野田順康 

つぶやき

アジアの都市・経済成長と格差の関係に関する一考察

2009-12-07 15:43:32 | Weblog
アジアの都市・経済成長と格差の関係に係る一考察
A study on relationship between inequality and economic growth in Asian cities

1. はじめに
 経済活動は物理的な空間の中で発生している事象であるが、一般に経済学や経済分析においては空間の利用のあり方が十分に考慮されてこなかった側面がある。さらに強く指摘するとすれば「経済学者はほとんどこの問題に取り組んでいない(ポール・クルーグマン;自己組織化の経済学p17)」ということになる。
急成長するアジアの経済を分析する場合にも、空間的な視点が弱いと考えられることから、本論においては、経済成長のエンジンとなっている都市に着目し、経済成長と都市化の関係、経済成長と都市内格差及び地域間格差の関係について検討する。また、アジア地域の急速な経済成長の結果、都市内の垂直格差(富裕層と貧困層)と国内の水平格差(地域間格差)が同時に拡大している事を把握し、この格差の拡大が一方でさらなる経済成長に寄与している側面があることを考察することとする。

2. 都市成長・都市化の経済理論
 経済学的視点から都市と空間的問題にアプローチした先駆的モデルとして考えられるものは、フォーン・チューネンの考え方と言われている(Von Thunen Model;1826) 。①生産費用と輸送費用の和を最小にするための土地分配、②農家と土地所有者の一般競争下における土地分配を前提とした都市形成を想定したものであるが、あくまで限定的なモデルと言わざるを得ない。
次に基本となる空間的アプローチとして中心地理論がある(Christaller;1933、 Losch; 1940) 。規模の経済と輸送費用の間のトレードオフによって格子模様状に中心地が形成され、中心地には階層性が発生するとした。しかしながら、中心地の形成と市場競争や家計の行動との関係は明らかにされておらず、本理論も経済モデルとしては限定的である。
 1990年代に入り、経済の空間的側面に関する理論的・実証的研究は急速に進んだと言われている(藤田昌久、ポール・クルーグマン他「空間経済学」序文) 。Helpman, Grossman, Krugmanや藤田等の研究によって内生的成長の研究が進み、集積の経済と複数地域の中心を持つモデル分析がなされ、空間経済学の領域が確立された。いかなる場合に経済活動の空間的集中が持続可能となるのか(集積力)、また空間的集中が無い場合、いかなる場合に対称性のある均衡が不安定なるのか(分散力)の二つの命題を理論的に説明しようとする試みである。近年、Krugmanは①グローバリゼーションによる生産拠点の集積化と②高度技術化された都市中心部と低開発の周縁部の分化について理論的に説明している 。
ここに至り、グローバリゼーションと経済成長が都市化をさらに促進していることが理論的にも明らかになりつつあると考えられる。 

3. アジアの経済成長と都市化の動向
アジア地域は、めざましい経済成長を遂げるなかで、世界経済における重要性をますます増しており、世界的に高い注目を集めている。 例えばGDPについて見ると、1993年には世界全体の9%であったが、2005年には27%へと上昇している 。アジア全体の経済成長率は、70年代の5%台から90年代の7%台へ、また2000年台に入っても引き続き7%台を維持している。アジアでは、高成長を続ける東アジアに加え、南アジアでも成長が加速しており、成長の自己増殖的広がりがみられる。
経済成長(1人当たり実質GDP水準)と都市化 の関係を見ると、アフリカの一部地域を除き両者の間には正の相関関係があり、アジア地域においては経済が成長すれば都市化が進むことは明らかと考えられる(世界銀行;World Development Indicators)。また、都市化による「集積の経済」のメリットによってさらに生産性が向上することになる。                                         都市化の動向を都市地域人口の比率で見ると図1のとおりである。人口自体の急増もさることながら、世界的に急速な都市化が進んでおり、2008年に世界平均で都市化率は50%となった。アジアにおける都市化は現時点で42%であるが、グローバリゼーションによる生産拠点の集積を考えれば今後の急速な都市化が予測される。国連推計によれば2023年にはアジアの都市化率も50%を超えるものと予測されている。 
 また、このような都市化はクリスターラーの中心地理論で整理された階層性を確実に有しており、人口1000万人を超えるメガ都市ばかりに人口が集中するのではなく、むしろ階層性の低い人口50万人以下の都市に張り付いていくのである(表1)。

4. アジアの経済成長に伴う格差の拡大
 アジア地域の経済成長の結果、一般に絶対的貧困層(一日1ドル以下の生活者)の総数は減少しており、経済成長は貧困対策に寄与していると言われている。しかしながら、所得・消費について過去10年前後のジニ係数の変化率をみると格差の拡大している国の方が多い(図2)。適切な富の再分配構造が存在していないことから、富裕層により多くの富が分配されたものと想定される。
 都市部に着目して所得・消費のジニ係数の変化率をみても、多くの国でその格差は拡大しており(表2)、都市内部でも富める者はより富を得て、貧しいものは何時までも貧しいという構造が明らかとなっている。特に上述の都市化との関係を考えれば、地方部から都市部に移動した者は富裕層よりも貧困層に帰属する確率が極めて高く、結果的に都市部の格差の拡大を促すものと考えられる。
また一方、ネパール、カンボジア、スリランカ、バングラデシュにおいては、全国平均の変化率が都市部の変化率よりも大きいことから、都市化に伴う地域間格差の拡大の方がより深刻であるものと想定される。これは、公共投資等の所得の地域間再分配が不十分であることをうかがわせるものである。
このように、アジア地域の経済成長は絶対的貧困層の減少には寄与しているものの、都市部内の垂直格差(富裕層と貧困層)と国内の水平格差(地域間格差)の拡大という社会的不安定要素を含みながら進んでいる。


5. 経済成長と格差の相関性
 経済成長と格差に関する研究は伝統的に貧困、成長、格差の三角関係を分析するものが多いが、本論では経済成長、都市化、格差の三角関係を考察する。すなわち、アジア地域においては、経済成長が都市化を促進し、また経済成長と都市化が格差を拡大し、この格差の拡大がさらに経済成長に寄与するのではないかという仮説を論じる。
 成長と格差の関係については、格差と一人当たり所得の関係が逆U字型曲線になるとするKuznetz仮説が様々に議論されてきた。同仮説に対しては、不平等や所得の分極化が経済成長とともに増加するという傾向は見られないとする報告(Ravallion and Chen, 1996)や一般に所得格差は経済成長にポジティブに働くとする報告(Forbes, 2000)など様々な評価があり、現在のところ必ずしも頑健な関係はないというのが多数説となっている。
ここでは、図3に示したCornia等の考え方に着目する 。すなわち、ある範囲の格差は経済成長に寄与するというものであり、Cornia等はこれを”efficient inequality range”と呼んでいる。本論においては、この妥当性を検証するために、図2に示したアジア諸国における所得・消費格差のジニ係数の年平均変化率と一人当たり所得・消費の年平均変化率の相関係数を推計した(図4) 。利用した統計上の問題点(データの取得期間の相違等)はあるものの、結果として相関係数は0.8538となっており、ここでは経済成長と格差の間に正の相関があると考えられる。
図3に示した曲線を前提とすれば、アジア諸国の格差は経済成長にプラスに働くレンジに位置しているものと推量され、上述した経済成長、都市化、格差に係る仮説の裏づけとなる。


6. アジアの都市経済成長モデル
 アジア地域は、1990年代以降、1998年の金融危機は経験したものの、他地域と比較して高い経済成長を達成している。これはKurugmanが指摘するように、アジア地域においては、都市の強い国際競争力を背景に、グローバリゼーションによる生産拠点の集積化が進んだ結果と理解される。この強い国際競争力を生むメカニズムとして、経済成長が都市化を促進し、また経済成長と都市化が格差を拡大し、この格差の拡大がさらに経済成長に寄与するという都市経済成長モデルが想定される。
また、都市部における所得・消費のジニ係数の変化率と経済成長の相関関係が相対的に低くなるという結果を踏まえると、地域間格差の方が経済成長との相関が高いと考えられる。すなわち、地域間格差が拡大する中で 、アジアの諸都市は地方部の労働力(貧困層)を低賃金労働者として都市で雇用し 、強い国際競争力と経済成長を達成しているものと推量されるのである 。アジア地域の都市化率が相対的に低いことを考慮すると、まだ豊富な低賃金労働力を地方部に保有していることになり、今後も同様のメカニズムの中で、都市化と経済成長が進んでいくものと思料される。
 
7. 政策的視点
 仮説的に示したアジアの都市経済成長モデルは豊富な地方の労働力に支えられて暫くの間は維持されるものと思われるが、Cornia等の逆U字曲線が示すように格差が拡大しすぎると経済成長に負の影響を与えることになる。これまでの研究においても、所得・消費の不平等が経済成長に負の影響を及ぼす(Benabou; 1996, Perotti 1996), 高いレベルの不平等は将来の経済成長を妨げる可能性が高い(Ravallion 2005)といった指摘がなされている。
従って、アジア地域においては格差の負の影響が発生する前に、適切な格差是正政策を導入することが不可欠と考えられる。富裕層から貧困層への富の再分配、都市部から地方部への富の再分配を実現することによって、より中間層を拡大し自国内の市場経済を活性化することにより経済成長を達成することが重要となる。この場合、わが国が1960年代以降に導入した税制による所得再分配や特別会計、公共投資による地域間格差是正政策は大いに参考になると考えられる。

8. おわりに
 本論はまだ十分に都市・経済成長と格差の関係を分析するに至っていない。例えば格差自体についても全国と都市部のみの分析を試みたものであり、地域間格差の統計的処理は行っていない。また、経済成長と格差の因果関係を把握するためには、投資や労働力を含めた回帰分析的アプローチが必要となる。アジアの都市の国際競争力についても、単に豊富な低賃金労働者だけで説明できるものではないので、他の要因も含めたさらなる考え方の整理が必要である。
一方、政策的提言をするに当たっては、アジア諸国の所得の再分配構造を整理することが前提となるため、具体的に個々の国の再分配政策を把握する必要がある。また、アジアの経済成長が環境を犠牲にしながら進んでいることを鑑みると、単に経済成長至上主義の提言は避けざるを得ない。環境とのバランス、それに必要なガバナンス問題も含めた提言のあり方について検討することとしたい。

(巻末参照)
1. 図1:人口の増加と都市化
    World Urbanization Prospects, the 2007 Revision Population Database, Population Division, Department of Economic and Social Affairs, United Nations
2. 表1:アジアにおける都市規模別の人口増加
World Urban Prospects
3. 図2:消費・所得に係るジニ係数の変化
アジア開発銀行推計 (ADB; Key Indicators 2007 Volume 38, Page 8)。世帯当たり所得のジニ係数の年平均変化率または一人当たり消費額のジニ係数の年平均変化率によって格差の変動を推計している。データのアベイラビリティにより、韓国、台湾、中国については世帯当たり所得について推計、他は一人当たり消費額について推計している。データの取得期間:アルメニア(1998-2003)、アゼルバジアン(1995-2001)、バングラデシュ(1991-2005)、カンボジア(1993-2004)、中国(1993-2004)、インド(1993-2004)、インドネシア(1993-2002)、カザクスタン(1996-2003)、韓国(1993-2004)、ラオス(1992-2002)、マレーシア(1992-2004)、モンゴル(1995-2002)、ネパール(1995-2003)、パキスタン(1992-2004)、フィリピン(1994-2003)、スリランカ(1995-2002)、台湾(1993-2003)、タジキスタン(1999-2003)、タイ(1992-2002)、トルクメニスタン(1998-2003)、ベトナム(1993-2004)。
4. 表2:都市部における消費・所得に係るジニ係数の変化
    UN-HABITAT, Global Urban Observatoryによる推計
5. 図3:格差と成長の関係
    Cornia, G.A. and J. Courtによる(2001年)
6. 図4:経済成長と格差の相関
    アジア開発銀行のデータに基づき推計した。


(参考文献)
1. ポール・クルーグマン「自己組織化の経済学」東洋経済新報社、1997年、北村行   伸等訳
2. 藤田昌久、ポール・クルーグマン、アンソニー・ベナブルズ「空間経済学」東洋経済新報社、2000年、小出博之訳
3. ポール・クルーグマン「クルーグマンの視座」ダイヤモンド社、2008年、北村行伸訳
4. 黒田達朗、田淵隆俊、中村良平「都市と地域の経済学」有斐閣ブックス、1996年
5. 大坪滋「経済成長―不平等―貧困削減の三角関係に関する一考察」2007年
6. 酒巻哲郎「東アジア諸国における地域格差と国土政策」開発金融研究所報、2006年
7. 吉田恒昭「アジアの経済成長と貧困削減 - 実績と将来の開発援助戦略への示唆」21世紀の開発戦略研究委員会報告書、2000年
8. 山本壽夫「都市の自己組織化と都市成長管理」地域政策研究、2004年
9. Asian Development Bank “Key Indicators” 2007
10. Cornia, G.A. and J. Court. (2001) “Inequality, Growth and Poverty in the Era of Liberalization and Globalization.” UNU-WIDER Policy Brief No. 4
11. UN-Habitat “State of the World’s Cities – Harmonious Cities” 2008
12. Yannis M. Ioannides/Esteban Rossi-Hansberg (2005) “Urban Growth” Working Paper, Tufts University
13. Forbes, K.J. (2000) ”A Reassessment of the Relationship between Inequality and Growth” The American Economic Review
14. Benabou, R. (1996) “Inequality and Growth” NBER Macroeconomics Annual, Cambridge
15. Perotti, R. (1996) “Growth, Income Distributions and Democracy; What Data Say.” Journal of Economic Growth
16. Ravallion, M, (2001) “Growth, Inequality and Poverty: Looking Beyond Average” World Development, (2005) “Inequality is Bad for the Poor.” World Bank Policy Research Working Paper, No. 3677

九州経済学会年報2009年12月第47集より転載