開くべきでした。2期目も終わりに近いこの時期にまだ何も進展していない東口設置だけはしておきたいではあまりにも遅きに失しています。私がそう思うだけであって、橋本市長なら高架事業を継続する提案をその時市民に提示する政治的な義務があったような気がします。どうしてこうなったのかお聞きしたいのですが、今朝ほどの本件に関する市長ご答弁では県、JR九州等との協議の必要性など現実路線に戻られ私と意見の相違はないようです。政治はらせん状にしか進まないとは言いつつも時間ばかり経ってしまったなという率直な感想です。
それでは続けます。鳥栖駅周辺整備、駅前顔作り事業は東口の問題だけではありません。鳥栖駅西側駅前整備としては駅前広場整備や交差点改良なども実施されました。駅西はどのようになっているのか答弁のほど宜しくお願いいたします。
(答弁)3
江副議員のご質問にお答えいたします。
鳥栖駅前の整備につきましては、これまで、昭和62年の鳥栖駅周辺市街地整備事業構想策定以降、平成15年に断念した鳥栖駅西土地区画整理事業、平成18年の駅前顔づくり事業など、様々な計画が検討され、関係機関、関係者との協議を進めてきましたが、解決すべき課題が多岐にわたることから、実現までには至っておりませんでした。
しかしながら、鳥栖駅前につきましては、これまで、駅と横断歩道を結ぶ歩行区分が明確に確保されず、歩行者と車が交錯して常に危険な状況にあるなど交通安全上の問題が問われながら、結果として解決のための施策が実施できない状況であったこと、また、市民意見等でも、地域住民の方や駅利用者、鉄道利用者の方々から、駅前の利便性の確保や早急な交通安全対策について提案が寄せられていた状況もありましたことから、鳥栖駅前整備の最優先課題として、交通安全の確保と交通結節機能の充実を重点とした整備を実施し、平成22年11月に整備が完了しております。
このことにより、鳥栖駅前には、新たに信号機も設置され、安全で安心な駅前空間の確保ができたところでございます。
以上、ご答弁とさせていただきます。
当初の構想を具現化する土地区画整理事業を断念はしたものの、交通安全の確保と交通結節機能の充実を重点とした整備を実施しましたとのご答弁でした。しかし、昭和62年4月鳥栖駅周辺市街地整備構想策定当初の理想像と対比して果たしてどの程度の整備と言えるのでしょうか。
高架事業の断念、鳥栖駅西土地区画整理事業の断念により出てきた駅前顔づくり事業、その代替策とすれば、駅に降り立つ人々が高い利便性と素晴らしい景観に鳥栖に対して好印象を持っていただけるものを何とか作っていかなければなりません。
(パネル③出す)
そこで駅西区画を顔になぞらえてぐるっと10000㎡の面積を確保するようにくりぬいたのもが赤線で示したところです。鳥栖ビルやコンビニがある一画が入っています。そこに鳥栖駅東側の駅前広場等の一画を切り取り貼り付けました。広さと機能が同じものを治めることが出来ました。
信号機に頼らなくとも安全で安心な駅前空間ならこちらの方がよくはありませんか。信号機は構造上危ないと思われるからつけられるものです。一方通行をうまく利用して大きな駅前ロータリーが出来ています。鳥栖ビルの前は現在と進入方向が反対になりますが、左側通行の日本ではこちらの方が自然な感じがします。現在の進入方式はあまりにも人為的でリスキーな仕掛けです。
区画整理事業の断念に至っては色々な課題があることはお聞きしていますが、新たに線を引き直して駅前の顔作り事業は市街地活性化のために是非ともやるべき公益性の高いものだと思っています。
そのためのゾーニング区画として10000㎡の面積を駅前に試みに確保してみました。
また、中央軒の北側に赤く色付けしていますが、現在は駐車場となっており約1000㎡あります。ここは土地区画整理事業に当たり、公共用地として先行取得されたものです。
(パネル②も出す)
ここを先程の構想図と重ね合わせますと道路になる予定のところでした。もし、望ましい再開発、あるいは区画整理事業に時間を要するのなら残りの道路部分を買い足して道路整備だけでも早急に進めるべきではないかと私は思います。
いづれにせよ中心市街地の活性化、コンパクトシティ、地方創生、色々と昨今議論されていますが鳥栖市の発展のためには多少の困難には立ち向かう覚悟と勇気は必要です。
駅前には今後立て替え等必要となってくる建物もあるように見えます。その時すべて自前では資金的にも大きな制約となり、それぞれまちまちな部分的なリニューアルになりはしないか危惧されます。ところが国の施策にある再開発事業などを上手く使うと多くの公的な補助が受けれますし、コンセンサスに基づく全体として統一感のある街になります。例えば国土交通省の市街地再開発事業のメニューによれば事業認定を受けますと国と地方の補助をそれぞれ三分の一受けることが出来、事業者は三分の一の負担で済みます。その時の最低面積条件が10000㎡となっています。私が10000㎡としてモデルを作った根拠はここにあります。また、平成26年8月1日施行された都市再生特別措置法等の一部を改正する法律によればその最低面積が5000㎡になったり、2000㎡になったりするケースもあります。
行政としてはそうした行政サービスを受ける市民や事業者のためにも調査研究の上、行政自ら果敢にチャレンジすべきだと思いますし、あるいは関係者のコーディネーターの役回りとして支援すべきだと思いますがいかがでしょうか。
(答弁)4
江副議員のご質問にお答えいたします。
鳥栖駅前を含む鳥栖駅周辺地区は、平成23年3月に開業した新幹線新鳥栖駅との連携軸としての位置づけもあり、鉄道と道路の双方による集客が見込める地区であることなどから、ポテンシャルが高い地区であると認識しており、官民を問わず様々な可能性があると考えているところでございます。
議員ご指摘の鳥栖駅前の整備を行う場合には、現在の本市を取り巻く経済状況、財政状況などを勘案しつつ、ご指摘のように国等の施策や補助制度などの活用を検討しながら行っていく必要があると考えております。
以上、ご答弁とさせていただきます。
国等の施策や補助制度などの活用を検討しながら行っていく必要があると考えておりますとのご答弁でした。安東副市長というその道のプロを我々の仲間としてお迎えしております。どうかこれをチャンスと考え果敢に挑戦されることを期待しております。
駅前交通安全を向上するためには、言うまでもなく歩車分離を徹底することが何よりです。そのための一つの方法としてペデストリアンデッキを活用した整備の方法があります。
(パネル④出す)
西部池袋線に大泉学園駅があります。そこは橋上駅ですがその駅前の写真です。丸いロータリーは2階部分で人が歩く空間です。自転車はここを通行していいのではないかと思われます。素晴らしい計画だと思います。下にマップを載せていますが、南口は鳥栖駅西側と何か似ているような気が私はしました。中ほど下のゆめりあフェンテはフレスポのような商業施設ですが、大泉学園駅では北側から鳥栖駅では東側からそこまで道路を横断することなく歩いて行くことが出来ます。現時点で鳥栖市があまり背伸びしなくて届くかもしれない理想的なプランはこれではないかと私は常々思っております。検討委員会なりしかるべきところでご検討いただければ嬉しく思います。
因みに大泉学園駅の池袋に向かって隣駅になります石神井公園駅を中心にして大泉学園駅のすぐ隣りまで高架事業が完成しており、来年1月25日最後の区間が高架への切り替えが行われるとの事でした。練馬高野台駅大泉学園駅間約2.4km事業費約383億円の連続立体交差事業が2016年に10年の事業認可期間を経てすべて完成すると事とです。
高架事業を次世代送りにし、現実的な対応を計っていこうと一端決定した鳥栖市にもって大泉学園駅は最もふさわしい先行事例ではないかと私は思っております。是非ご検討ください。
(パネル⑤出す)
次に先月国土交通省で勉強会の時にいただいた資料を見てください。我々の勉強会のために連続立体交差事業について鳥栖駅周辺の状況を調べて作ってくださっていたものです。
このような感じで全国からの高架案件を把握管理されているのだなと思たところです。
左寄り①幡崎踏切、②原町踏切、③田代踏切、その隣が田代駅ですが、この1.3キロは踏切解消のための連続立体交差化事業の採択要件を満たしていると現在でも評価されております。幡崎踏切は長崎自動車道の関係で高さ制限の必要な道路しか整備できないという制約が構造上ありますが、これはいい面悪い面共にあるということです。この悪い面をカバーするために、田代踏切付近に高さと広さにゆとりがある道路を整備するれば、大型トラックなどは幡崎踏切には流れず、田代踏切を通ることになると思います。県道鳥栖田代線は幾分か混雑が緩和され、長崎街道の風情をどうにか出せる道路整備も可能になるかもしれません。
この方向で前進出来れば検討する価値はあるのではないでしょうか。
〔答弁〕5
江副議員のご質問にお答えいたします。
議員ご指摘のとおり、高架化計画区間4.3㎞のうち、田代駅周辺の約1.3㎞以外は採択要件に適合しないという検証結果を受けて、連続立体交差事業の白紙撤回と駅前顔づくり事業に繋がっていった経緯がございます。
したがって、採択要件に適合する田代駅周辺の1.3㎞区間のみを高架化してはどうかとのご提案ですが、これも鳥栖駅等の鉄道施設や連絡道路を再整備して、東西の風通しをよくするための手法の一つであると考えられます。
現時点では具体的な検討はできておりませんが、こうしたご提案もいただきながら、今後しっかりとした議論が展開されることになるのではないかと考えております。
以上、お答えといたします。
今アベノミクスの成長戦略の是非が問われています。「地域の元気なくして日本の元気なし」安倍総理がよくお話しされますが、「地方創生」「まち・ひと・しごと創生」への期待についてこれから鳥栖市の駅周辺に限定してお聞きしていきたいと思います。
まず田代駅と西鉄小郡駅とを接続したまちづくりについてお伺いしたいと思います。
言うまでもなくJR九州は狭軌であり、西鉄は標準軌であり、現在それぞれの電車は乗り入れ出来ません。鳥栖市と小郡市間は自動車を使った行き来が専らです。しかし、その交流が太くなると定時大量輸送としての鉄道がたいへん重要となってきます。フリーゲージトレイン、それは新幹線と在来線を自由自在に行き来するためのツールと思われていますが、もしこの区間に車両を変えずに車輪の間隔を調整してそのまま乗りいれることが出来る電車が開発され走行するれば大変画期的なことだと思います。その開発は全国の地方にとって大変な福音となること間違いありません。地域を元気にする地方創生の一つではないでしょうか。その時通勤通学でこの新線区間を行き来する人は今以上に多くなること請け合いです。
これもネットワークを利用した「まち・ひと・しごと創生」ですが、鳥栖市と小郡市と相協力して取り組み価値はあると思いますがいかがでしょうか。
〔答弁〕6
江副議員のご質問にお答えいたします。
フリーゲージトレインは、新幹線と在来線などの異なる軌間の直通運転が可能となり、在来線の軌間を変更する必要がなく、既存の鉄道施設を有効に活用することができるため、既に軌道等が整備された状況下においては、検討され得る手段であろうかと考えられます。
本市においては、買物、通院、通学など、市民の皆様の日常生活における移動手段を担う公共交通を考えていく中で、小郡市をはじめとした近隣市町との現実的なネットワークの構築を考えて参りたいと思います。
以上、お答えといたします。
直ぐに出来ることではないかもしれませんが、鉄路で結ばれることの意義を考えれば画期的なことです。鳥栖市という観点で見ればあまりピンと来なくても、九州の心臓部という位置づけからすれば血液が強くコンスタントに押し出される仕組み作りは必要です。
次に鳥栖駅周辺のまちづくりとしてはサガン鳥栖のホームタウンとして大きな成果を収めているのではないかと私は思います。チーム一丸となった終盤の粘り、ACLへの挑戦の可能性、夢は益々膨らんでまいります。プロサッカー選手、球団経営者スタッフ、Jリーグの試合を興行するまでの関係者、お客さんのおもてなし、などなど色々な仕事に携わる人々が新たに興ってまいりました。
国鉄機関区であったまちは様変わりし、スポーツの拠点として発展しております。本件について「まち・ひと・しごと創生」の観点からどのように思われますか。また、今回創設された制度をうまく活用し、更なる発展に結び付けることは考えられるのでしょうか。
〔答弁〕7
江副議員のご質問にお答えいたします。
サガン鳥栖ホームタウンとしたしましても、今シーズンのサガン鳥栖の活躍は、市民や地域の皆様に、たくさんの夢と感動を与えていただき、大変誇らしく思っております。
議員ご指摘のとおり、ホームゲームを通じて得られる喜びや感動、そして、それらを共有する非日常的な空間は、選手、スタッフだけでなく、試合に関わるたくさんの関係者によって届けられております。
そして、ホームゲーム当日は、鳥栖駅周辺を中心に多くのサポーターで賑わいを見せており、試合観戦に伴う飲食や宿泊などの消費活動等により、地域経済にも好影響がもたらされているものと考えております。
こうした、ホームゲームやホームタウン活動等を通じて育まれる心の豊かさと、地域への経済的波及の両方を創出することができるサガン鳥栖は、鳥栖市にとって非常に高い存在意義を持つものであり、まち・ひと・しごと創生法の「国民一人一人が夢や希望を持ち、潤いある豊かな生活を安心して営める地域社会の形成」という基本理念とも合致するものであると考えております。
以上、お答えといたします。
心地よいご答弁有難うございました。鳥栖市が新たな色彩を持った街になっていくようでわくわくしてまいります。
そうした想いがあるのであれば、ACLをはじめアジアや世界に挑戦するクラブをホームタウンとしてしっかり受け止めなければなりません。もしACLに出場できるようになったら、アジアから多くのサポーターがベストアメニティスタジアム、そして鳥栖市に足を運んでいただけると思います。一方サガン鳥栖は海外に試合に行くようになります。そしてチームと一体となってサポーターも海外を目指すようになるでしょう。そうした時国内だけでなく海外にまでサポートしてくれる仲間の確保が必要になってきます。特定のサポーターの財布に期待するのも酷になってきます。広く浅く支える仕組みが必要です。サポーターのエリアが自ずと広がりやすいようにインフラ整備するのは行政の役割ではないでしょうか。そうした想いから福岡大都市圏と直接電車で乗り入れできる田代駅小郡駅間の新線のというものは考えて見る必用があるものと私は常々思っております。
さて、9月議会の一般質問通告書にペッパー社会なる言葉を使っていました。何事かというお問い合わせもありましたが、ペッパーとはソフトバンクが来年初め発売するロボットの名前です。私はペッパーのような身近なコミュニケーションロボットの出現は世の中を大きく変える力があるものと期待しています。それを地方行政、住民福祉に活かせるのではないかと。サガン鳥栖は言うまでもなくハードワークが特長ですが、ペッパーロボットはハードワークが他人のこころと繋がることに意味があります。今年サガン鳥栖はソフトバンクフォークスとのコラボ企画が色々とありましたが、来年さらにより深まるを希望して最後の質問に移りたいと思います。
最後に新鳥栖駅のまちづくりについてお尋ねしてまいります。新鳥栖駅は九州新幹線開業時にできた新駅であり、専ら田園環境の中にあったところです。しかし、その大きな公共性ゆえ多くの人にその利便施設として活用してもらう様に整備されなければなりません。
(パネル⑥出す)
本年8月都市再生特別措置法等の一部を改正する法律が成立し、民間の都市機能への投資や居住を効果的に誘導するための土俵づくり、いわゆる多極ネットワーク型コンパクトシティを推進するところとなりました。そして市町村は都市全体の観点から、居住機能や福祉・医療・商業等の都市機能の立地、公共交通の充実に関するマスタープランを作成することとなりました。
九州新幹線は博多を出ると新鳥栖、久留米、筑後船小屋、大牟田、新玉名、熊本と短区間に多くの駅があり従来の新幹線駅とは少し違う役割も見出さなけれななりません。
そうした中、駅を中心として都市機能(駅前開発)と居住区域(ベットタウン)と公共交通を備えたまちづくりを進めていこうではないかというものです。
ネットワークを利用した「まち・ひと・しごと創生」とも言うべきものですが、鳥栖市として取り組む価値はありませんか。
〔答弁〕8
江副議員のご質問にお答えいたします。
議員ご指摘のとおり、本年8月に施行された改正都市再生特別措置法は、地方都市で市街地の拡散と急激な人口減少が見込まれる一方で、大都市では高齢者の急増が見込まれる中、健康で快適な生活や持続可能な都市経営の確保という重要な課題に対し、都市全体の構造を見渡しながら、住宅及び医療、福祉、商業その他の居住に関連する施設の誘導と、それと連携した公共交通に関する施策を講じることにより、市町村によるコンパクトなまちづくりを支援することを背景にとしたものでございます。
コンパクトなまちづくりにつきましては、人口減少と少子高齢化、そして東京圏への人口の過度な集中が大きな社会問題となっている現在、持続可能な都市経営を確保するという観点からも大変重要な概念であろうと認識しております。
しかし、法改正の背景といたしましては、地方都市における人口減少と市街地の低密度化、大都市における高齢者の急増等への対応を目的としているものであります。
したがって、将来人口の増加が見込まれている本市においては、今後も持続的に人口増を維持し、推計どおりの成長を期するためにも、中心市街地や新鳥栖駅をはじめとした地域の魅力を高め、民間の開発意欲を刺激し、定住人口獲得につなげていくことが大変重要であり、まち・ひと・しごと創成法の理念にも沿うものではないかと考えているところでございます。以上、お答えといたします。
路線バス、ミニバスのあり方を建設経済委員会ではよく議論します。本当に市民の足となっているのかと。公共交通機関の整備に対して本法律は大変重要なサポートをしてくれるものだと思います。私は高齢化社会となっても移動手段が確保できることが街の活性化と市民の健康的な生活を保持できる基本だと思います。そうした健康長寿社会の設計図を示し、まちづくりをすすめていきたいと願っています。都市計画の見直しにもその計画が反映できるよう時期を逸することなく頑張っていただきたいと思います。
私が毎週日曜日楽しみにしていた軍師官兵衛はとうとう最終回を残すのみとなりました。想像の世界で官兵衛と鳥栖市を結びつけてきましたが、先頃の市報に筑紫広門の娘が官兵衛の長男黒田長政の側室であったことが書かれていました。男の子も生まれました。筑紫氏が鳥栖でどのような暮らしや政治をしていたのかなかなか鳥栖市民としても想像しづらいものでしたが、軍師官兵衛を見ていると黒田家より出自の良さそうな筑紫氏は同様な暮らしや政治をしていたのだろうと思います。年代を追うと官兵衛が死去して広門の娘は長政の側室に入ったようです。徳川方の黒田家の傘下に入って西軍に組した筑紫氏は生き延びようとしたのでしょう。勝尾城は戦国時代に造られた敵の攻撃に対する備えを重視した山城です。江戸時代に入り平和な時代となると政治と経済が大変近くなり城は平地に作られるようになりました。もし筑紫氏が勝ち組にいたとすれば勝尾城から眼下に眺める現在の市街地のどこかに江戸城とまではいかなくとも近代的なお城が築かれただろうと思うと歴史の節目を見極めるトップの判断はまちの様子を決定的に変えてしまいます。
東京は徳川が江戸に移るまでは全国どこにでもあるような地方都市でした。しかし、家康が幕府を開いて急速に大都市化しました。400年の歴史の重みは都市の大きさ形となって厳然と残ります。
いまアベノミクスは第3の矢、成長戦略を担ってくれる人、場所を求めています。いまから活躍できる伸びしろの有るところとして鳥栖市は期待されているのではないでしょうか。それぞれのパワーがぶつかりあう力が均衡する緩衝地帯、国境の地として鳥栖市はありました。そのバラバラだったところが一つになる、あるいは一つにつながればこれまで想像できないような大きな力を発揮する事となります。
それでは安東副市長の先の勉強会の表題を以って私の一般質問を終わります。鳥栖市の元気は日本の元気、頑張れニッポン。有難うございました。
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