
深い雪に閉ざされた冬、瓶ヶ森は本来の姿を取り戻す。
御神体である霊峰石鎚信仰、遥拝の地としての原初の姿を。
雲の上に浮かぶ真白き嶺、烈風吹き荒ぶ一面の銀世界。
まさにそこは、神々の舞い降りる冬の神話世界。
今回の山行には、迷いがあった。
以前にも書いたように私は本来、臆病な人間だ。
怖い思いをすれば人は学習する。
身体が吹雪と闇の中の、あのいつ果てるともしれない深い雪との格闘を忘れていない。
それでも、それにも勝る何かがある。
尻込みする恐怖心を抑え付けても、なお辿り着き、この目で観たいたい世界が、そこには。
そんな私の迷いを断ち切るようなメールが週半ば、ループさんから送られてきた。
「瓶ヶ森へ行きましょう」
登山口を朝早く出発すればリスクは半減される。
それにループさんは、まだ若くて体力もあるしね (笑)
一度決断すれば、迷いは消えた。
早速、荷造りを始める。
う~ん、なんとか30kgを切ったが、まだ28kg。
でも背負ってみると、心持ち軽い(?)
前夜は、ホッホさん、RIEさん、MARIさんと忘年会。
気の合った仲間と楽しい時間を過ごせた。
その勢いをかって、そのまま山へ。
東の川登山口出発が9時半。
いつもより3時間も早い。
背負った荷物も軽く感じる。
「余裕だね」と軽口も出てくる。
確かに順調だった。
植林帯を抜け自然林に入ると雪が深くなる。
もちろんトレースなど無い。
アイゼンを装着し、ループさんがラッセルを先行する。
さすがに足取りが力強い。
台ヶ森を前にして雪に覆われた沢の渡渉で、方向を迷った。
またこの日も標高を上げるに従がって、粉雪が舞い始め視界が悪い。
トラバース面に目標物を見い出せない。
二人で相談して岩に沿う形で上に這い上がることにした。
台ヶ森の分岐までは、自然林を直登すれば辿り着けるという先入観があった。
私が先行した。
岩を越えて尾根に這い上がった。
ところが視界の開けたその場所からは、台ヶ森の岩尾根が左側に見える。
ということは?
岩尾根を越える前に直登してしまった。という間違いに気づいた。
辺りの地形を見渡すと記憶がある。
アケボノツツジの季節に辿った場所だ。
このまま尾根を這い上がり、台ヶ森山頂を越えれば分岐に辿り着く。
そう早合点してしまった。
(迷ったと気づけば元の場所へ戻る。これが道迷い回避の鉄則なのだ)
また阿呆の私は、同じ間違いを犯してしまった。
ほとんど空荷で辿ったあの季節と違い、急峻な雪の斜面を28kgの荷物を背負って辿る苦行(汗)
この荷物の重みを、ひたすら呪うような青息吐息の行程だった。
たぶん30分から1時間近くのロスタイムだっただろう。
台ヶ森の尾根越えで体力を使い切った私は、分岐以降はループさんに先行してもらった。
痩せ尾根からの深い雪のラッセルを経て、強風の吹く雪に覆われた笹原をスノーシューに履き替え辿り、
幾島ヒュッテ側の風の影響の少ない場所に、まだ明るい4時前に到着。
雪面を均しテントを二張り。
やっと装備を解いて落ち着く。
阿呆な先導者で申し訳ない。ループさん。
明けた日曜日の朝は、真っ白なガスに覆われ視界が晴れなかった。
その日一日、青空が覗くことはなかった。
もう一日遣り過ごし、また朝を迎えた。
テント内氷点下5℃、すべてが凍りついた世界で、ごそごそ身支度。
再びスノーシューを履いて、女山山頂を目指す。
昨夜もテントを叩く雪の音が、ずっと止まなかった。
樹々は風雪のため、エビの尻尾状に切っ先を尖らせ重厚な雪の塊と化している。
女山山頂、氷点下8℃。
強風の吹き荒ぶ一面の銀世界。
日の出の時刻になって、上空が透けて青空が覗き始める。
三脚を立てると、風で吹き飛ばされる。
足を踏ん張り、烈風に耐えながら、ひたすら視界が晴れるのを待ち続ける。
「来た」
一面の雲の海に浮かぶ白き嶺が波間に、その先端を覗かせる。
曙光に照らされた天空の銀世界。
めくるめく光の変幻に際立つ雪と氷の造形。
ループさんと二人、夢中でシャッターを切り続けた。
「やったね」
凍える雪上で耐えた三日間が報われた。
リスクを負っても、なお辿り着きたい世界が、そこにあった。
劇的な時間を終え、一面の銀世界をスノーシューで移動。
瓶ヶ森の雪原移動にはスノーシューが格段の威力を発揮する。
男山から下山中、雪原に人影を発見。
こんな時期に来る物好きは、顔見知りの写真ヤさんに決まっている。
「おーい」声をかけるが聴こえないようだ。
林道へ下り追いつくと、
やっぱり三浦さんだった。
しかし石鎚山岳写真の先行世代である人々が、みんな体力の限界を口にし、
雪山をリタイアして行っているのに、70歳を越えて通い続ける
三浦さんの凄さは驚異的だ。
そのあくなき執念には頭が下がる。
私には、絶対無理だろう。
テントを撤収して正午丁度、下山。
上り6時間半かかった行程が、その半分以下3時間で登山口到着。
色々あったけれど充実した三日間だった。
ループさんと握手してお互いの健闘を讃える。
また一月の雪深い厳冬期に入りましょう。
朝陽を浴びて白く輝く石鎚の稜線は、まさに神さんからの贈り物、この三日間を締めくくるにふさわしい光景でしたね。あの感動と興奮の瞬間は素人の私を十分無我夢中にさせてくれたためw、撮った写真を見てはもっとこう撮れば良かったなと反省することしきりです。撮る前のイメージ作りが不足していたのですね。
わたしは今回の山行でこの素晴らしい光景を手に入れられたとともに、私のミスを全て包み込み一緒に悩み助けてくださったランスケさんの優しさに触れることが出来ました。極寒の中、普通出来ることではありません。感謝しております。このコメントを入力しているiPhone共々(^-^)/
余計な心配はしないでね。
雪山へ入れば、お互い運命共同体です。
私は、あなたに助けられたし、山の年長者として判断ミスをした負い目も抱いています。
フィフティフィフティですよ(笑)
そして私は、この風景で満足していません。
日の出と共にに射す茜色の風景と、まだ出会っていない。
それに雪の最も深い厳冬期の瓶ヶ森は、こんなものじゃない。
私は欲深い人間です(笑)
ループさん、これに懲りず我儘な年寄りに、また付き合ってくださいな。
下から4枚目の雲の道が好きですね。どれか選ぶとすれば。(笑)
あれほどリスクを負って、やっと巡り会った風景なのに、
まだ満足していません。
つくづく欲深い人間なのでしょうね(苦笑)
石鎚からの山岳風景は、先行世代の人たちが、ほとんど撮り尽くしたかもしれません。
でも、未だ厳冬期瓶ヶ森の風景は未知の風景が残っていると確信しています。
未だ誰も観たことのない神話的世界、私自身も観たいし、ぜひ皆さんに観てほしい。
雲上の石鎚、このような写真、初めて目にしました。私はアラフォーならぬ、アラセブンです。(笑い)ウルトラセブンなら良いのですが・・・
毎回、それぞれ違った視点で対象を切り取る手際の良さには驚かされます。
そして常連の皆様から寄せられるコメントにもね。
さて、今冬もシーズン開幕早々からの寒波とドカ雪に、気合が入っています(笑)
皆さんから見たら、きっと肩に力入り過ぎでしょうね。
知人には普段から云っているのですが、
私には時間がありません。
まだ石鎚へは、この先も入れるかもしれないけれど、
厳冬期の瓶ヶ森へは、ここ数年が限界だと思っています。
自分の残りの時間を意識しながら、物事の優先順位を考えなけらばならない年齢となりました。
寂しいですけど、失ってゆく若さにしがみつくような老醜は勘弁です。
潔い爺さんでありたい。
そう願っているのですが?
せめてクワセ辺りで夜明けを迎えていたら紺碧の空に映える樹氷を収められたかもしれないのに。。。
リスクを伴いながら勝利者に与えられたものがこれなのか!と言葉を失いました
グレーの世界に未練を残しながらの下山は足取りも心も重い
明日は絶対いいなと確信しながらのメールでした
来月挑戦します刻々と変わるドラマの色は一瞬です
一度これを見たら辞められませんよね?
ドクターストップにもかかわらず登山靴を磨くアホがここに居ます
限界まで前へ進みたい
明日、初のダルマへ・・・
石鎚に魅せられた原風景、日の出と共に射す茜色の風景に帰っていくんですね。
山で受け取った癌再発転移の知らせはショックでした。
あの横倉山で発光キノコ撮影時の痩身の姿が思い浮かびます。
そうですね。
あの頃、私自身が発言した気持ちは変わりません。
「人の生物としての本来の寿命は、60歳がいいところ。後の時間はオマケのようなもの。または神様の贈り物」
それを私自身、実感しています。
だから残りの時間を大事にしたい。
私の石鎚山岳風景の原点ですね。
あれから早、15年が経過しました。
ホッホさん推薦の映画、「舟を編む」を先程観終わりました。
http://www.youtube.com/watch?v=0kwCc-1o1lc
なんて幸せな映画なんでしょう。
さすが三浦しをんです。
世の中が、すっかり好戦的な単一な価値観に染まり、隣国を悪しざまに嫌悪し、
神輿を担ぐような熱狂に向かおうとしています。
歴史は繰り返される。
この一週間ばかり、日本の歴史関連書を読み返して来ました。
日本人は、ずっと同じことを繰り返していますね。
本当に学習しない民族です。
そんな重苦しい日々を忘れさせてくれる、ひたむきな人たちの暖かな時間でした。
辞書の編纂という作業は、多様な価値観に目を向ける地道な行為の積み重ねです。
戦争を回避するのは、威勢のいい武力を誇示する抑止力ではない。
異なる価値観を理解する地道な外交努力だと思っています。