Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

2012-09-10 | 映画

 

圧倒的な悲劇を目の当りにして私たちは言葉を失ってしまう。

それがリアルタイムで音を立てゝ崩れゆく(呑み込まれる)瞬間を目撃した場合は尚更。

そして起きてはいけないことが現実に起こってしまったという理不尽さや遣り切れなさを抱えながら、

その悲劇からの生還者や安全な処にいて目撃していた人たちは、無意識のうちに、罪障感を抱いてしまう。

3・11も9・11も広島の原爆投下(原作では扱われているらしい)もドレスデンの無差別爆撃にしても、

生存者の多くが、この消えない罪障感に苛まれている。

 

「ものすごくうるさくて、ありあえないほど近い」とは、そんな映画だ。

 

主人公の少年オスカーはアスペルガー症候群といって興味のあるものに対する集中力は高いのだが対外的な能力に障害がある。

そんなオスカーの特性を活かしてトム・ハンクス演じる父は、宝探しのようなニューヨークを舞台にした

幻の行政地区第6区を巡る調査探検を展開している。

このシステマチックに地図を縦横に分割して真相へ迫ろうとするリサーチ能力には目を見張ってしまう(笑)

こういう子供(男の子)の興味を惹きつけて止まない緻密さやホビー感覚いっぱいの茶目っ気は、全篇にずっと溢れている。

そのような全幅の信頼を抱く父を9・11、少年は失ってしまう。

それも誰にも言えない深い心の傷を、ビルが崩壊する最後の瞬間に刻みつけたまま。

 

父の埋葬の日も、「あの中は空っぽだ」と、車のなかに留まり葬儀に立ち会うことを拒否する。

そんなオスカーが父の遺品の中から不可解な鍵を発見したことから、物語は急展開してゆく。

それは父が何時も言っていた「太陽が爆発しても、光を失うまでには8分間のタイムラグがある」

という言葉通り、父との最期の絆を繋ぐ8分間をいつまでも引き延ばすための、未知の鍵穴を探すための調査探検行だ。

このニューヨークを舞台にしたロードムービーのような旅の同伴者になるのがマックス・フォン・シドー。あのベルイマン映画の名優だ。

ずいぶん年を重ねてしまったが、その飄々とした佇まいや温かい眼差しは、少年の頑な心に少しづつ影響を与えてゆく。

この老人がドレスデンの悲劇において言葉を失っている。

筆談と両の掌に記されたYESとNO(おそらく消えないように刻印された)だけで会話するのだが、それ以上になんとも豊かな目やしぐさによるコミュニケーションか。

 

さてもう一点大事なことは、もう一人の残された人、サンドラ・ブロック演じる母の存在だ。

父の死後、ずっとオスカーは母とまともに向き合おうとしない。

ついにある夜、二人が言葉を交わし次第に抑えていた感情を爆発させる瞬間は痛々しい。

「あのときビルにいたのが母さんだったらよかった」

「本当にね…母さんもそう思う」

 「ごめんなさい。母さん、本心からじゃないんだよ」

「いえ、本心よ…」

 

この拭いようもない心の傷を抱いた母子が、後半において思いがけない展開をみせる。

あまり詳細に映画の内容を明かすと、この映画の奥行があらかじめ透けてしまい興味が半減してしまう。

そして、この不思議な題名、「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」の意味も後半に種明かしされる。

エンディングに確かに救いはある。

でも何か物足りなさが残る。

これは9・11以降を描いた文学の金字塔といわれる原作を読まなければ、どうにも解消しようがなさそうだ。

 

  
ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
近藤 隆文
NHK出版

 


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2 コメント

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観てから再度コメントします (ホッホ)
2012-09-11 00:08:34
今日で丁度、11年目の9.11ですね。

まだ、観ていないのでなんとも言えませんが。
オスカーはアスベルガー症候群(高機能自閉症)の設定ですね。
以前仕事関係で高機能自閉症の人を知っているので演技力を診て見ます。

宗教的解釈では、聖ペテロ(オスカー)キリスト(父親)のお話みたいですね。
以上、2点の項目はテーマとかけ離れていますね。
スミマセン。


スティブン・ダルトリー監督の作品のテーマとは?
大事なもの、あるいは大事な人失っていく心の痛みと真摯に向かい合い、安易な「癒し」などには決して迎合しない。
「喪失が僕の作品における最も重要な脈になっていることは間違いないし、それは何時からかは自覚している。
なぜ、哀しみや喪失にひかれるのかは分からない。
それは、フランシス・ベーコンがなぜ教皇をテーマに描いたのか分からないと同じくらい、絶対に解明できないことなんだ」・・・と本人が語っています。

この監督の「愛を読むひと」は観ました。
凄くいい映画でした。男と女の喪失の話です。
最後は、哀しみも喪失します。

大変、「めぐりあう時間たち」「リトル・ダンサー」も借りて観なければ。
痛みの風景を覚醒させる (ランスケ)
2012-09-11 12:09:54
そうですね。意図しないこういう偶然は不思議と重なるものですね。

震災のあった昨年の3/11、私は雪深い石鎚にいました。
二の鎖下の雪に埋もれていた小屋を掘り起し、早めの夕食後、スコンと抗いがたい眠りに落ちていました。
何やらあまり思い出したくない夢をみていたのを覚えています。
その夢から覚ましてくれたのが、ホッホさんからのコール音でした。
その後、ホッホさんから東北を襲った未曽有の災厄を知りました。

あれから一年半です。
昨夜のNHKの報道で、まだ身元不明の遺体が226体あるのを知りました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120906-00000134-jij-soci

そして行方不明者は2339名に及びます。

9・11では、おそらく遺族のもとに還った遺体は、ほとんどなかったのではないかと想像します。
この映画のように空っぽの棺桶を埋葬するケースが多かったのではないかと。
遺族の遣り切れなさは、想像を絶します。

そして福島第一原発事故による立ち入り禁止区域内の東電による住宅の補償額は、時価総額ということで100万円だそうです。
100万円でいったいどんな土地や家が買えるというのでしょうか?
先日の削除記事にしても東電の賠償金に対する審査基準は、この会社には誠意の欠片もないことを証明していました。

あっ、また怒りの矛先が、あらぬ方に(苦笑)


今日は9・11から11年。震災から一年半。
世界史に刻まれる惨事の記憶を風化させないためにも、私は何度でも痛みの風景を覚醒させ続けるつもりです。
早く忘れたがっている多くの人のために。

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