
お遍路の旅立ちまで、後三週間。
父の一周忌と母の百ヶ日忌を無事終えたので、
気持ちの上では、もういつ旅立っても良い状態だ。
51番札所石手寺境内に、お遍路装束が揃う店があると聞いた。
自宅からの足慣らしがてら、お遍路装束一式を買い求めることにした。
石手寺との往復だけでは、歩行距離がしれているので、
いつも起点としている47番札所八坂寺の次の札所、48番西林寺から始めて、
49番浄土寺、50番繁多寺そして51番の石手寺へ至ることにした。
自宅を出たのが正午過ぎ。
市街地ばかり歩くのも面白味に欠けるので、途中から川沿いを辿り始める。
葉桜の並木から若葉萌える丘陵地帯。
水面に光躍る川には、残り鴨の小さな群れ。
ツバメも川面を滑るように飛び交う。
ツグミが田圃の畝を小走りに駆けている…まだ居残る冬鳥たちの旅立ちも近いだろう。


二叉に分岐した川を左手に辿ったのが失敗だった。
川はしばらく辿ると幹線国道に行き当たり、しばらく国道沿いを歩く。
前夜は季節外れの冷え込みだった。
今朝の土小屋ライブカメラは白く冠雪。
午前中の寒さを意識して重ね着してきた。
国道歩きの照り返しに汗が滴り、一枚脱ぐ。
ついでに地図を確認すると、西林寺から大きく外れてしまった。
この先、49番浄土寺の方が近い…軌道修正して西林寺はパス。






いい加減、車が行き交う道を歩き続けることに嫌気がさしてきた。
目線の先に新緑輝く丘陵地を見つけ、そちらを目指す。
丘陵地沿いを歩くと50番の繁多寺には辿り着ける。
この際、49番浄土寺はパス。
眼に優しい若葉色を楽しみながら歩いていると、いつの間にか浄土寺へ。
あら?お大師さんのお導きか…(笑)
どうも子供の頃から、決められた道を外れた道草から抜けられない。
これではお遍路の途上で、いくつか札所を省略してしまいかねない(苦笑)
浄土寺には仏足と緑色の桜の花が満開。





右、遍路道の指示に従って幹線道路から外れる。
へんろみち保存協会の人たちが、旧い遍路道を探し出し、
赤いお遍路さんマークの道標(みちしるべ)で、私たちを誘(いざ)なってくれる。
えっ?と眼を疑うような墓所の真ん中を突き抜けると、蜜柑畑を縫う里山の長閑な道。
へんろみち保存協会の人たちのおかげて、四国遍路は巡礼の道としての体裁を保っている…感謝、感謝。
(行政にまかせていると点と点を結ぶ車遍路が主体で、本来の巡礼の道は幹線国道歩きを
延々とやらされることになる)
50番繁多寺でセルフポートレートに挑戦。
軽めのコンパクト三脚にカメラを設置してセルフタイマーON。
ちょっと恥ずかしいけど、お遍路装束を着れば馬子にも衣装(笑)
51番石手寺は、やっぱり松山市内の札所では別格的な寺院かもしれない。
久しぶりに訪ねてみて、その賑わいや猥雑さも含めて他の寺院との違いが際立っている。
改めてお遍路の無事結願を祈る。
寺院入口付近のお遍路用品を商う「石手仏具」で菅笠、白装束に納め札、経本を買い求める。
さぁ、これで、いつ出発しても良い。
帰路は石手川沿いの河川敷の道を、ひたすら南下。
今回の大雑把な歩行距離は19km。
この程度なら問題なく歩けるようになった。




なんだか、もうあの日が遠い昔に思えてきます。
あの日から始まった、身を引き裂かれるような辛い日々…
年末の母の死まで、あっという間の一年間でした。
あれほど時間が凝縮された一年を過ごした記憶がありません。
決して忘れない2010年です。
さぁ、父と母そして母の大切な養母ハマノお婆さん、三人の供養のための
お遍路に間もなく出発です。
旅の途上で、どんな風景が視えてくるか愉しみです。
それは自分自身の心の変化がもたらしてくれる風景だと信じています。
おぉ~今、投稿数字がキリ番の1000です(笑)