
何と云えばいいのだろう?
人の叡智や思惑など、たかが知れている。
自然の営みは、いくらデータを重ねて確率を高めても、それを軽々と超えて予想だもしない展開を見せることがある。
それを私たちは2011年3月11日に思い知らされたわけだが。
もっと卑近なところで(笑)、2013年年明けの石鎚入山において、まざまざと見せつけられることになった。
三が日を過ぎて、そろそろ山へ入ろうかと算段するが、とんと低気圧がやって来ない。
強い高気圧が西日本に張り出し、天気予報は連日、お日様マークが並んでいる。
市街地からは黒々とした春山のような石鎚の山並みが望まれる。
やっと10日前後に太平洋沖を前線が通過し、低気圧が前線に沿うように弧状に幾つも発生。
しかし前線が陸地から遠いため、四国に雨をもたらすような低気圧ではない。
ただし大陸の寒気が南下して来る。
その後一週間先まで雨の予報が見い出せないので、この低気圧と寒気の南下に賭けてみることにした。
kanさん(アルファベット頭文字表記をするとKさんが幾人も重なってしまうので変更しました)
と待ち合わせして成就社から石鎚へ。
これが厳冬期一月の山か?と目を疑うような黒々と岩肌を露出した春四月のような石鎚の姿があった。
樹々も乾燥して寒気の南下くらいでは、霧氷の発生も望めない。
「これでは避難小屋で新年会だね」
はやくも諦めムードが先行してkanさんと軽口が飛び交う。
弥山山上からの眺望は、もっと悲惨だった。
黒々と枯木立と岩肌の露出した天狗岳に、周囲の山々も緑の笹原と枯木立そして沢筋にわずかな残雪。
私は厳冬期雪山の撮影に来たわけで、晩秋や雪解けの春山の撮影に来たつもりはない(苦笑)
(誤解のないように補足しておきますが、夜明峠から上は50cm以上の積雪があります)
すっかり気持ちが萎えてしまい、装備を解くと小屋内で宴会の準備。
一縷の望みがあるとすれば、夕闇が降りてから山上は白いガスに覆われたこと。
kanさん持参の美味しい鍋料理とお酒で身体も暖まり、夜中にトイレに立つと、
雪が降っている。
強い西風に乗って吹雪いている。
黒々と乾いていた地面が薄く雪に覆われている。
その上、樹の枝先に薄く霧氷まで着氷している。
あの数時間前までの光景からは、とても想像できない展開??
四国上空には強い高気圧が張り出し、雪を降らせるような雲の発生はないはずだった。
前夜の天気予報に登場した気象予報士も、はっきり明言していたではないか。
夜が明けると世界は一変していた。
ガスに覆われ視界は晴れないものの、地面は白く雪に覆われ、
樹々は霧氷が蝦の尻尾状に発達して一面の白い世界。
気温は氷点下12℃。
上空には青空がある。
雲に覆われているのは石鎚周辺の高嶺だけだろう。
時々、青空の面積が広がるが、周囲の視界が晴れることはない。
夜明け前からkanさんと吹き荒ぶ凍て風の中、待ち続けた。
午前11時前、ついに雲の位置が下がり、
藍のような深い青空の下、一面のうごめく雲の海が視界いっぱい広がる。
シャー雲の波濤が曳けて、銀色の雪嶺が顔を覗かせる。
押し寄せる雲の波が粉雪を舞い上がらせ、高く昇った陽光にキラキラ舞い散る。
正午過ぎには雲海も消え、雲ひとつない青空が広がる。
降り注ぐ陽光に、あっと云う間に霧氷も消え、また元の黙阿弥…
試しに天狗尾根を越えて南尖峰まで足を延ばしたが、案の定、墓場尾根は黒々霧氷もない。
弥山に引き返すと人影がひとつ。
「こんにちは」と挨拶すると「あれ?」
年末の山で御一緒した金澤さんじゃないか。
今夜の避難小屋は、また一人増えて賑やかになる(笑)
そして日が暮れてから、またガスが発生して山上を閉ざした。
粉雪が舞い霧氷も着氷し始める。
ただし今夜は風が弱い。
翌朝、雲ひとつないピーカンの晴天。
薄く雪は積もっているが霧氷はほとんど落ちている。
天狗岳や周囲の山も黒々。
所在無げに佇む三人の姿。
視線を下げると、1700m付近のブナ林が霧氷に覆われている。
このまま日の出を待っても、代わり映えのしない朝焼けの風景しか撮れない。
風景写真は臨機応変に(笑)
決断は早かった。
「下に降りてくるね」と言い残し、そのまま駆け下りる。
周辺の様子を見ながら二の鎖下まで雪まみれで下った。
決断は正しかった。
ローズ・ピンクからブリリアント・レッドそしてゴールドまで。
めくるめく美しい光と色彩の変幻。
これが白いキャンバス(下地)に色彩の魔術が施される雪山の醍醐味。
だから山岳写真のメイン・ストリームは厳冬期の雪山なのだ。
山頂から下って朝陽を狙うとは さすがに何度も石鎚に通っている人の余裕です!
新参者の私には考えつきません。脱帽です。
ほんとに自然の美とはすごい。雪が舞っている天狗岳も良いですね。
改めてランスケさんの写真技術に敬意を表します。
確か先週はのんびり山歩さんと一緒に避難小屋で過ごされていましたね。
きっと良い作品をモノにして関東へ帰られることと思っています。
避難小屋でも話したように、私たちは石鎚とういう一年を通して通える魅力的なフィールドを持つことで他所より恵まれています。
本当に、こんな場所は滅多にありませんよね。
たぶん地元の四国で暮らす人たちは、その希少価値を理解していないと思います。
私も長年他所で暮らし、再び帰郷して初めて、この場所の凄さを理解しました。
さて今度は、神々しい朝を金澤さんと迎えたいですね(笑)
あの状況では一枚も撮れずに下山してもおかしくありませんでした。
二日目の朝は、冬の石鎚では比較的凡庸な風景。
三日目の朝は、状況判断から自ら勝ち取った風景だと思っています。
でも、まだまだ厳冬期石鎚の凄さは、こんなものではありません。
今度こそ身体が震えるような神々しい風景と出会いたい。