雨の多い夏だった。
八月は山へ行くたびに雨に会う。
そんな夏の終わりを、石鎚山の山懐深く、面河川源流域(仁淀川源流)の通いなれた森へ入った。
雨続きで面河川の水は目も覚めるほど美しい。
これも連日の雨で川苔がつく間もないほど川床が洗われるせいだろう。
今日は珍しく朝から晴れている。
でも、この晴天も夕方までは持たないだろう。
九月に入って、めっきり朝夕は涼しくなってきたが、やっぱり日中は暑い。
鬱蒼とした常緑樹の森を、絶えずどこかで流れる水音を聴きながら登り続けた。
霧ヶ迫の湧水で一息いれる。
ほとばしる涼し気な水音と落葉広葉樹の葉叢から零れる木洩れ陽。
ここからはブナを主体とした夏緑樹の森へ。
以前にも書いたが、この森にはソウシチョウが営巣している。
5、6羽くらいの小さな群れをつくってジュジュジュと騒がしく鳴き交わしている。
貼り付けた動画を御覧になればわかる通り、元は愛玩用に飼われていた鳥だけに愛くるしい。
今回は、ここ霧ヶ迫周辺の森と愛大小屋周辺でも見かけた。
この鳥が今後、石鎚周辺の野鳥の生態系にどんな影響を及ぼすか?
見守ってゆくしかない。
久しぶりの愛大小屋の夜だった。
やはり晴天は日没まで持たなかった。
湧き上がる積乱雲が次第に空を白く閉ざした。
宵闇に沈むころには、梢を打つ雨音が聞こえ始めた。
その夜は持参した本を途中で閉ざし、蝋燭の炎を消した。
雨上がりの戸外へ出てみた。
星明りも月明かりもない茫漠たる闇が広がる。
ベンチに腰掛けて闇の淵を見つめていた。
意識を研ぎ澄ます。ずっと深い処へ。
何が出てきてもよかった。
物の怪だろうと、亡き人だろうと。
う~ん結局、何も現れなかったし何も得られなかった。
まぁ、そうだよね。
よく「山でひとりで過ごして平気ですか?」と訊かれる。
「えっ?」正直な気持ち、逆に聞きたい。
この圧倒的な夜の時間と、あなたは一生向き合わないで過ごすつもりですか?
太古の昔以来私たちは、ずっと人生の半分を、この夜の時間と向き合ってきた。
それが何時の間にか私たちは、闇を排除して煌々とした昼の時間のなかで一生を過ごそうとしている。
余計な夾雑物を退けて何かと向き合うには、この圧倒的な闇に包まれた夜の時間が必要だと思う。
それも出来る限り、人から遠く離れた絶対的な孤独と向き合えるような場所で。
」
翌朝天気予報通り、見事に晴れ上がった。
雨上がりのたっぷり水を含んだ笹をかき分け御来光の滝へ下降した。
雨続きの夏、水量の多い滝を期待していた。
思い描いた台風一過の轟音を轟かす滝には、程遠かった。
でも充分に水量はある。後は太陽が出てくるのを待つばかり。
日陰に落ちた谷は風が巻いて、ずっと飛沫を浴び続けた。
やっと太陽が顔を覗かせるころには、雲が湧いて陽射しを閉ざす。
時折雲間を裂いて陽射しが射す。
七色の虹が崩れ落ちる白い飛沫に架かる。
ところが肝心のところで指がかじかんでシャッターが押せない。
夏とはいえ長時間、日陰で飛沫を浴び続けると予想外に体温を奪われる。
そう夏のトムラウシの低体温症は、こういう状況なのかと実感する。
そういえば梅雨最盛期のお遍路の旅でも同様のことがあった。
あれは雨続きの三角寺への道だったと記憶している。
すっかり青空が隠れてしまったので諦めて引き返す。
ちょうど小屋に辿り着くのを待ったかのように雨が落ちてきた。
小屋を清掃し片付け、下山開始。
ずっと雨の中だった。
道々考えていた。
帰郷して石鎚へ通い始めて14年になる。
この朽ち果てた倒木も、昔は難儀な障害物だった。
それが今では、ほとんど土に還ろうとするくらいに苔むし土に埋もれている。
14年間という時間を、改めて問い直してみる。
地球の時間で測ると14年なんて時間は、針の穴にも満たない極小の点かもしれない。
それでも風景は変わってゆく。
あの森の王者だった栂の大木が倒れ、その亡骸は朽ち果て新しい命を宿す。
風倒木は、長い時間をかけて菌類によって分解され、やがて土に還る。
短いスパンで命の連鎖を繰り返す数多の生命と長い時間のなかで新陳代謝を繰り返す植物たちの時間が同居するこの森の時間。
通い続けた14年という時間は、そんな森の変遷を少し気付せてくれた。
バックアツプしないで書いていると時々、こんな失態を犯して呆然とします。
あれは、その時の勢いで書いているので、また文章を再現するのは困難です。
それでも何とか今回は、後半部分をもう一度書き上げました。
それでも何か抜け落ちている。
深夜に、もう一度中段の愛大小屋の夜の部分を書き足しました。
あれは常々、自然と向き合う基本的な姿勢を問い直したいと感じていたことです。
何も余計なものを持ち込まず、圧倒的な夜の闇と向き合う時間は、とても大事だと思っています。
怖がらないで是非実践してみてください。
その先に、今までと違った世界が、きっと見えてきますよ(笑)
森の風景と同じように心の奥深く沁みこみます。
ホッホさんにとって、おそらくフェイバリット・アルバムである岡林の「ラブソングス」からの一曲ですか?
正直、あれから二年近くが経過して、亡き父母への想いは年々薄れていっています。
もちろん仏前に対する花は欠かしませんし、朝夕の般若心経も。
それでも、それが次第に日常的な営みに、心のこもらない所作になってきていることを否めません。
悲しみの感情は、見事なくらい時間が希釈します。
本当、いっそ出家しようかなと、真剣に思います。
まぁ抑圧されることが大嫌いな私では所詮無理か?
また愛大小屋での一人になっての思考、よく理解できます。
写真からは犯しては成らない自然のめぐみがひしひしと伝わってきます。
ランスケさん、ホッホさんは岡林信康世代でしょうか?
彼の歌は生で花博会場で聞きました。
あの伊達政宗のダースベーダーのモデルとなったという黒い甲冑も到着した様子。
http://datehaku.blogspot.jp/2012/09/blog-post_9113.html
ホッホさん共々この秋には足を運びたいと思っています。
私はホッホさんほど岡林信康というソングライターにシンパシーを感じていなかったのですが、
こうやってホッホさんの貼り付けてくれたYou tube の動画を観ると濃いですね(笑)
あの時代のふやけたフォークソングの中では異彩のメッセージ性が際立っています。
「手紙」なんて問題をこんなにストレートに唄った内容だったのかと驚いています。
そういえば晩年の美空ひばりと岡林の公私にわたる交流は有名ですよね。
ちょっと話は飛躍しますが、
岡林がその昔、出演した映画「日本の悪霊」(黒木和雄監督)からイメージが繋がって、
この夏に観た黒木和雄監督作品、「父と暮らせば」に辿り着きました。
広島で被曝した女性の愛に対して頑なに心を閉ざす日々が描かれています。
井上ひさしの戯曲が原案になっているだけに、宮沢りえの娘と原田芳雄の父の、ほとんど二人芝居です。
この宮沢りえが傑出して素晴らしい。
日本映画界では際立って異彩を放つ存在感ですね。
その美しさも傑出しています。
「生きているのが申し訳のうてならん」
「うちは、しあわせになってはいけんのや」
自らの原爆症と夥しい同僚の凄惨な死を目撃してきた彼女のセリフは痛切です。
浅野忠信の求愛にも頑なに心を閉ざします。
これと同じことが、また福島でも起きようとしていますね。
福島で子を持つ母親は「きっとこの子は、福島の人としか結婚できないよ」と我が子を見ながらつぶやくそうです。
この映画では最後に娘である宮沢りえは、父にこう語りかけます。
「おとったん、ありがとありました」
そう父は、あのときに娘を助けるために死んだのです。
その事実に(父の娘に対する想いに)行き当った娘の心は氷解してゆきます。
準備から期間中、そして終りまで本当に大変ですね。
ランスケさんとお伺いするのを楽しみにしてます。
岡林信康が、自主制作のベアナックルレビューのコンサートで85年に西予市に来た時、女房と友人達と聴きにそして観にいきました。
確か、レコード会社との関係で演奏されたのは「ラブソングス」の中の唄でした。
コンサート後、非売品のカセットテープを買いました。
岡林は、非売品だが、テープはただではないのでということで確か1000円支払い手作りのワープロで印刷した紙のジャケットの裏側にイラスト(岡林の似顔絵)いりのサインを貰いました。
女房が、キタキツネ物語で役者として(準主役)でている事を話題にすると岡林はシィーと照れ笑いをしたことを思い出します。
伊達家の仙台繋がりで当時の仙台の公民館でのコンサート後の曲から26ばんめ秋を貼り付けておきます。
山の愛好家にはバックの映像が嬉しいかも?http://www.youtube.com/watch?v=JytTsEAyM0I
無為なるもののなかにある日本の美「侘び寂」と
赤瀬川源平は日本の美を表現しました。
鬼城さんのブログ(一日一菓)2012-07-05で木村宗慎さんの話題の記事がありましたね。
木村宗慎さんの利休入門(トンボの本・新潮社)を購入しました。そのなかで、侘びとは何かの章で、この文章に出会いました。
侘び茶の「侘び」は文字どおり侘びしい、貧しいという意味でした。(中略)・・・私は、真の侘び茶は、珠光でま紹鴎でも利休でまなく、秀吉が体現していたのだと思います。侘びしさという感情は、不足や不完全にたいしていだくもですが、人はたとえ栄華をきわめても、侘びしさからのがれることはできない。
日々、人生をすこしずつうしない、しかもそれをとりもどすことはできない、ということにおいて、おそらく人は、根源的に貧しいのです。
天下をとったあとの秀吉は、利休の前に、そうした貧しさ、侘びしさの権化として、あらたに立ち現れたのではないか。
この章に、井戸茶碗と、川瀬敏郎さんの花を掲載したなは、「時間」という概念を茶の湯に持ち込むものだからです。井戸茶碗が、茶道具では、例外的に疵物で評価されるのは、それが「老い」の姿を愛でるものだし、花は、茶の湯において唯一くりかえしのつかないもの、つまり、名物になりえないものです。もちろん人は名物にはなれない。利休が名物を否定し、最後、道具まで否定しようとしたのは、秀吉という「花」に出会ったからではないでしょうか。
今、生きている私達も殆んどの人が100年後には、誰にも話題にされなくなり風化していってしまいますね。
ランスケさん「父と暮らせば」私も観ました。
なぜか、宮沢りえは薄倖の役が似合いますね。
親の無償の愛に気付き満たされた時やっと次のステップに進めますね。
いつも、ランスケさんとのやり取りでは、16歳から25歳の頃に帰ってしまいます。
夏の終りに森田童子の「まぶしい夏」をアップしました。http://www.youtube.com/watch?v=6AORDR5O9dg&feature=related
何時もながら脈絡の無い勝手でダークなコメントです。
ご容赦ください。
朝日連峰、大鳥池周辺の晩秋の風景ありがとう。
今年の秋に行けるかな?
しかし森田童子は真っ暗だ(苦笑)
さて先刻までNHKの高倉健スペシャルを観ていました。
高倉健81歳。唯一無二の存在。
もう二度と、こんな人は出てこないでしょうね。
もちろん虚構の世界です。
スクリーンに映し出された2時間ばかりのめくるめく世界に、その人が出て来るだけで、その場の空気がガラリと変わるような存在感。
この人が居なくなるなると、もう日本映画界には存在しなくなる絶滅危惧種です。
最後の決まり文句、「あなたにとって、プロフェッショナルとは?」という設問に対して、
「生業(なりわい)かな」という答えが好いですね。
先月読み終えた宮本常一の民俗学誌、日本の生業を綴ったの著作と重なってしまいます。
それから全篇に流れていた音楽は、ロードムービーらしく、パリ・テキサスからの挿入曲でしたね。
高倉健といえば、いかにも健さんらしいこんなエピソードがありました。
以前、勤めていた会社の得意先にホテル奥道後がありました。
オーナは、あの再建王・坪内寿夫氏でした。
生前、仕事で奥道後ゴルフクラブの数々の銘木にまつわる「著名人との秘話集」という冊子の作成の為、南松山病院に入院されている坪内氏に直接取材にお伺いしました。
最上階の全フロアーが坪内氏の病室兼生活の場所という感じでした。
御本人から、直接いろいろエピソードをお聞きしました。
その中には、当時JAZZバンドの専属歌手だったペギー葉山さんにまったくジャンルの違う歌謡曲「南国土佐を後にして」を高知県名誉県民第1号に推薦するから歌ってほしいと説得した話や、NHK朝のドラマ「おはなはん」はもともと徳島が舞台だったが、松山、道後、奥道後そして大洲を一代観光地にするために大洲を舞台にした原作に変えてもらった話。等々、色々なエピソードをお聞きしました。
その後、坪内氏が亡くなり社葬としての告別式も終りました。
ホテル奥道後の社員の方からお聞きしたのですが、その後、生前、親交のあった高倉健さんが一人で松前町の坪内氏の菩提寺に花も持って現れ、墓参して帰ったと聞きました。
とにかく、カッコイイ!!
番組のBGMにはザ・ニッティーグリッティー・ダート・バンドの「ミスター・ボージャングル」も流れてましたね。
DVD「森崎書店の日々」観ました。
東京、神保町の古書店が舞台の伯父と姪の優しさ溢れる物語です。元、N書房の店長、ランスケさんと本好きの人にお薦めです。
高倉健ネタ、好いお話です。
そういう膨らみのある話題は大歓迎です。
「森崎書店の日々」当然観てますよ(笑)
あれは神田の古書店の話ですが、本屋とお客にまつわるエピソードには事欠きません。
本好きの人は、それぞれに想いがあります。
それを掬ってゆくのは街の本屋の役割でした。
残念ながら、こういうおおらかな関係は、もう築けないでしょうけどね(哀)
映画の中で常連客を演じた岩松了がよかったね。
先刻まで「もうすごくうるさくて、ありえないほど近い」を観ていました。
9・11 以降を描いた最も優れた文学といわれるベストセラーの映画化です。
これについては、また記事を起こしたいと思っています。
エンディングの「ミスターボージャングル」あれはニーナ・シモンでしたね。
http://www.youtube.com/watch?v=86wME5d_yZM&feature=player_embedded#!
忘れられない歌声です。
おかげで、ニッティ・グリッティ・ダート・バンド1970作「アンクルチャリー」のアンクルチャリーと愛犬のテデイの事も解りました。
http://www.eigo21.com/03/pops/73.htm
出来れば、エピソードの書き出し「ぺぎー」削除願います。
「森崎書店の日々」の菊池亜希子綺麗ですね。