野田順康 

つぶやき

スキーと私

2014-02-24 23:52:32 | Weblog
先週、2月21日(金)から23日(日)まで全日本スキー連盟公認指導員検定会が全国5会場で開催された。私は第5会場(奥神鍋)で受検し合格させてもらった。これも60歳の挑戦ではあるが嬉しいような恥ずかしいような。私が初めてスキーを履いたのは3歳の時であるから指導員になるまで57年かかったわけである(笑)。
スキーが好きであった父に連れられて、3歳の時に京都府夜久野のゲンゼスキー場に初めて行った。当時はまだ長靴でスキーをしていたので、靴の中に雪が入って溶けてしまう。当然に冷たいわけで、こんなことは2度としないと泣いていたことを覚えている。しかし、小学校に入ると俄然スキーに傾倒し、ゲンゼや神鍋によく出かけていた。特にゲンゼのスキー大会で優勝したもんだから、ますます熱が入った。中学校3年で1級に合格していたので、まあ早い成長と言ってもいいだろう。
ただ、段々とSAJ(全日本スキー連盟)のしゃちこばった指導方法に飽きてしまって、競技スキーの道に入っていった。特に、大学の4年間は北海道に渡り、1年に100日以上滑っていた。全日本学生選手権(大鰐)にも出場させてもらったが、残念ながら特筆すべき成績は無い。
社会人になってからは、仕事仕事の生活であったので、年に2回ほど滑るのが精一杯。でもスキーの楽しさは何時も大きな安らぎであったと思う。1989年から3年強、スイス・ジュネーブに赴任した時には、またまたスキー熱が高まった。スイスやフランス・アルプスに毎週のように出かけてヨーロッパのスキーリゾートを満喫させてもらった。シャモニーの草大会に出場して優勝したのも懐かしい思い出である。
2002年に福岡に赴任し、ここでもスキーのチャンスを見出した。所属したクラブで準指導員を受けることになり、2003年に合格させてもらって、まあ自分のスキー人生もこれで締めくくりと思い、また仕事中心の生活に戻った。ところが、2012年に国家公務員並びに国連職員を退任してから、準指導員では何となく居心地が悪いと思うようになり、正指導員の受検と相成ったわけである。
準指導員も指導員も、受験前に40時間の養成講習を受ける。競技スキーをやってきた私にとっては、なかなか耐え難い講習内容。全体講習の半分以上が低速技術であり、講師の講話である。もちろん指導員を養成するのだから、微妙なエッジングや制動技術が重要であることは間違いないのだが、「スキーは楽し」と言う気持ちを忘れてしまうような講習とも言えるだろう。こういう講習を受けて合格する指導員が上手く「スキーの楽しさ」を一般スキーヤーに伝えることが出来るだろうか^^;まあ私は取り敢えず自分の大学のスキー部にスキーの楽しさを伝えていくことにしよう(^^)そして生涯スキーヤーでいようと思っている。


国土強靭化シンポジウム

2014-02-11 09:24:11 | Weblog
2月4日に「国土強靭化と福岡の役割」というシンポジウムが開催され、私がコーディネーターを務めたことは既に報告したところです。本日の読売新聞(朝刊)に下記の記事が掲載されました。
コーディネーターとしては、以下4点で本シンポジウムを総括いたしました。
1.やはり危機管理に関わる課題ですから、明日発災するかもしれないのですから、国土計画のように時間をかけて対応する話ではないと思います。迅速な行動、迅速なバックアップの青写真づくりが必要と考えます。
2.バックアップ機能を誘致すると言う姿勢はどうかなと感じます。インフラの誘致合戦とは違います。国家の一大事に対応するわけですから、福岡がどれだけ貢献出来るかという姿勢で望んでもらいたいと思います。
3.この2点を踏まえて、福岡のバックアップ対策の具体的な青写真を迅速に策定することが重要でしょう。福岡をバックアップの適地として選択してもらって、対応体制は国にお任せと言う姿勢では日本の第二エンジンとしては無責任なように思います。むしろ、福岡のバックアップ体制の青写真を国に提示していくような姿勢が期待されていると考えます。
4.一方、企業のバックアップには率先して協力する必要があるでしょう。現在、検討を進めているような企業には福岡として何ができるかを積極的に提案していくような対応が求められます。
さて、福岡市はどこまでやってくれるかなあ^^;




そこが聞きたい!インタビュー(月刊フォーネット2月号)

2014-02-03 10:46:46 | Weblog
プランよりもドゥ、シーで福岡の国際化を実践
シティコンサル、輸入事業…国連時代の経験知をフルに活用

西南学院大学法学部教授
元国連人間居住計画(UN-HABITAT ハビタット)アジア太平洋地域本部長

野田順康(としやす)氏

日本人は国際化というと、どうしても身構えてしまう。島国根性と揶揄される所以だが、歴史を紐解けば日本人は元々国際感覚に優れた民族だった。中世まで福岡は日本で最先端の国際都市だった。そのDNAを生かせと野田さんは発破をかける。自身がその先端のモデルになると現在、世界に向けて「FUKUOKA」を発信しようとしている。

形式化、閉塞化の打破

◎二年前に国連人間居住計画(UN-HABITAT ハビタット)アジア太平洋地域本部長から西南学院大学法学部教授に転身されましたね。その経緯から聞かせてください。
野田 国連の定年は六十二歳であと四年あったのですが思い切りました。それまで十年間ハビタットの責任者としてやってきました。赴任当時の二〇〇二年は福岡事務所だったのが、地域本部に昇格し今や年間事業費が一千億円を超え、現場の職員まで入れると二千二百人の大所帯にまでに成長しました。十年一区切りをついて振り返ると、あまりにも私のカラーが強すぎる組織になっている事に気づいたのです。「ハビタットと言えば野田だ」と言われるくらいですね(笑)。そこで組織を再びニュートラルなものにすべきだと痛感しました。後進に道を譲って、私はまた新たな道を歩むことに挑戦しようと決断しました。
 もう一つは、福岡市の国際戦略事業がプラン(Plan)だけで終わって、ドゥ(Do)、シー(See)にまで至っていないことを感じていました。事業はプランして実行してそれを評価し展開していくべきだと思いますが、福岡の色々な委員会の委員にしていただいて、真摯に福岡の国際化について提言、アドバイスをしてきたのですが全てがプランだけで終わってしまっていました。これは福岡だけの現象ではなく、日本全体がものすごく形式化した社会、硬直化しているのではないかと痛感しました。つまり、やっている振りをしているだけだと。プランを立ててそれを実行に移すのに大きなギャップがあるので、プランを実行するにはかなりのリスクを背負ってやらないといけない。なかなかプランからドゥへ移れないのが日本社会の抱える問題の一つになっていますね。
―誰も責任を取ろうとしない、或いは失敗したらメディアに袋叩きになる恐れから誰も手を出そうとしない。閉塞感が漂っていますね
野田 例えば先日も新聞が大々的に取り上げていましたが、九州山口経済連合会(九経蓮)は、国際交流交換文書の締結を盛んにやっているんですね。確かにそれは必要な事かもしれませんが、私から見れば、形式論にしか過ぎず、やっていますよという姿を見せているだけで実が伴っていない。私は逆からアプローチすべきだと思っています。つまり、まずは互いに事業があってその事業が発展していく段階で、互いの確認という意味でそうした文書を取り交わせばいいのです。国連時代から言っていたのですが、どんなに小さくてもいいからドゥ、事業から始めようと。そこで環境技術を中心に福岡の企業を海外に紹介する事業を始めました。モンゴル・ウランバートル市の水質改善事業にみやま市にある中小企業の納豆菌ブロックが採用されました。また、福岡市の企業が持っている上水の水質改善のためのバクテリア錠剤がスリランカで採用されました。
 この二社とも国内で十分市場を開拓できているのですが、自社の技術で困っている国の役に立つ海外戦略を実行できるというメリットを実感してもらっています。こうしたニーズと日本の企業を具体的に結びつける活動をハビタットが引き続き展開しています。
―国際化の端緒は相手国との商売だと。
野田 ビジネスがなければそれは国際交流ではありません。これからは国連という枠から飛び出て、大学教授という自由な立場から私独自の国際ビジネスモデルを実証することによって、おこがましいかもしれませんが、プランだけで終わっている福岡にお手本を示したいと考えています。実は㈱地域プランという会社の代表に就任します。この会社は国連時代に個人事業として立ち上げて収益がでない会社にし、代表は別の人になってもらっていました。大学に移籍しても基本的には兼業禁止ですが講義の邪魔にならない程度なら、という緩やかな条件でしたから学長に申請して了承されて、社長になる予定です。

福岡市の「都市づくり」を輸出

―この会社の業務に都市コンサルティングがありますね。シティセールスだと聞いていますが。
野田 福岡市の都市づくりのあり方自体を海外に売り込む事ができると思っています。百万人から百五十万都市に向けて福岡市の都市づくりのノウハウをコンサルティングする事業を展開します。
―なぜ思い付いたんですか?
野田 国連時代にアジアの都市レポートを書いている時に、二〇三〇年までにアジアの人口が十億人増加するという予測の中で、その増加分がどこに張付くかというと、アジアの五十万人から百万人くらいの規模の都市なのです。つまり今後十五、六年のうちにアジアに百万都市がものすごいスピードでどんどん誕生するわけです。ところがその都市がそれだけの人口を吸収できる状況になっているかと言えば、全くなってなく、脆弱な都市インフラのまま人口が一気に膨張してしまいます。そうなると急速なスラム化が同時に起こるということになります。非常に問題があると思いますね。
 そうした事態を防ぐには、都市政策のガイドラインが必要ではないかと考えました。そのガイドラインに相応しいのが福岡市をモデルにした都市政策ではないかと。福岡モデルの基本は、Compact、Convenient、Cleanの3Cです。コンパクトで利便性が高く清潔な福岡市の都市づくりのノウハウをこれから百万都市になろうとしているアジアの自治体にガイドラインとしてコンサルティングするニーズはかなり高いと見ています。
―日本の他の百万都市ではなく、福岡が相応しいという理由は?
野田 アジアとの交流は歴史的にも地政学的にも福岡市に優位性が最もありますからね。福岡市に住んでいる方は普段あまり意識されないかもしれませんが、都心にものすごくアクセスがいい福岡空港の利便性もこの事業の大きなファクターです。福岡市のように空港、鉄道、港湾という重要な交通インフラが二キロ圏内にある都市は他に例がありません。この利便性の良さがこれまで福岡市が成長してきた背景にあります。この他にも学生数も東京、京都に次いで全国三位と若者、頭脳の集積も進んでいます。住みよさも、MONOCLE(モノクル)というイギリスの情報誌が発表した「世界で最も住みやすい都市ベスト25」で十二位にランクインしています。ちなみに日本の都市では、東京が七位、京都市が十一位にランクインしています。
―福岡市の評価が高いポイントはどこなんでしょうか。
野田 住居問題や通勤時間が短いこと、ショッピングの利便性が高い評価を得ているようです。清潔さも福岡市のごみ収集は夜間に個別にやるシステムでこれも他国にはありません。廃棄物の埋め立ても福岡市の埋立場は「福岡方式」と呼ばれる準好気性の埋立構造を採用しています。
―このコンサルティング事業は具体的にはどうやって進めていくのでしょうか。
野田 発展途上国は細かな指標は取れませんので、まず簡単な生活、教育、文化、安全・安心、ビジネス、地球環境などをレーダーチャートで表して各都市のどこがウィークポイントなのかをリサーチします。具体的にその改善すべき分野の専門家を派遣して相手の自治体の担当者とコンサルテーションします。こうした発展途上国の都市のシティコンサルテーションはかなりニーズがあるし、予算も潤沢です。日本から見ると発展途上国でもその中で伸び盛りの都市は財政は豊かで、自分たちはもう発展途上国ではないという意識ですよ。先進国の都市のノウハウを欲しがっているアジアの都市は沢山あります。
―当面はどれくらいの都市を目標に?
野田 十都市くらいでしょうか。ところがこの話を聞きつけて最初にオファーがかかっているのが、中東のクウェートです。日本大使経由で話が来ていまして今度訪問し大臣と面会する予定です。恐らく受注第一号はクウェートになるでしょうね。空港、港湾がバラバラの状態なのでそれを集中させて将来中東地域の交通ハブ拠点になりたいようで、要望は福岡市の交通インフラのノウハウのコンサルテーションです。クウェートは親日国家で日本の都市のことを調査していて、福岡市は足回りが抜群にいいという情報が入っていたようです。本当は最初の受注先はベトナムがいいなと思っていたんですね。福岡空港から直行便がある国がいいなと。何かあったらすぐに飛んでいけますからね。

国際感覚のDNA

―コンサルティングの専門家は全国から集めるのですか?
野田 福岡独自のノウハウで勝負するわけですから、できるだけ福岡で探したいと考えています。すでに唾をつけている人もいます。福岡市が今後国際化を進めるのに欠かせないのは、グローバル人材です。これから伸びていく都市の条件にこの人材をどれだけ抱える事ができるかにかかっていると思いますね。日本人を育成することも必要ですが、日本に来ている留学生の活用がより重要だと思います。現状は九州での就職の場がまだまだ少ないのが現状です。これまで盛んに企業さんに留学生の採用をお願いしてきたのですが、大手企業ほど難しいですね。ある大手企業は国際本部を設けているにもかかわらず、その部署には外国人がいないというのが実情です。むしろ中小企業の方が前向きです。
 福岡は中世までは間違いなく日本随一の国際都市だったわけで、その気質、DNAは今も持っていると思いますよ。福岡は元々アジアに対する親和性が高い地域ですから、国際化に最も近い都市です。福岡はそういう意味でも私の事業の拠点として相応しい都市なのです。それが残念な事に現在東日本を中心とした政治体制なので、アジアとの付き合い方にパワーポリティクスの傾向が強まっているので心配です。アジアとの付き合い方は福岡の歴史に学ぶべきです。そういう意味で福岡は独自の動きができると思っています。福岡は東京から一千キロ離れていて、他の地域に比べて東京の影響が小さい。札幌は完全に東京圏ですから。
―そういう意味では、福岡のポジションは非常に大事になってきますね。
野田 私は国土交通省時代には国土形成計画法制定の担当課長であり、国土計画関連の業務に長く携わってきて、五全総(第五次全国総合開発計画)も担当しました。五全総までは欧米との関係を中心にしたものでした。しかし、現在の国土形成計画に変わってからは完全にパラダイムシフトして、アジアとの関係を中心に据えた国土計画になっています。今の安倍政権の強気の外交で中韓を頑なな姿勢にさせているのは非常に残念で、福岡だけでも独自のアジア外交ができないものかと思っています。何だかんだ言って福岡にとって中韓は海を隔てた隣国ですから。歴史的にも福岡は日本外交の原点である大宰府を擁し、防人の末裔ですし、博多商人の血が流れているわけです。今の政権の力の外交は基本的に間違っていると思います。日本の国益を念頭においてもっと融和的な外交を目指すべきですよ。その役割を再び福岡が担う可能性はあると思います。

国内総代理店というビジネスモデルを

―それから輸入業も始めて、スリランカの化粧品の総代理店契約を結んでいますね
野田 アーユルヴェーダというスリランカに三千年以上続く伝統的な生命科学をもとにつくられた「SPA CEYLON(スパセイロン)」というブランドの日本における総代理店になり、最近福岡市内にアンテナショップをオープンさせました。これも新しいビジネスモデルを福岡の人たちに示すのが目的なのです。海外にはいい商品がたくさんありますがその総代理店になるにはエージェンシーアグリーメントという契約を結ぶ必要があります。こうした契約を結んでいるのはほとんどが東京の企業で福岡には無いと思います。知らないからなのか最初から諦めているのか分かりませんが、海外の有望な商材の総代理店になれば、福岡の企業でも日本全国に販売することができます。そうしたビジネスの可能性に福岡の人たちにも挑戦してもらいたいという思いがあり、それを私が実践して見せる事が近道かなと始めました。
―この商品に目をつけたのは?
野田 二〇一〇年頃、日本企業はこぞってミャンマーに進出しました。しかし、その後急速なインフレで失敗してしまっています。当時私が密かに注目していたのがスリランカという国でした。スリランカ、以前はセイロンという国でしたが、この国は日本の恩人であることを知っていますか?
―いいえ、初めて耳にします。
野田 昭和二十六年のサンフランシスコ講和条約の時に、戦勝国側から日本分割案が提出されていました。その時にセイロンの首相が戦後賠償をいち早く放棄した上で、なおかつ「日本が早く独立して成長していく事がアジアの成長には必要不可欠」と主張し真っ向から分割論に反対しました。そのお陰で分割論が否決されました。首相の吉田茂は「セイロンには大恩がある。我々日本人はセイロンの恩に報いらなければならない」とまで言っています。
スリランカは一九八三年から民族的な対立で内戦状態が続いていたのですが二〇〇九年にようやく終結しました。政情が安定したスリランカに今世界が注目し始めています。気候はハワイに似て常夏でからっとしています。リゾート地として魅力があります。仏教国で親日国家ですから、何かビジネスチャンスがないか探していて見つけたのがこの商品です。昨年七月に契約を結び十一月からテストマーケットを始めたのですが、評判がいいですね。最近、日本のマスコミがスリランカに取材に入り始めていますから、その効果も今後期待できます。
―海外の有望な商品を国内で独占的に販売できるという、一つのサクセスストーリーを福岡で確立できそうですね。
野田 この契約には数社の競合があったのですが、最終的には英語による交渉力がものをいいましたね。大企業だと英語はできても契約内容のリーガルチェックのために顧問の国際弁護士に相談しなければならないなど手続きが煩雑で時間がかかりますが、私の場合私自身が国連時代にアグリーメント契約を数多く結んできた経験がありますから、その場で正確に交渉して決める事ができました。この機動力は武器になりましたね。いつまでもプランを作ってばかりではダメなんです。ドゥ、シーを早くやるべきで、「私のやっていることを見ていてください」と私のやり方を大いに参考にしてもらいたいと思っています。

(月刊フォーネット2月号掲載)