野田順康 

つぶやき

グローバル人材の育成が急務 ・・・留学生の積極的な活用を・・・

2013-05-17 14:37:36 | Weblog
1983年7月に日本政府から国連に派遣された。国際的センスもなく語学力も不十分な中で国連の業務をこなす事は骨が折れたが、それを土台に、その後約30年の国家公務員在勤中、14年間を国連で過ごし、それなりに国際人としての素養を身に着けたつもりである。
この間、日本の国際社会における位置づけも、立場も大きく変わった。経済大国と言われた時代は過ぎ去り、国内の人口減少と高齢化に対応し、今や国際社会に打って出ざるを得ない。このためにはグローバル人材が必要不可欠であるのだが、この30年の間に十分な人材を育成して来たとは言えまい。特に、九州においてはアジアとの連携による経済の活性化が模索されてはいるが、グローバル人材の育成に具体的かつ効果的な手は打たれていないのではないか。
グローバル人材と言うのは、①語学力、コミュニケーション能力、②主体性・積極性、チャレンジ精神、③異文化理解と日本人のアイデンティティーを持った人材のことを示すわけであるが、大学教員になってみて、育成に対する十分な考え方や体制が整っていないと痛感する。結果として、2004年以降、海外へ留学する日本人学生の数は減少に転じ、特に米国への留学生数が激減している。一方、経済成長の著しい中国やインドは海外留学生数を大きく増加させている。隣国である韓国では、政府の海外戦略も功を奏し、人口規模が我が国の約半分であるにもかかわらず、海外留学者の実数は我が国を上回り、しかもその差が拡大傾向にある。また、韓国の場合には、留学をせずとも、国内の英語教育で立派な語学力、コミュニケーション能力を身に着けていることに注目する必要がある。
ここに至っては、中央政府の英語教育改革やグローバル人材育成戦略をゆっくり待っている余裕はない。地元の行政や企業と協力しながら、我々の手でグローバル人材の育成を実現していかねばならない。
最後に留学生の活用についても触れておきたい。留学生というのは、都市学者リチャード・フロリダが言うところのクリエイティブ・クラス(創造的な仕事で経済を活性化させていく階層)の卵である。九州域内には数多くの留学生を抱えているにもかかわらず、国内の就職が難しいことから、結局帰国を余儀なくさせられている場合が多い。彼らも我が国のグローバル人材として捉え、企業等が積極的に採用、登用していくことを期待したいものである。
(西日本新聞 5月17日(金)朝刊 オピニオン)

グローバリゼーション時代における地域と人材 (1)

2013-05-14 17:36:24 | Weblog
グローバリゼーション時代における地域と人材
・・・ アジアを中心として ・・・
国連人間居住計画 前アジア太平洋本部長
野田 順康 氏
日時:平成25 年1 月31 日(木)16:30~18:00
場所:しいのき迎賓館(旧石川県庁舎)ガーデンルーム
はじめに
ただ今ご紹介いただきました、野田でございます。私のバックグランドについては、事前にお配りしております「かけ橋」に紹介がございます。中央官庁に入って国連との間を4回行き来しておりまして、私が知る限り、霞が関でこのような経験を持つ人はいないと思います。これまで、石川県では赤阪(事務次長)さんや、国連の広報官の方がお話をされたようですけれど、私の話す内容、私の国連に対する見方は、そういった方々とはかなり違うと思います。
今日は、これから国連本部での研修に参加される方もおられますので、国連の活動について若干お話し、それから、グローバルゼーション(世界化)、インスタビライゼーション(不安定化)、アーバニゼーション(都市化)の3つの観点から、今世界でどういったことが起きているのかをお話します。最後に、特に地域と人材について話をしてほしいというご要望もございましたので、半島振興室長として、また国連の組織をこの石川に作ったという経緯もありまして、石川県のことについて少し存じ上げている点もございますので、「石川県の地域と人材」という話にも触れて参りたいと思います。
国際連合の概略
最初に、国際連合の概略をお話します。
国際連合ができる前、世界全体のシステム、特に世界の覇権を考えるとき、15 世紀頃に起こってきた「植民地政策」が、世界システム、国際関係に大変大きな影響を与えてきました。現在も植民地政策の負の遺産を一生懸命に処理しているのが、今の国際実情であります。
右に示します様に、15 世紀より、ポルトガル、スペイン、イギリスが世界の覇権を握り、植民地化を進めてきましたが、その延長上に、1914 年、第一次世界大戦が起き、ドイツ、オーストリアなどの枢軸と連合軍が戦って900 万人の兵士が亡く
なったわけであります。
それで、もう二度とこういう戦争をしたくないとの理由で、最初にできた国際機関が、1920 年の国際連盟という組織であります。これはスイスのジュネーブに作ったわけです。第一次世界大戦の終了間際にアメリカが参戦して戦争が終了したわけですが、残念ながら、国際連盟の設立過程において、当初参加していたアメリカが、当時「モンロー主義」という他の国のことには関わらないというアメリカの考え方があって、最終的に国際連盟に参加しませんでした。
従いまして、世界平和、不戦の願いを込めて国際連盟を作ったものの、その主導性がなかなか低く、結局ドイツが1939 年にポーランドに侵攻し第二次世界大戦が起こり、今度は日本もドイツ、イタリアとともに枢軸国となって連合軍と戦ったわけであります。この不幸な第二次世界大戦の死者数、被害は、第一次世界大戦を遥かに超える
ものでありました。
1945 年に最終的に枢軸国側の敗北で終了するわけですが、今度こそ戦争は起こさないよう
にしようと作られたのが「国際連合」という組織であります。その下にブレトンウッズ体制という国際連合に基づく経済開発のしくみや、ヨーロッパ復興のためのマーシャルプランがありました。1945 年サンフランシスコ条約の重要な柱が「平和と安全」、「友好関係」、「人権」であり、この3つを柱として1945 年10 月に国際連合の本部がニューヨークにできたわけであります。
1945 年当時の加盟国は51 カ国でしたが、2012 年時点で、世界195 カ国のうち193 カ国、ほとんどの国が加盟し、世界の様々な問題を議論し、活動しているわけであります。
右に国際連合の全体像を示します。毎年9月に開催される国連総会を中心に、全体の様々な事務について、ニューヨークにある国際連合本部が基本的な中核になっているわけであります。
その他に4つの大きな機構がございます。「信託統治理事会」、第二次世界大戦が終わった当時、まだ政府が成立していないという状況がございまして、政府になりかわって国連が行政体制を整えたという時期がございます。そういう国はなくなりましたので、信託統治理事会は既に機能していないという状況です。「国際司法裁判所」、これはますます重要になってきております。なぜかというと、紛争の種が絶えないからです。今もセルビアでありますとか、コソボの戦いの後の紛争処理裁判をやっている最中でありますし、日本も中国、韓国との領土問題で国際司法裁判所に出そうかという話にもなっており、また既にフィリピンは中国との領土問題について、国際司法裁判所に提訴したという状況にあります。そういった揉め事を取り仕切る点で、国際司法裁判所は非常に
重要になってきております。
国際連合の中で最もパワフル、力をもった組織が、「安全保障理事会」。これは15 カ国の代表で成り立っている理事会で、どういう面でパワフルかといいますと、例えば、リビアに対する制裁措置、イラクに対する制裁措置、シリアに対してどういった制裁措置を与えるか、こういうことの決断をしますし、2001 年9 月11 日後のアフガン総攻撃、これは安全保障理事会の決定によって連合軍が攻撃を開始しています。戦争をするか否かということを決断できる組織であります。
安全保障理事会の最大の課題は「常任理事国」、これは第二次世界大戦の戦勝国であります。イギリス、フランス、ロシア、アメリカ、中国、この5カ国が常任理事国でして、特別な権限である「拒否権」を持っており、もし決議が出されたとしても、この5カ国のうち1国でも反対すればその決議はちゃらになる、それだけのパワーを持っています。
日本は国連に加盟したときから、常任理事国になりたいと、日本の外交は国連中心、日本の悲願は常任理事国になることだと、この様に言ってきているわけですが、正直に申し上げると、そんなことを言っているのは日本だけであります。国連の中で、日本が常任理事国になると考えている人は、多分ほとんどいないと思います。私もジュネーブにいるときの1992 年も日本は常任理事国になるのだと大騒ぎをしたわけでありますが、私の知り合いのオーストリアの大使から、「日本は常任理事国になっていったい何をするつもりなのだ」と聞かれたことがあります。その時、私の隣にいた日本大使館の公使が、応えることができなかったという状況でありまして、もちろん、日本の外交の中心の柱のひとつとして、常任理事国になるという理想的な姿があるわけですが、実際には常任理事国になるのは、なかなか難しい時代だということです。
最後に「経済社会理事会」、これはジュネーブで開かれます。この経済社会理事会の下にたくさんの国連専門機関があります。私がおりますUN-HABITAT(国連人間居住計画)、私がおりましたUNOCHA(国連人道問題局)など、経済社会理事会のもとに活動しております。皆さんがよくご存じのUNESCO、WHO、WB(世界銀行)、UNICEF、
緒方貞子さんがおられたUNHCR も経済社会理事会の下にある、こういった構造になっております。
左側が国連総会の議場、ここは誰でも入れます。許可さえあれば入れます。右側が安全保障理事会、これは常時やっているわけではないので、普段はおそらく閉じられており、見られないかもしれません。右に、主な国連の活動分野について6つ記載し
ています。国際連合ができた当初は、戦災復興の色彩が非常に強く、経済社会開発に非常に重点が置かれていました。たとえば国連開発計画も、国連本部自体もニューヨークにあります。このように経済社会開発に非常に力を入れていたわけでありますが、1990 年8 月にイラクがクゥエートに侵攻して、第一次湾岸戦争が勃発する
わけですが、このとき以降、国連の活動はかなりの割合で平和と安全、これは国連軍の活動、それから人道問題、これは戦争や災害で被災した人たちをどのように復興するかということですが、この二つに相当の力がシフトしてきている段階であります。
私が最後に勤めていた「国連人間居住計画」、もっぱら住宅とか街づくりを専門としている機関ですが、国連人間居住計画自体も実際には仕事の85 パーセントは紛争後の再建復興、災害後の再建復興にシフトせざるを得ない状況になってきております。
国連人間居住計画(ハビタット)アジア太平洋本部の業務
国連人間居住国についてお話いたします。私が国連人間居住計画の本部にいた1995 年にアジア太平洋本部を日本に誘致しないかという話がありまして、当時インド、フィリピン、韓国、日本が手を上げて誘致合戦をしたわけです。私が日本の窓口をやっていて、日本に誘致をしてきました。当時、日本国内で62 都市から手があがり、今度は日本国内で大誘致合戦をしたわけです。結局、東京、横浜、神戸、福岡の4つが残りました。正直申しますと、私どもは阪神淡路大震災の直後ということもあり、その復興事業の一環として、神戸に誘致することをほとんど決めていたのですが、当時の福岡県知事がアジア太平洋本部を是非とも福岡に持ってきてほしいという大政治活動をされまして、私のところにもいろんな政治家から電話がかかってきましたけれど、政治的な要素もあり当時アジアへの窓口といわれていた福岡に誘致をいたしました。
当時は、職員数10 名くらいで、全体の予算規模も30 億程度の組織を誘致してきたわけであります。
この15 年の間に、日本で一番大きな国連の組織になっています。福岡には管理部門だけを置いており、24 名の職員がいますけど、福岡のオフィスの下に、アジア太平洋地域に94 の現地事務所を持っており、プロジェクト職員も2,000 名を超え、だいたい
2,500 名はいると思います。それで28 カ国でプロジェクトをやっております。
総予算は、これはグラント(補助金)といわれる部分がだいたい300 億、その他アジア開発銀行からだいたい700 億くらいのローン(借款)があるので、毎年だいたい1000 億位の事業経費をもった組織となっています。
その中でも、アフガニスタンの比重が圧倒的に多いわけです。アフガニスタンは皆さんもご存じのように、2001 年9 月11 日の貿易センタービル破壊後、直ちに連合軍がタリバン、アルカイダというイスラムのテロ組織を撲滅するために攻撃を始めました。国土の3 分の1位が焦土化した戦争であります。この復興はなかなか手が折れます。
今でもよく報道がなされるように、自爆テロがそこら中で起こるわけでして、セキュリティに配慮しながら、実際の道路の建設から始まって、住宅の建設や街づくり、水の供給といった事業をやっていくのがものすごく難しいわけです。
今、国連ハビタットが、アフガニスタンで一番大きなオフィスを構えていまして、アフガニスタンだけで、職員が600 人くらいいます。そういうところでは国連人間居住計画しか具体的なインフラプロジェクトをやれないわけですから、アメリカ、EU など様々な援助国がどんどん国連人間居住計画にお金をつけてくるという状況があります。結果的にプロジェクトとしては非常に大きなものになっております。
その他、パキスタン、バングラディッシュ、スリランカ、モンゴル、ミャンマーにしましても、紛争もしくは災害に関わる事業を専らやっておりまして、事業全体の80 パーセント程度が災害復興となっています。
右はスマトラ大地震の津波、2004 年12 月に津波が発生し、タイランドもインドネシアもスリランカもやられました。左側が被災直後、それを右側のように恒久住宅を建てることを盛んにやっているわけです。
それから、パキスタンも2005 年の10 月に大地震が起こりまして、住宅80 万戸が倒壊しました。国連ハビタットの場合は、テントは使いません。皆さん難民とか災害というと、テントを配って、毛布を配ってというイメージが強いかと思いますが、我々の経験上、テントは3か月しかもたない。だから3か月たつとみんな捨ててしまう。非常に持続可能性や環境にやさしいプログラムではないので、ハビタットの場合には日本援助でやっている事業でありますが、当初から恒久住宅を建てる場所を決めて、そこに簡易住
宅をだいたい半日くらいで建てさせます。ここに最大3か月住んでいる間に最終的な恒久住宅を建てるように推奨しております。簡易住宅を建てる段階からコンクリートを入れ、再利用可能な形で住宅を建てているわけです。パキスタンの場合、80 万戸倒壊したものですから、2005年から2011 年に終了するまで6年かけて80 万戸を復興したということになります。
イラクの復興でありますけれど、2003 年に、この時は国連決議なしに、イギリスとアメリカが「イラクが核爆弾をもっているのではないか」ということを理由にイラクを攻撃し、あっというまに戦争が終わってしまって、サダムフセインが捕まりました。この時、アメリカはピンポイントボンビング、ピンポイントで攻撃するので誤爆はありませんと盛んに言っていましたが、実際は若い練習したこともない兵士がミサイルを撃つわけで、いろんなところで誤爆が起こっておりました。上記は、大学にミサイルが落ち、復興しているところであります。
アフガニスタンも同様です。焦土と化した国土を盛んに復興しています。それも自爆テロを避けながら復興事業をやっています。以上で国連と国連ハビタットの概要の説明を終わりますが、今回、国連本部を訪問される方は、国連に関心があり、将来的には国連職員になりたいという方もおられると思いますから、どうしたら国連職員になれるかという話を少ししておきます。
私も日本政府から国連に行ったと言うと出向かと思われますが、国連には出向はありません。国連職員になる方法は、一般的には2つありまして、一番いい形は、日本の場合、外務省にジュニアプロフェッショナルオフィサーという制度があり、外務省の試験を受けて通ると国連に2年間無料で派遣させてもらえます。その間に、国連の中の競争試験を受けて通ると、国連の正規職員として採用していただけるという制度です。特に国連の職員のポストというのは、レギュラーバジェットポストとエクストラバジェットポストと2つに分かれていて、レギュラーバジェットというのは、国連の分担金で、ある程度恒久的に作られているポストであり、エクストラバジェットポストは、恒久的ではなく予算があればその作られるポストであります。
この国連の競争試験を通って国連に入ると、レギュラーバジェットポストつまり恒久ポストに配置されます。国連が好きであれば生涯を通じて国連職員として活動ができます。これが一番国連職員として安定をした形の採用です。もう一つは、国連の中でポストが空くと一般公募をホームページでやっております。一般公募に応募すると、最初書類審査を受け、書類審査の後で筆記試験をやる場合もあります。私の場合、最後の本部長というのはDポジションという国連の事務職としては一番ハイランキングなところで、この場合は非常に手続きが難しく、筆記試験をやって面接試験をやって、ニュー
ヨーク本部からのクリアランス、つまり本当に正しい手続きで試験を通っているかチェックが入ってきて、最終的に採用されました。一般公募のポストに応募して競争試験を勝ち抜いて採用されていく。このように、国連職員になるには2通りの方法があります。
ただ、国連職員の最少年齢はだいたい30 歳くらいだと思ってもらったらいいと思いますので、大学4年の後すぐ国連に入るというのは難しいと思います。また、国連の専門職に入る場合、最低でも修士はもっている必要があり、国連職員のプロフェッショナルでだいたい4分の1は、博士号をもっているのが現状です。だから、国連の専門職は学域レベルとしてはかなり高いため、大学を卒業して修士課程、博士過程を卒業して、社会的経験をした後、国連に応募するという方が一般的には多いと思います。
それから国連には専門職の他にジェネラルスタッフというスタッフがおります。これはいわゆる一般的な会計処理ですとか、事務処理をする人たち、そういうポストに応募していくことも可能です。たとえば、福岡のアジア太平洋本部には、ジェネラルポストが5つくらいあり、主に日本の女性が応募して勤務しております。もちろんプロフェッショナルのほうが給料は高いわけですが、ジェネラルポストといっても決して安いわけではありません。給与を正直に申し上げると、だいたい月額50 万円~60 万円くらいで、そんなに悪くないのではないかと思います。専門職だけを狙うのではなくて、ジェネラルポストを狙うのも一つの手だと思います。日本国内でそういうポストにつきたいと思えば国連広報センターが東京にありまして一般公募を行なっております。
以上が国連のキャリアパスです。もちろん、私も国連の事務官としてはDポストまで行き、再雇用まで行ったわけですが、事務ポストの上には、いわゆるポリティカルポジションという政治任用ポストがあり、これは選挙で決まります。実は私も選挙に一昨年出ましたが、最後チェニジアの女性と一騎打ちになりまして、残念ながら敗れたということになりますけど、もしそういったものに通ると、国連事務次長やトップは国連事務総長という政治任用ポストが別途あるということであります。
国連の話はこれ位にいたしまして、グローバリゼーション、世界化について話をしていきます。

グローバリゼーション時代における地域と人材 (2)

2013-05-14 17:28:05 | Weblog
グローバリゼーション(世界化)
グローバリゼーションというのは、人、物、金、情報が非常に流動化して、世界が非常に緊密に結びついている状態のことをいいます。当然、異文化交流の機会が増える訳であります。政治的な影響の連鎖、つまり一つの所で政治問題が発生すると、それが他の国に波及してしまうという問題が、今世界中で発生しています。典型的な例は、アラブの春といわれる現象が2010 年頃から起こっています。チェニジアでジャスミン革命が起こって、イスラムの国の改革が始まる、これがあっという間に、エジプトから隣国のアルジェリア、イスラムの国に波及して、今シリアで激しい戦いが起こっています。そのような政治的連鎖があっという間に起こっていくのがグローバリゼーションの姿であります。
歴史的にみると、最初に申しあげた大航海時代の植民地政策が起源になっているわけ
です。戦後、多国籍企業という人たち、商社の人たちがボーダレス、国と国の境がないような活動をし始めたころから、グローバリゼーションという言葉が定着をしてきたわけであります。特に、東西冷戦が終焉した1992 年以降は、グローバリゼーションという言葉は、盛んに使われるようになりました。なぜかというと、それは世界全体が出来るだけ自由貿易圏、いわゆる関税をとっぱらって自由に貿易し合えるようにした方が世界経済が活性化するのではないかと言っている人が多いからです。
一方、否定的な側面を申し上げると、自由貿易圏を作るとよりメガコンペティション、より激しい競争が発生します。そうすると、弱いセクターや弱い国はどんどん疲弊していって、格差がよけい拡大することになるため、反グローバリゼーションという動きも世界の中にあります。たとえば、今日本でTPP、trans pacific partnership 、アジア太平洋地域において関税を撤廃し自由貿易社会を作ろうとする動き、これに対して猛反対をしている人が日本国内に大勢います。
右マップに示しますように、EU をはじめ、アメリカにはNAFTA という経済圏、南米にはメルコスル、アジアのASEAN、このように経済は、非常に活性化をしながら緊密に結びついているものですから、なかなかこのグローバリゼーションの動きを止めることは難しいのではないかと思います。
気をつけなければいけないことは、グローバリゼーションの中でいろんな形での連鎖が発生します。それについて十分対応できるような体制を整えなければならないということです。たとえば、1997 年にアジア通貨危機が発生しました。これは、アメリカを中心とするヘッジファンドというマネーゲームをやっている連中が、1997 年の場合は、
タイのバーツを空売りということをやりました。空売りとは要するに、どんどんバーツを売るわけです。そうすると、バーツの価格が落ちるわけです。落ちた所で今度はバーツを買うわけです。もともとバーツには、力がありまして値上がりするわけです。そうすると、値上がりした分だけヘッジファンドが儲かります。この激しい空売りをやった結果、バーツの通貨バリューの低下が韓国のウォンの低下に波及し、またインドネシアに波及し、その他アジア諸国まで波及し、アジア通貨危機という経済危機が訪れました。こういったことが発生するので注意しなければなりません。
皆さんの記憶のあるところでは、2008 年のリーマンショック、これはアメリカのサブプライムローンという貧困層に対する住宅ローンの貸し付けですが、どんどん貸付け、アメリカ経済がバブルになっていました。ところが貸し付けたものが回収できずこげつきが発生し、結局リーマンの倒産が起こり、アメリカ経済への不安から一挙に世界的な金融危機になりました。
日本はずっとリーマンショックから立ち直れなくて、日本の株は、1 万5~6,000 円から6,000円くらいまで落ちました。そうすると差額は約1 万円、70 パーセントほど落ちたと思います。株を持っていた人たちは、一挙に70 パーセン分の含み資産が消えてしまうわけです。当然、信用力も落ちるということで経済危機に陥って、ずっとこのところ低迷をしてきたわけです。
今盛んにアベノミクスという、この先どうなるか私も読み切れないところもありますが、少なくとも株価は1 万1,000 円くらいまで戻っています。つい最近、去年の11 月くらいまで、8,200円くらいが今1 万1,000 円まで回復しています。こういう経済危機の同時発生についてグローバリゼーションの中で十分に注意していく必要があります。
それからグローバリゼーションの中で、国際政治の不安定化をよく見ておく必要があります。不安定化の一つの例として、東西冷戦の終焉があります。
これは1989 年にルーマニアのチャウセスク大統領が革命にあって暗殺され、ルーマニアが民主化されました。それが引き金となって、東ドイツ、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、いわゆるソビエト連邦の東側のブロックが崩壊していく。当然、1992 年にソビエトも崩壊するわけです。
私はよく日本人に質問するのですが、東西冷戦が終わったことをどのように思っているのかと聞くと「世界が平和になってよかったです」と言われる方もすごく多い。東西冷戦が終わって何が起こったかというと、アメリカの独り勝ちです。アメリカは世界の警察として1990 年から2000 年くらいまでの10 年間、世界のいろんな国際政治をウォッチングするウォッチドッグになって行くわけです。それでは、アメリカが世界の警察をやってくれた1990 年から2000年の間は本当に世界は平和になったのかということをよく考えてみなければいけません。
たとえば、右に示す図は世界の紛争マップであります。1950 年~59 年の間は植民地化されたところが独立する運動による戦争が、特に第二次世界大戦のあとに起こります。そういう紛争が半分くらいを占めています。これと1990 年代の紛争マップと比較すると減っていますか?確実に1990 年代の方が紛争が余計に増えています。
なぜかというといわゆるアメリカを中心とする西側グループと、ソビエトのバックアップを受けているグループの力が均衡していた状態が、一挙に東側ブロックが消えたものですから、力のバランスが変わってしまったわけです。それが紛争の引き金になって紛争が起こっています。残念ながら世界の警察だったアメリカがこれを十分にコントロールすることができず、今も紛争はさらに拡大し世界はどんどん不安定化しているとい
うのが実際のところであります。従いまして、東西冷戦の終焉というのは世界を安定化させたのではなくて残念ながら不安定化させたというのが実態であります。
特に1990 年~2000 年の間にアメリカが世界の警察をやっているときに、アメリカに対して猛烈に反発したグループがいるわけです。これは当然イスラム世界でありその筆頭がアルカイダといわれるテログループであります。2001 年9 月11 日にアメリカ本土を攻撃する、その結果として、アフガン戦争が生まれさらにはその延長上に、イラク戦争まで起こる。アメリカという国は内政を安定させる時には国民の目を外に向けるという傾向がありまして、結果的にそれが戦争になることが多々あるわけです。現在の状況からすると、イランとどうするのか、北朝鮮は大丈夫か、アラブの春の延長上にアメリカ西洋社会とアラブとの関係はどうなるか。ソマリア、モザンビークでいまだにテログループとの戦いがあります。そういった不安定化はずっと続いております。
それから、経済的側面ではBRICs、これはG5やG8の他に、ブラジル、ロシア、インド、中国という経済的に急成長している国であります。歴史は繰り返すと言われています。1500年代の世界のGDP の50 パーセントはインドと中国が占めていたという明確な統計がございます。非常にこの大きな歴史のうねりの中で再度、世界経済、世界政治においてインドと中国のパワーが非常に強くなってきています。それが様々なところで不安定要素にもつながっています。
また東アジアの不安定性があります。日本は戦争に負けました。負けてもうわれわれ平和国家だ、憲法9条だと、戦争のことについて話をするのは嫌だ、我々は戦争については話をしないのだといった学校教育をやってきた側面が多々あります。結果的に、日本国民は正確に世界の政治情勢や世界の紛争問題について、十分に理解していないというのが事実であります。日本という国自体が実は紛争地域の中にあることも日本人は理解をしていない。どういう意味かといいますと、今半島で北朝鮮と韓国はまだ戦闘状態にあるわけですから、いつ何がおこってもおかしくないという状況ですし最近の中国の問題であります。
皆さんは中国をどのように見ていますでしょうか? 私が2000 年頃に講演で地方に行ったときに、「東京に10 回出張する機会があるのなら、うち5 回は中国に行きなさい」と盛んに言ってきました。それくらい2000 年というと中国は急成長していて、その急成長をよく見た方がいいよと言ったのですけど、だいたい一般の方々の反応は「確かに中国は成長しているかもしれないけれどあそこはソフトが全然だめですよ」という反応で、完全にルックダウン、見下げているわけですね。今、皆さん中国のことをどう思われていますか? 私はどこかでまだ見下げているのではないかと思いますが、世界の評価は全く違いますから。世界の評価はみんな中国です。つい最近の例では、フランスの前大統領のシラクはジャパンパッシングですね。日本には寄らず中国に行っています。日本に来るのは相撲が好きだから来る、別に日本とは政治的な話をしても仕方がないから政治的な話をしないで帰ってしまう、ということが起こっていました。つまり日本の置かれたポジションを一般の方々は十分にご認識されていないのだと思います。ですから、ここにきて急に中国が尖閣列島問題で出てくる、そうすると日本も非常にヒステリックな対応で国有化してしまう、ますます問題は先鋭化してしまいます。これは中国が日本とだけ領土問題を抱えているわけでなく、ベトナム、フィリピンともやっています。そういう隣国と一緒になって、領土問題を考えていくことをやっていかなければならない。
まず、日本の一般の方々が自分たちの平和ボケをよく理解してもらわないと、なかなか世界の情勢を読むことができないと思います。今申し上げたように世界は非常に不安定化、多極化をしていますが、ここに2つのシナリオを示します。
1つは、もう亡くなられましたが東京大学の国際政治学者である鴨武彦先生。彼は冷戦終焉後の世界がどうなるかというと、まずはアメリカの一極軍事支配だと、これは当たっています。1990 年~2000 年まで、アメリカは世界の警察としてやってきた。次に鴨先生はどんどん多極化していくと言っており、これも当たっています。
もう1つはハーバード大学の国際政治学者ハンチントンのシナリオ。彼は1992 年に「文明の衝突」という本を書いています。この中で彼は、世界は8大文明に分けることができる。これは中華文明、ヒンズー文明、西洋文明、アフリカ文明、ラテンアメリカ文明、日本は特殊だから一つの文明としてカウントすると彼は言っています。冷戦後、8大文明がお互いに衝突をしながら、いろんなところで紛争が起こり不安定化が進むとハンチントンは言っています。
1つ、ハンシントンが困ったことを言っているのはこの8大文明が最終的に7代文明に集約されるだろう、つまり1つ文明が消えてしまうと。そして消える文明は日本文明であり、日本文明は中華文明に吸収されるだろうと言っています。そういったことはないのだろうと私は思いますけど、そういう見方をすることも世界の多極化の一側面と思います。
それから、首脳会議をご覧になったらわかると思いますが、昔はG5、イギリス、フランス、アメリカ、日本、ドイツ、この5カ国が話しあえば、世界経済は決まったのです。ところがもう今やそれでは全然決まらない。G20 です。20 カ国集めて世界の経済の話をしないと話がまとまらないというところまで多極化をしています。世界化の下での都市問題もうひとつ都市化の話をしたいと思います。
まず皆さんに考えてもらいたいのですが、西暦0 年の世界人口はどれくらいだと思われますか?西歴0 年の世界人口は3億人です。1900 年に世界人口は15 億になります。1900 年から50 年後の1950 年、昭和25 年の世界人口は25 億、ということは1900 年から50 年間かけて人口は10 億人伸びました。ところがそのあと1950 年から1987 年、わずか37 年で人口は倍増しています。25 億から50 億になっています。それまでのトレンドを見ると10 年ごとに10 億人口増えています。2011 年にはとうとう70 億に達しています。現在の推計できますとこのあと人口増加が徐々にサチュレートして参りまして、今世紀末にだいたい90 億~100 億の間で人口が静止するのではないかと思います。これも出生率の読みでころころ変わってくるわけですが、いずれにしろ1950 年に25 億だった人口が50 億になり、60億になり、70 億になる、この人口増加が世界のすべての問題を起こしているといっても過言ではないと思います。
たとえば不安定化、紛争もこの人口増が関わっているという側面があります。当然人口が増えればそれだけ食糧危機が訪れます。様々なレアメタルや自然エネルギー、鉱物、こういうものの取り合いが発生します。当然、国と国との争いが発生してくるわけであります。結果的には、この人口増加が地球の温暖化と密接に関わっているのは明らかです。地球の温暖化は、先に成長してしまった先進国とこれから成長しようとする発展途上国との激しいいがみ合いを生むという結果も招いています。このように人口問題は世界を考える上で切っても切れない問題になっています。
さらに、この人口問題の中で都市化という問題があります。2008 年にとうとう都市に住む人口が田舎に住む人口を追い越してしまいました。非常に速いスピードで、都市化が起こっております。1985 年ほんの30 年前の都市化率が40 パーセント位、2008 年にはもう50 パーセントを超えています。今の推計でいくと2030 年には60パーセントになってしまう。そうすると、都市はどんどん人口を受け入れその人たちの面倒を見ていかなければならない。ところが、そういう都市では実はインフラは全然整備されておらず十分な手当てができない。何が起こるかというとスラム化が起こります。
一方で、都市化というものと経済成長はものすごく密接につながっています。右は何を表しているかというと、縦には都市化率をとっています。横には、一人当たりのGDP をとっています。これを見ますと、都市化率50 パーセントを超えたあたりから経済が
急速に成長します。まだ2008 年に世界の平均の都市化率は50 パーセントを超えたばかりですから、これから一挙に経済成長する、そういった発展途上国がたくさん増えてきます。経済成長することはとてもいいことですがそれが国民に平等に配分されているかどうか、ということが非常に大きな問題点であります。
国の富が国民に平等に配分されているかどうかを図る指標として「ジニ係数」を使います。これは1990 年~2010 年までの20 年間でジニ係数が広がったか狭まったか計算したわけです。そうすると、ネパール、チャイナ、カンボジア、スリランカ、バン
グラディッシュ、これらはみなアジアですが格差が拡大している。何が起きているかというと、富める者はどんどん富める、貧乏人はいつまでも貧乏だということが世界で起こっております。
それが今度はひとつの国の中で問題を起こしてしまいます。1つの国の中で、光の経済と影の経済の2つを見ることができまして、1つに都市と農村との水平格差、都市はどんどん成長し農村は取り残されていきます。都市の中を見ると富裕層はどんどん富め、貧困層はいつまでも貧困。こういったことと人口とは密接に関わってきます。それは都市と農村を見ると都市の方が富めるから、人は農村から都市に移動してしまう、当然貧
困層が移動するわけですから、都市に入ると貧困層に入っていってしまう、そうすると富裕層はそうした貧困層を低賃金労働者として使って、特に発展途上国では工場でそういった人を低賃金で雇って生産コストを下げて世界競争に勝って行くという姿が出てきます。
このように非常に大きな格差社会が出きます。「都市格差」は「経済格差(給与が安いか高いか)」、「空間的格差(家があるかスラムに住むか)」、「機会格差(きちんとした仕事があるかどうか)」、「社会格差(公共サービスが得られるかどうか)」に分けられます。
右の写真を見て頂くと、右側にいわゆる富裕層の立派なコンドミニアムがあり、その横に線を引いたようにスラムが広がっています。これは発展途上国のいたるところで見られます。こういった非常に大きな都市化と格差という問題が世界中で大きな問題となっています。
参考に申し上げますと、アジアの都市化率はまだ42 パーセントです。2026 年にだいたい都市化率50 パーセントと言われておりますからアジア経済は2026 年から引き続きぐっと成長していく、そういう可能性が非常に大きいということであります。
このように世界化の問題、それから世界の不安定化の問題、人口に端を発する都市化と格差という問題、こういったことが世界で起こっているわけでありますが、そういった中で石川県はどうするのという話をしたいと思います。
石川県のポジショニング
まず人口の話です。これは日本の総人口の長期的推移であります。西暦800 年に日本の総人口は600 万人くらいでした。それが徐々に伸びてきて江戸時代は3000 万人。そのあと明治維新で一挙に日本は近代化し、生産性が伸びたものですから、食料だけでなくて産業の近代化も起こり生産性があがって人口は急上昇していくわけです。それが2006 年に1億2,744万人で日本の人口はピークを越えて人口減少期に入りました。2050 年にはおそらく1億人を切ってくるというのが今の人口推計でありまして、今世紀末にはだいたい6,000万人、つまりピークの半分ということです。今アベノミクスでは、盛んに経済成長、経済成長と言っています。政治家としては、国民が生活、経済状況の改善を望んでいるのですから経済成長と言わざるを得ないのです。しかし実際に1億2,000 万あった人口が、今世紀末に6,000 万になって、今と同じGDP を維持していけるかというとほとんど不可能です。相当の生産性の改善があったとしても経済は伸びないというのが現実なのです。私からすると、経済成長、経済成長というのではなく、日本の中の人々の生活をどう改善していくかが重要。よく今の自民党も、民主党もそうでしたが、
延びるアジアの経済に手をつっこんで富を得ようというトーンがとても強いのですが考え方としては非常に危ない考え方です。相手国はすぐわかるわけです。日本は金を取りに来たと身構えるわけです。そうでなくてアジアの成長に貢献をする。日本のこれまでの経験から貢献する、結果として少し富の分配が日本にもたらされるというのが本来の考え方、筋論だと思うわけです。はっきりと日本政府内でもいろんな推計をやっているのですけど、なかなか日本の政府としてGDP が下がるなんてことを世の中にいうことはできませんから。
右にゴールドマンサックスが2007 年に推計した数字を示します。ゴールドマンサックスの推計によると2050 年に日本は世界経済の第8番目というのが実態なのです。当然トップは中国です。
その他、モルガンスタンレーがやっており、11 位、韓国にも抜かれるという推計がでているものもあります。これが日本が置かれた状況だということを政治も少しずつ正直な日本の未来像を伝えることが必要なのだろうと私は思います。
そういう中で日本はどうすべきかというと、やはりアジアとともに生きていく、当然中国があまりに強いものですから、現安倍政権においても安全保障問題は日米基軸でやりましょう、経済はアジアです。安部さんもいっているわけでアジアの経済とどうやってうまく付き合っていくかがとても重要なわけです。
右は東アジアの物流ネットワークについて示しています。皆さん北朝鮮というと拉致と核問題しか頭にないのだと思いますが、既にロシア、中国そして韓国は、北朝鮮の東側に高速鉄道を通過させることで合意しています。おそらく10 年以内に、ロシア、中国から北朝鮮を通って釜山に至るまで、ここに非常に大きな大物流動脈ができてきます。私がもともと地図を書いた時には、福岡には釜山との間に定期便もありますし、上海の間にも定期便があります。大陸から来た列車が直接釜山のフェリーにそのまま乗り込んで、その列車を福岡で陸揚げして、今度は日本の国内の軌道にその列車が直接のって少なくとも東京までつっぱしってくる、こういう物流ルートを作り、日本の経済と大陸の経済とを緊密化していくことによって、日本の経済を活性化していくということが大事だと話をしておりました。すると東北勢から徹底的に叱られまして「東北はどうしてくれるのだ」ということで慌てて「それでは新潟から点線引きます」とウラジオストクと新潟と結んだり、青森と結んだりしたのです。残念ながら能登半島から点線をひっぱっておらず申し訳なかったのですが、やはり能登半島としても石川県としても大陸との経済の連携を考えていかざるを得ないと私は思います。
それから、新しい国際経済の考え方があります。京都大学の藤田先生、2年前にノーベル賞をもらったポール・クルーグマンは、「空間経済学」という新しい領域を作っています。彼らがはっきり言っていることは、これからの世界は非常に高度化した都市部と疲弊した周辺部とに完全に分化してしまうということです。もう一人の経済学者リチャード・フロリダは、そういう状況の中でこれからの経済を牽引していくのは「クリエイティブ経済」だと。クリエイティブ経済とは、科学、テクノロジー、アート、デザインといったものが経済を牽引していくことになるというもの。特に、こういったもので牽
引していける都市を「創造都市」といい、金沢市も創造都市ネットワークのメンバーに入っていると思います。創造都市とはいわゆる技術的に非常に魅力的なものを持っており、また多様な人材、これは典型的な例は外国人の数です。外国人の数を増やすということです。それによって都市が多様化していく、外国人など多様なものを引き受けることができる寛容性のある都市、そういう創造都市に変えていくことが大事だとリチャード・フロリダは言っています。彼は創造都市の一つの指標としてホモを認めることだともはっきりと言っています。そしてリチャード・フロリダは、世界はスパイ
キーになる、スパイキーとは“でこぼこ”という意味です。いわゆる情報化論が話される時に世界がフラットになると言う人が大勢います。情報化が進むと、どこにいても情報がとれますから、別に東京にいなくてもいいのだということを盛んに言っていた人がいましたけど、リチャード・フロリダは全くそれを否定しており、フラット化する兆候は全く見られないと言っています。
そして彼は、具体的にいろんな手法で世界は40 のメガ地域にほぼ集約されるだろうと言っています。この40 のメガ地域には、人口の18 パーセントしかおらず、その18 パーセントが世界経済のだいたい66 パーセントを占めるだろう、そしてイノベーション、特許の86 パーセントを占め、トップクラスの科学者の83 パーセントがこのメガ地域に集中すると言いっています。
つまり、ものすごく大きな巨大な格差世界が現れるということがリチャード・フロリダが言っていることです。
右は北米のメガ地域です。北米であっても、成長するところと成長しないところがはっきりわかれています。中央部はほとんど成長しない形になっています。北米はだいたい直径8,000 キロの円ですが、ヨーロッパは直径3,000 キロですから、日本列島をぐるっとまわせばEU の中心部が全部入ります。だからかなり集中した形でメガ地域が
存在しています。
問題はアジアです。アジアにはいくつかメガ地域がありますけれど、皆さんのご関心は日本だと思います。日本には40 のうち4つのメガ地域が入っています。札幌都市圏、Greater 東京、大阪、名古屋、そして福岡北九州というエリアです。石
川県はどうなっているかというと、大阪、名古屋につながっています。一瞬消えているように見えますがつながっています。彼は北陸新幹線が来ることを想定していないため大阪名古屋に入っていますが、Greater 東京にくっつくのかもしれません。
問題なのは石川県の能登半島の先端が切れていることです。これは半島振興問題として別途取り扱わなければならないと私は思いますけど、いずれにしろ石川県はリチャード・フロリダがいう40 のメガ地域の一部に入っているわけですから、創造都市として成長していけるポテンシャルがあるのだと考えていいと思います。
従いまして、石川県の目指す方向として私は3つお示し致します。
まずはやはりアジアの市場をターゲットにしていくということであります。次に県土をアジアに開くということです。中国人をルックダウンしないで、どんどん中国人が入ってきていいじゃないかという形で県土をアジアに開き多様な県土を作っていくことだと思います。そして、経済としてはクリエイティブ経済を狙っていく必要があるのでないかと思います。
石川県の国際事業展開
具体的に石川県の国際事業をどう展開するかという話ですが、まずは海外へ向けた挑戦ということです。石川県の場合、ニッチトップ企業、建設や工作機械など中国にたくさん進出しています。最近バンコクにも行っていると思いますがやはり
こういうところにどんどん進出して、たとえ中国との仲が悪くなってもうまくやっていこうというサポートが必要になってくると思います。
それから伝統工芸産業。なにも九谷焼や加賀友禅を持っていって海外で売れと言っているわけでなくて、そこで培われた様々なテクノロジーを海外で活かすことができないか、本日も友禅染の先生のところに行って参りましたが、彼は友禅染のテクニックで非常に薄い生地を友禅染めしパリコレで使ってもらっています。そういった新しい分野、伝統工芸産業を海外進出の新しい何かに使っていくことに努力をしてもらえないかと思うわけであります。
3つめは街づくりの輸出産業化。金沢の都市計画はすばらしいものです。アジアではこれから50、60 万都市が伸びていくわけです。金沢なり石川県がもっている様々な街づくりのノウハウをコンサルタント業として海外に持っていく。そういうことも一つのビジネスとして考えていけないかと思います。
それから国連ビジネスです。石川県に国連のユニットがあるわけですから。先ほど申しあげましたとおり国連ハビタットアジア太平洋本部は年間1,000 億円くらいの事業をやり、年間20 億くらいの黒字を出しています。先ほど申しましたとおりレギュラーバジェットとエクストラバジェットがあって、国連人間居住計画アジア太平洋本部は、自分たちでお金をEU やアメリカから持ってきて7パーセントのオーバーヘッドをとるわけです。粗利益です。プロジェクトスタッフはプロジェクトのバジェットでやっていますけど、福岡のアジア太平洋本部の職員の給料は粗利益から払っています。そういうものを全部差し引いても年間だいたい20 億円くらいの黒字を出しているのが国連人間居住計画アジア太平洋本部で、これは完全にひとつの国連ビジネスのモデルなのです。石川県もそういう国連ビジネスをよく考えてもらわないと、研究ばかりやっているのが能ではないなと私は思います。
それから、もうひとつは革新的創造的交流の場というのを作っていかなくてはならないと思っておりまして、まずは観光です。これはインバウンド、アウトバンドともに活性化をさせるということですし、先ほども少し話をした能登空港をどう使っていくか、これには営業マンが必要です。営業マンがちゃんとした旅行会社と組んでツアー、チャータードフライトを行う。台湾だけでなく、韓国や中国本土からもいろいろチャーター便をもってくることを考えなければならない。
そういうものの受け皿として食という問題があります。日本の食は中国人にとってものすごく魅力的なのです。ですから石川県の食文化のブランディングをして観光とタイアップしていくことを考える必要があります。
最後に集積した高度教育機関の活用。聞くところによると、19 の大学があると聞きましたけれど、高等教育機関には1年間に少なくとも10 回は国際会議をやってもらわなければいけません。MICE です。各大学に国際会議を1年間に10 回やってくれと県なり市からお願いしてやってもらうことはとても大事なことだと思います。
そして人材の多様性ということで、これも高等教育機関に関することです。金沢大学の教授の外国人比率がどれだけか存じ上げておりませんが、少なくとも3分の1、外国の教授を迎えるということが必要と思います。できれば半分。大学内のコミュニケーションが主に英語になってきます。そうすると、ますます留学生が来やすくなります。
そして日本人学生の英語の能力が上がってきます。私は、全部英語でやれとは絶対いいません。半分は日本語で、半分は英語という形で大学を改革していってもらいたいと思いますし、そういうとをやっていくと非常にグローバルな人材が育ってきて、英語だけでなく中国語、韓国語のスペシャリストも出てくると思います。
それから皆さんにぜひお願いしておきたいのが、留学生をかわいがってもらうとうことです。留学生というのは、クリエイティブクラス、将来のクリエイティブクラスの卵なのです。石川県に来た留学生は、出来るだけ石川県で留まって採用してもらう、石川県の企業に門戸を開いてもらって留学生を採用してもらう。そういうことやっていくことで石川が非常に多様な地域として生まれ変わって行くのではないかと思います。
私の話は以上でございます。
質疑応答
Q.アジアの安定化にむけ日本がすべきことは?
A. アジアも不安定化しています。それは中国の急成長が1つのポイントとなっております。
不戦の願いを持って我々は将来を歩んで行かなければならないと思っています。今、尖閣列島一つをとっても、中国を見下げるような形で対応することだけは絶対に避けなければならないと思っています。
アジア太平洋の安定化に対してどういうことができるかというと、パートナーシップを
組んでいく、APEC という共同の話し合いの場もありますし、首相同士が顔を合わせる場を頻繁に作っていくことがとても重要なことです。今の日本と中国のようにそれぞれの政治のトップが会うこともできないという状況は絶対に避けなければなりません。
従いまして、尖閣の問題をどう取り合っていくか、尖閣列島の国有化をやめると右側か
らバーンとやられますので非常にハンドリングとしては難しいのですが、なんとか着地点を見つけて政治と経済は別物だという理解をしながら経済問題については正常化して話をしていく。アメリカが言うように尖閣問題棚上げということも一つの選択肢としてあるのかもしれませんし、できるだけ紛争の火種になるようなことを消し去っていく。そのためにはきちんと皆さんが同じ土俵にたって話し合いが出来る場を設けていくことが重要です。
何度も言いますが、日本はつい最近まで大国論者でした。経済大国にはじまり、生活大
国、環境大国とずーっと大国だと日本政府は言ってきました。日本人がふんぞり返った状態で気がついたら日本経済がガタガタになっていたというのが現状なのです。しかし、慣性がついているものですから日本は偉いのだと皆思い過ぎています。もっと同じ目線でアジアの国々と話をする、これがアジアの安定化に日本が貢献できる道ではないかと思います。
Q. 農村部を救う手立ては?
A. 限界集落をはじめ、ハンディキャップ地域と呼んでいる地域を救う手立てはないのかということですが、率直に申しますとその地域が持っている経済的ポテンシャル分しか維持していくのは難しいということです。もちろん例えば能登半島であれば、能登空港を使った新しい経済、産業、観光を中心とした開発もできますが、限界集落のすべてを維持していくことは相当難しいと考えたほうが良いと思います。
日本の公共投資、国土交通省の予算は2025 年には新規投資をすることが不可能になります。公共事業費はすべて、今あるインフラの維持管理に使われます。そういう状況の中で新しいインフラを作ることはほとんど不可能なことで、新幹線が金沢にくるというのは、ほとんど奇跡だと思われてもいいと思います。
今後何が起こるかというと、今ある能登半島の幹線から枝葉のようにでている県道など
も将来的は維持管理できなくなります。そうなりますと能登半島の中でも一部のところにある程度集約しながら、コンパクトシティを作り、そのコンパクトシティが持っているポテンシャルに見合う形で産業振興をやっていくことになると思います。
私は政治家ではないので、率直なプランナーとして事実を申し上げると、残念ながらそ
ういうことになります。
Q. クリエイティブ都市になるには?
A. クリエイティブな動きは、なかなか自分では見えないということなのかもしれませんが、金沢はかなりクリエイティブなシティだと私は思っています。今日も友禅染や金箔など様々な所を見ましたが、伝統工芸産業を新しいことに応用しようと努力されている方が何人もおられるということですから、私はかなり期待していいのではないかと思っています。金沢には、伝統もありますしポテンシャルとしてはかなり高い。
ただ伝統があるということは、それだけしがらみもあるということですから、しがらみ
をどうやって突き破っていくのか。そういうときに外国人が重要となってきます。新しい血を入れる、そうやってしがらみを突き破っていくこともあります。できるだけ多様な人を石川県で受け入れることが重要です。例えば留学生を大事にし、地元に残ってもらう、これからの方向として貴重な財産になると思います。
以上