能古島から見る博多(福岡)をとても気に入っています。
最近になって博多は国内的には成長都市として注目を集めていますが、私はもう30年も前から博多は日本の第2エンジンと言って来ました。都市の成長・衰退サイクルからすると、博多は1980年代から成長サイクルに入っており、市政や県政には殆ど関係なく成長を続けているのです。しかし、今のままでは、2035年頃にピークに達し、その後は衰退サイクルに入って行くことでしょう。博多の文化性、歴史観、拠点性を考えれば、さらにアジアの中核都市へ成長することは可能と考えますが、残念ながらその様なチャレンジがなされていません。
国土計画もそうですが、最近はプランニングに対する姿勢が余りに近視眼的です。1979年に国土庁に入庁したころ、国土計画は過去千年のデータを分析し、将来100年を推計して10年間の計画を策定するものだと先輩に指導されました。昨今は10年の計画を作るのに、10年間の事だけしか考えていないように思えます。国の政策も地方の施策も極めて場当り的です。政治には国家史観や民族の魂を議論する余裕もありません。
博多の歴史を眺めれば、どれ程この都市が成長と衰退を繰り返したことか。そのことをベースにこの都市の将来を考える必要があります。
最近になって博多は国内的には成長都市として注目を集めていますが、私はもう30年も前から博多は日本の第2エンジンと言って来ました。都市の成長・衰退サイクルからすると、博多は1980年代から成長サイクルに入っており、市政や県政には殆ど関係なく成長を続けているのです。しかし、今のままでは、2035年頃にピークに達し、その後は衰退サイクルに入って行くことでしょう。博多の文化性、歴史観、拠点性を考えれば、さらにアジアの中核都市へ成長することは可能と考えますが、残念ながらその様なチャレンジがなされていません。
国土計画もそうですが、最近はプランニングに対する姿勢が余りに近視眼的です。1979年に国土庁に入庁したころ、国土計画は過去千年のデータを分析し、将来100年を推計して10年間の計画を策定するものだと先輩に指導されました。昨今は10年の計画を作るのに、10年間の事だけしか考えていないように思えます。国の政策も地方の施策も極めて場当り的です。政治には国家史観や民族の魂を議論する余裕もありません。
博多の歴史を眺めれば、どれ程この都市が成長と衰退を繰り返したことか。そのことをベースにこの都市の将来を考える必要があります。