一閃の昇陽が世界を一変させた。
どよめきとシャッター音が静寂を破り連続する。
赤々と燃え上がる天狗岳が薄明の境界を越えて、昏い夜の縁(ふち)から競り上がるように屹立する。
夜半、天幕を打つ音に幾度も目覚め、浅い眠りを繰り返した。
前日の午後から山を覆った霧が、夜露となって深夜降りて来た。
そして谷から吹き上げる風が梢を揺らし、雨のように天幕に降り注ぐ。
午前1時過ぎ、山上の気温は2℃まで下がった。
そのたっぷり水気を含んだ樹々が朝陽を浴びて
常にも増して艶やかに光り輝いた。
溢れる人波に揺らぐように、沢山の旧知の人たちと出会い旧交を温めた。
秋の石鎚は懐かしい人との再会の場でもある。
そして朝の光に包まれた天狗尾根から墓場尾根を辿った。
空は抜けるような紺青の深みをたたえ、
長く背負ってきた屈託を忘れさせてくれる、のびやかな秋の一日だった。
墓場尾根の紅葉は例年になく葉っぱの傷みが少ない。
この先、15日から今週末あたりのピーク時には、どんな鮮やかな彩りに覆われるか?
そんな期待感を抱かせる紅葉の進み具合でした。
母の胃ろうの手術が決まった。
私に残された山の時間は、この秋いっぱいかもしれない。
母も、ずいぶん外面(そとづら)が良いようですね(笑)
私や弟だと5回に1回くらいしか反応が返ってきません。
インターネット検索で、嚥下障害をおこした高齢者の「胃ろう」や「点滴」療養による
平均的余命が出ていました。
出来れば病院ではなく自宅にて最後を看取ってあげたいと
ずっと思っていました。
これで私自身、気持ちの区切りがつきそうです。
カタックリさんも南尖峰のあの場所に立ちましたか。
墓場尾根最高のビューポイントですね。
でも、あの場所は夕方から谷からの風が吹き上げ、
口の根も合わないくらい寒いのです。
寒さに耐え待ち続けた甲斐があり、面白い写真が撮れましたよ。
記事のアップをお愉しみに。
カタックリさんたちの中央アルプスは、
きっと空木岳方面への縦走なのでしょうね。
来週あたりから気温も下がりそうなので、
一足早い、霧氷や初冠雪が観れるかもしれませんよ。
12日に病院に行ってました。佐伯さんとお母様の病室に行ってお話をしました。
お名前を「○○さん」と呼んで「はい」はっていったら 小さな声で「はい」と答えてくれました。
そして いろいろ話しかけて帰りに「さようなら バイバイ」といったら 右手を動かして
「バイバイ」をしてくれました。
ちょっと 嬉しい反応が返ってきました。
私も嬉しかったですね。
胃ろうの話ですが 口からの嚥下ができなくなると医者は 胃ろうを勧めますね。
ランスケさん 胃ろうは食事を取ることと同じことと考え 口から取れないから胃へ直接入れる。嚥下障害をおこすと必ず肺炎をおこします。死へつながりますもの。
だから 深く延命治療と考えない方がいいと思うのですが・・・。
「天狗岳燃える」の写真 素晴らしいですね。
ランスケさんの辛抱強い執念に感服します。
いい写真がいっぱいですね。私は もぱっら
明るい石鎚山しか見たことがないから 感動します。
最後の墓場尾根の写真 私も15日にそこへ行って写真を撮ってきました。いい眺めでしたわん。
今日も石鎚ですか??今日の成果は どんなんだったでしょう?楽しみにしています。
明日から仕事で25日から中央アルプスへ行って28日に帰ってきます。
ブログの方も快調ですね。
意外に?(失礼)繊細な日常に対する目線に、
否、心配りの館長さんらしい目線ですね(微笑)
何時も新鮮な気持ちにさせられます。
さて石鎚紅葉の主役「天狗岳の朝焼け」
皆さんの写真を観ると、赤く燃える紅葉写真は空の茜色が飛んでしまい、
空の茜色が綺麗だと紅葉は黒く影に沈んでしまっています。
この両方を表現するために、今まで随分試行錯してきました。
それがデジタル一眼レフカメラの登場で可能になりました。
撮影のその都度、画像を確認できるデジカメは、
撮影現場での露出調整が出来ます。
なんとかこの秋の天狗岳の朝焼け写真は合格範囲です。
また逆光撮影のゴーストを極端に嫌う人もいますが、
人間の瞳の虹彩自体が強い日光に晒されるとハレーションを起こす
のですから、この画像の光線に連なるゴーストは私にとって
許容範囲内です。
夕映えの墓場尾根の撮影とは云え、
すいぶんゆっくりしてしまいました。
それでは石鎚へ行ってきます。
結果をお愉しみに(笑)
実は今でも悩み続けています。
ネットで「胃ろう」を検索しても色々な意見があります。
主治医は手術を終えリハビリ後、退院できると楽観的な発言をします。
でも、それからの介護が長くて辛い日々になりそうです。
病院に行っても、ほとんど反応を示さない母ですが、
たまに本当に囁くように意志を表す時の、哀しそうな表情が、
切なくて母を愛おしむ想いが込み上げてきます。
これを生きる証と取るか?
もう死なせてほしいという意志と取るか?
確かに痴呆と老衰による嚥下障害(口から食事や水分の摂取が出来ない)
からの「胃ろう手術」は延命治療なのかもしれません。
でも、やっぱり私には血色も良くなった母の命を
私自身の手で絶つことは出来ません。
母との残された時間を思うと辛い分、
現在は山へと逃避しています。
今日も石鎚へ一泊山行です。
一方ではお母さん、ご心配ですね。お見舞い申し上げます。看病されているランスケさんの健康も心配です。無理をされないように・・・
ご心痛お察しいたします。伯母も嚥下障害が出てきましたので、その辛さを感じていました。
急に弱ってくるものです。十分にお話をしてあげてください。息子が好きな山の話をするだけで心の中は元気になると思います。
あって、私たちは何時もその鳥羽口で、
戸惑ってしまいますよね。
近頃、自発的に書き込みをしてくれる
マロンさんにとても感謝しています。
これに懲りないで、また気に入った記事が
あったらコメントくださいね。
ご忠告をありがとうございます。
短い山の秋を楽しもうとすると、休日(私の場合、ほとんど平日)が晴れることを祈る思いで天気予報とニラメッコしています。
墓場尾根の撮影予定日も晴れるとよいですね。
石鎚の短い紅葉シーズン、そして連休唯一の晴天。
11日は予想通りの大混雑でした。
それでも今年のような、それなりに美しい紅葉ならば救われます。
昨年のピーク寸前の強い風雨による落葉に当たってしまうと悲惨です。
比較的当たり外れのない初夏の新緑と違い、
秋の紅葉や春のアケボノツツジは自然条件に大きく左右されます。
そして毎年、その展開に一喜一憂させられます。
マロンさん、私の場合はHP「石鎚山の四季」で本名を明記しているので
問題ありませんがインターネット上では、それぞれがHN(ハンドルネーム)
を建前としているので気をつけましょうね(苦笑)
開門を待ってスカイラインを走り、まだ十分余裕がある駐車場へ車を止めました。
東稜の分岐あたりから、沢山のカメラヤさん達とすれ違いました。皆さん土居さん同様、日の出の舞台を終えての下山、良いお顔をされていました。
天気に恵まれ、山頂の紅葉を満喫することができました。二の森への北斜面の紅葉がきれいに見えていましたが、今回は時間の都合で断念しました。残念!です。
やっぱり山は朝陽が昇る、この瞬間ですね。
それまでの風景が見事に一変する、あの魔法のような時間。
また、このマジックアワー(本来の映画用語の意味とは違いますが)
の虜(とりこ)になりそうです。
そのためには山上で一泊しなければなりません。
母が完全看護で比較的安定している、この時期が唯一のチャンス。
そして手術予定の11月までがリミットです。
秋限定の撮影行…短期集中で、しっかり愉しんでおきますね。
燃える天狗岳
神秘の世界
見事な石鎚山を見せて頂き、ありがとうございました。
お母様、どうぞお大事に。
お母様とランスケさんの大切な時間が、静かに優しく穏やかに続きますように。