高野 光二郎です !!

高知県選出の参議院議員として、国の実情を地方の視点から綴って参ります。

喜怒哀楽。

2011年08月13日 16時56分08秒 | 日記

11日、利府町で大変お世話になった安部孝県議御夫妻が利府の皆さんとともに「送別会」をしてくれました。

 

高知から自慢のカツオのたたきを送ってもらい、料理をして振る舞わせていただくと「さすが本場めちゃくちゃ美味しい、」と口々に言って頂きました。松島町の漁具組合の方々もお越し下さっさり同じ評価でした。

 

会は盛り上がり私は「3月11日には毎年来たい。」再会を約束しました。

 

12日、以前伺った、南三陸の志津川保育所に支援物資を届けに行きました。もう一度あの天使たちと会いたくて。

 

http://blog.goo.ne.jp/tosagurasi3/e/049aecbf25256b28ceee8facacf236b7

 

今は水道も完全に通り、そして来週からいよいよ給食が始まるそうです。

 

しかし、保育所の下は相変わらず、瓦礫撤去は殆ど進んでいません。

 

次に高知応援隊Aチームで炊き出しのボランティアをした志津川高校へ。

 

体育館の避難所にはまだ50名近い方々がいらっしゃいます。

 

http://blog.goo.ne.jp/tosagurasi3/e/fbf2ccf1acc3a0ae3b85d62164bf7439

 

親しく被災者の方々と話をしていると、女性から「お昼食べた?」「いやまだです。」「だったらこれ食べ。」とコンビニのおにぎりとパンを頂きました。

 

そして最後におじいさんから「写真撮ってやる。」と言われておじいさんのカメラで撮って頂きました。

 

次に、石巻市の湊中学校へ。避難所になっています。

 

ハズでお風呂に入りに行っていた被災者の方々はとても明るく接してくれました。

 

今日、山元町へ支援物資を届けに行った時にこんな話をして頂きました。

 

仙台市の老舗のお豆腐屋さんの話です。その方の甥になる方が専務(60歳前後)の話です。

 

被災され、工場が浸水して全国のボランティアに手伝って頂いて必死になって専務さんは働いていたそうです。周りが心配するほど働きすぎだったそうです。

 

しかし、「明治から続いた老舗を何とか復活し、応援して頂いた皆さんに恩返しがしたい。」といつも言ってがんばり、とうとう6月25日に営業再開の目途がついたそうです。しかし、22日の突然亡くなったそうです。医者からは「過労死」との事だったそうです。

 

たくさんのいろんな出会いと別れを繰り返しています。

 

私は、「自分の為に、人のために、地域の為に、日本の為に喜怒哀楽が思いっきり発揮できる社会」を創ると選挙戦でも訴えていました。

 

少し、意味不明に思えるかもしれません。

 

赤ちゃんは、自分の為だけに思いっきり喜怒哀楽を表現します。

 

成長するにつれ、今度は家族や大事な人のため、自分以外の方を愛情と思いやり、いたわりを持って発揮します。

例えば、友達がふられたり、受験に失敗して落ち込んだ時には一緒に泣いたり。

親をばかりされると喧嘩をしたり。

友達に良い事があるとほっぺたがつるくらい笑ったり。

純粋に向き合い感激の連続だった事。多くの皆さんもそうだったと思います。

 

しかし、大人になったらどれだけの方が発揮できているか?と考えます。

 

個々の存在感を発揮できる社会を作る為に機会の均等を訴え、再チャレンジ支援、個々の自立へのシステムの確立による人生設計が出来る社会を創りたい。との思いです。

 

私も今までの人生、相当に発揮していたと自負をしています。

 

しかし、被災地に滞在して2カ月、確かに気づきました。

 

私に最も足りなかったのは「哀」です。

たくさんの被災された方と真正面から向き合わせていただき、これほど人の悲しみや、苦しみや、絶望感を感じた事はありませんでした。正直、寝る時もずっと聞いた話や見た惨状を思い出し眠れぬ時もありました。

 

もうすぐ、高知に帰ります。

 

たくさんの方々と出あいと別れを繰り返してきました。確かにこれを自分の力として皆が「日本に生まれて良かった。」と思いえる日本を目指します。

 

 

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示そう日本の存在感、気仙沼魂

2011年08月11日 06時14分40秒 | 日記

昨日は、まず、先日ご紹介した仙台市若林区の荒浜にあった知的障害者の皆さんの為の授産施設、社会福祉法人 円(まどか)に行ってきました。


→ http://blog.goo.ne.jp/tosagurasi3/e/94c8106d15df3d1618ea85d0313e7054


施設はほぼ壊滅し、尊い犠牲もでました。今は、新たな建設用地が決まり今後建設に移るとの事です。


通所者は、パイプ椅子に座って肩を寄せ合い職員さんと共に一生懸命作業されています。


昨日も素晴らしい笑顔で出迎えてくれました。



まずは経緯を説明させていただき、そして



「高知を知ってる方ー?」残念ながら二割程度でした。



高知応援隊の役員に承認を受け、高知県民の熱い支援金の一部を通所者が使い続けられる器具の購入費を寄付をさせていただきました。


大変喜んでくれてここでも皆さんから行って頂いた「ありがとう。」が心に染みました。


これも高知応援隊のメンバーや県民の物です。


さて、写真左の若い職員さん。この方は先日紹介させて頂いたとおり、この施設からは1人の尊い女性職員さんの命が奪われました。


その彼女と震災直後、避難所にやっとの思いで避難した通所者の安否を確認すると、寒い夜に通所者の為に毛布などを取りに行く為にまた、保護者が心配すると配慮し通所者の安否や避難場所などを知らせるために再び、沿岸部の施設に戻ったのが彼です。


彼は、施設の中で探し物をしていた時いきなり、


津波が来たぞー逃げろーと言う絶叫が聞こえて、ふっと施設の外に目をやると真っ黒い津波がすぐ近くまで迫り、気がついた時はのみ込まれながら奇跡的に施設の外に放り出され、何とか泳いで大分離れた家屋の二階のベランダにたどり着くことにより、大切な一命を取り留めました。


泳いでいるときに津波の中で


「体が上下どちらに向いているかわからなかった。洗濯機の中で廻っているようだった。」と。


たくさんの海水を飲んでヘドロ等が内臓にたくさん溜まり、腸内洗浄などかなりその後も苦労をされたようです。


この方とお話をしている時に、改めてその強さと優しさを感じました。


移動中、名取町ではまだ警察が捜索をしていました。この日の仙台は34度熱い中、連日本当にありがとうございます。



気仙沼に向かう途中、八幡太鼓の子ども達にすいかを買って行ってあげようと思い、小さな八百屋に入り、お店の女性と会話をし、このスイカを気仙沼に持っていくことと高知から来ている事を言うと感激して頂き、なんと大きなスイカをもう一つサービスしてくれ、さらに「全部ただで良いから皆に食べさせてあげて、わざわざ高知から本当にありがとう。」と言って頂きましたが、一つ分の支払いはどうしても受け取って頂きました。


気仙沼について「八幡太鼓ジュニアベストチーム」の出発前の激励練習に行ってきました。


813日~21日まで北京人民政府、中国中央電視台主催で行われる国際児童親睦会に日本代表として招待をされました。米国、日本、韓国、インド、北朝鮮、豪州など各中学生代表と世界の青春アイドルスターを招待する文化、芸術のビックイベントに日本国代表として招待されました。


http://blog.goo.ne.jp/tosagurasi3/e/d75560e250a08fd3b278da6c39da4116


http://blog.goo.ne.jp/tosagurasi3/e/6106cb6720ae7d94a3d77f8b624d67c0


保護者やご近所の皆さんも沢山集まられていました。


その保護者の方々にお話を聞くと「皆家は流されたー。」今は仮設住宅やアパートに住んでいらっしゃるそうですが、在宅サービスが全く来ないとご苦労を話してくれました。


会話の中で簡単に自己紹介を終えた後、その中の1人の女性から「あなたが高野さんですか?」と聞いてくれ、「実は私の娘が四万十市に嫁いでいます。そして旦那さんと共に高野さんを一生懸命応援しています。」との事、ありがたいです。


さて、久しぶりあった子ども達、たくましく日焼けて意気も笑顔も最高です。なんか自身が溢れています。



中国行きのユニフォーム。男の子にネクタイの結び方を教えて、




どんなに厳しい状況でも復興への情熱と子どもたちへの愛情を注ぎ続けていらっしゃる村上寿夫代表と本番用のハッピを着せて頂きそのハッピを見ると



1人じゃないぜよ、東北と共に、土佐人魂のマークが。



最後にいきなり村上さんから代表して子ども達に激励をとの事で・・・。


帰り際に若いお母さん二人が来てくれて


「高知ですか!本当にありがとうございます。是非ともお願いです。高知のかつお漁船を是非、これからも気仙沼を見捨てずに卸してください。」と切望されていました。


 


 


 


 


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憤り。

2011年08月10日 07時32分05秒 | 日記

被災地にて色んな現場や惨状を見て、そして住民との触れ合いを体感してきました。

そんな中、どうしても憤りを覚える「瓦礫撤去の遅れ」を確認しておきたく、45号線の沿岸沿いを行きました。

 

大震災から5カ月が経ちますが、まだこれです。

 

 

 

 

宮城、福島、岩手の三県で環境省の推計では2386.7万トンもあります。

 

石巻市では、年間廃棄物処理量の100倍の量。

 

被災市町村別でがれき撤去、処理には進んでいる所と全く進んでいない所には進度差が相当であります。

 

宮城県では1年以内に1次撤去、3年以内に2次撤去を終える方針を示しています。がれき処理は市町村の事務ですが、対応が困難の場合、県が代行している市町村(15市町のうち14市町)もあります。
 委託範囲は「全ての撤去作業」「2次撤去以降」と市町によってバラツキがあります。
 

 

行政=補正予算が来ないから、業者に発注出来ない。

 

地元建設業=地元の事は地元(企業)でやる。補正が出るのが遅いからお金を貰えないので仕事が出来ない。

 


 地元の業者が被災して稼働率が高くない、人手と重機の数も不十分で作業遅れを招いているのは事実です。土日なんか機械がまったく動いていません。

 

 小出し小出しの作業が続いているように思えます。瓦礫も2次撤去以降は作業が大規模化し、地元の対応レベルを超えると指摘されています。

地域に貢献したい地元建設業。

本当にそう思うなら、工程管理にノウハウのある大手業者の協力、さらには人員、機械、他の都道府県建設業界との連携や協力などを要請すべきです。

地元の住民の方から怒りの声を何度も頂きました。

 また、すごく強く感じたのが、市町村のスキルとリーダーの能力によって、瓦礫撤去・仮設住宅・復旧作業・ボランティアの受け入れ・住民との協働、そして復興計画などにもその差は一目瞭然だということです。  

 地域のリーダーの能力と意欲と行動力が相当な度合いで関連しています。 

 被災され、職員自体が沢山亡くなり、家と家族を失い、本当に精魂も尽きるほど大変だと思います。

 

 県は、他の都道府県の市町村の職員が献身的に応援にかけつけ、救援、救助レベルでの作業では十二分に機能したと思います。

 

 しかし、復旧から、復興段階になると・・・?

 

 南三陸町では、何をしているか分からないようにふらふらと何をするわけでもなくただ巡回しているだけの県の関係者を何回も見ましたし、色んなボランティアの方々からも聞きました。

 

宮城県では8月5日、

 

「宮城県は4日、震災で発生した瓦礫などの災害廃棄物処理実行計画の1次案を発表。廃棄物の焼却など中間処理を行う2次仮置き場は、運搬コストの削減を図るため、当初計画の4ヵ所を計7ヵ所に増やす。2013年度末までの処理完了を目指す」と発表しました。

 

市町村、県、建設関連業者、瓦礫を撤去したくても、膨大な量による行程計画の人員、機械が少ない。また、予算が下りてこない、そして国と県と市町のそれぞれの工程で意思疎通出来ていない事。

 

結局、国の政治の混乱で、どこにその権限と主体性があるのかと現場は困っています。このままではさらに対策が遅れていると考えます。

 

 

 

政府の言う「国難と言うのは口だけか、出来ない、やらない理由を探すな」と言いたい。「本気で国難に立ち向かう覚悟が今の政府に果たしてあるのか」りを強く感じます。

 

 

金がない・・・?笑わせるな。本気でやるなら、この国難、国債発行を急いでもやるべきです。

 

また、被災地以外の他の自治体にに対して説明と理解を求め、場合によっては全国にばらまく来年度一年間の交付金を減らして被災地に回す、そして瓦礫置き場の提供のお願いをして必要な措置を取ることも出来ると思います。

 

これが出来るのは誰ですか?国会議員であり、政党であり、最終的には政府ではないですか。こんな時に不退転のリーダーシップを発揮せずどこでするのか。

 

どうも最近は、メディアも取り上げる事が少なく、国会でも議論が減り、そして関心が薄れていると危機感が募ります。

 

国民にすり寄る迎合的な政治は、この国難により捨てなければ、日本は一生立ち直らないと本当に悔しい限りです。

 

この子たちが見えますか?

 

気仙沼では30度を超す暑さで、瓦礫等の悪臭が本当にひどい中、灌水した長く続く砂利道を海水を被りながら、砂ぼこりに巻き込まれながら、雨の日も家をなくした子どもたちが避難所や仮設住宅から通学しています。また、友達や周りの住民はどんどん気仙沼から出て行き、

 

8日の新聞では、宮城県の人口2万1380人減です。 

 

 

 

私は動く。

 

 

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被災地の天使の極上の笑顔。

2011年08月08日 19時05分08秒 | 日記

今日は、朝から気仙沼市に向けて出発。3日間の仙台七夕祭りも関係なしです。 目的は、高知応援隊の支援金を「葦の芽幼稚園」に寄付する為です。

 

葦の芽幼稚園のホームページ、被災状況

 

http://www.ashinome.ac.jp/

 

 

園長先生にお話を聞かせてもらいました。

 

すると午後の2時に幼稚園から園児をバスで帰宅の為、送るそうです。地震発生の2:46、子どもたちを保護者の皆さんに返していた時です。

 

その中で1組、年中から年長になる園児が迎えにきたおばあちゃんと手を繋いで帰っていたその二人が津波により亡くなったそうです。おばあちゃんは未だに見つかっていないそうです。

 

また、保護者の方で亡くなられた方もかなりいるようです。

 

園長先生は、私の高知応援隊の話、そして多くの高知県民の温かく強い善意による支援金の話をさせて頂くと涙ぐんで喜んで頂きました。

 

そして、

 

子どもたちはご飯も食べずに待っててくれました。

 

 

高知県と気仙沼の関係を話、「高知県知っている人ー?」と聞くとなんと3分の1位の園児が手をあげてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

今日の日の為に園児が作ってくれていました。

 

 

そして最後に全員で「ありがとうー」って大きな笑顔と共に感謝の言葉を頂きました。

 

こらえ切れなくなり、泣きました。

 

この感謝の気持ちは、高知応援隊のメンバー、そして支えてくれた関係者、そして支援金を善意で下さった多くの高知県民のものです。

 

本当に本当に感謝の気持ちを頂きました。

 

行ってみました。

 

 

 

 

そして今回の寄付に使われる楽器です。

 

高知応援隊のロゴを張ってくれるそうです。

 

 

沿岸部の被災地でお話させていただくと、いつも近親者の死があります。

 

 

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コミニティーと紐帯の大事さ。

2011年08月08日 18時03分31秒 | 日記

8月6日(土)は利府町で行われた「東日本大震災フォーラム第三弾」で、 経過報告をした後、

 

 「この震災で日本は変わりました。“自分さえよければいいでは駄目だ”と改めて考え、絆を深めることの大事さをつくづく感じました。66年前の終戦の焼け野原から必死になって、今の日本を創って、そして自由と権利を命がけで勝ちとってくださいました。しかし、私達の世代は、生きる為の力、人間力は衰え、ハングリー精神を欠き、自由には責任、権利には義務がある事をそっちのけで自由と権利だけ主張するようになっています。これは、昨今の政治が悪いと言えばそうなるかも知れません。だからこそ、今変わらなければいけないと思います。66年前の今日、リトルボーイ(広島型原爆)が8時15分に広島に投下され、14万人の尊い命が奪われました。私は、今日、8時15分に黙祷しました。もう一度この大震災に強い関心を持ってもらえるように活動します。」と挨拶させていただきました。

 

8月7日(日) お世話になっている安部孝県議出身の学習院大学の仙台OB会が「炊き出しボランティア」をされるとの事でお手伝いさせていただきました。意欲のある素晴らしい方たちでした。

 

炊き出しの準備をしていると 今日は「大浜地区の住民の集まりがある。」と言う事で聞きに行きました。

 

夏祭りの事や被災者への各機関の支援の内容や申し込みなどについて意見が交わされていました。仕切りは区長さん以下役員の皆さんです。

 

時には笑い声が出たり、非常に和やかな雰囲気で、普段から仲間意識や絆を大事にする地区だと嬉しく思いました。

 

途中で私の存在に気づいた住民の女性が、「また来てくれたの?」、「彼は高知から来てくれてるのよ。」と喜んでくれました

ここには4回目で、三回目までここは避難所でした。

 

 

仮設住宅の駐車場で。

 

 

真ん中が塩釜市の蜂屋食品の4代目さん。

 

先日の高知応援隊の高知駅前での販売について感謝の言葉を沢山いただきました。

 

http://blog.goo.ne.jp/tosagurasi3/e/90d2a900e720e8113b48452e2e2c4470

 

 

 

私は、仮設住宅の皆さんに炊き出しの呼び込み係が得意です。

 

 

フルーツの缶詰、ステーキ、金華サバ、ギョーザ、おにぎり。大変喜んでいただき、被災者もボランティアも笑顔がはじけました。帰り際には改めて深く感謝をしてくれました。

 

震災直後は、ほとんどの地域の避難所で、炊き出しボランティアがバッティングするくらいいましたが、今は不足しています。(色んな避難所や仮設住宅で聞くと)

 

しかし、被災者は炊き出しボランティアに大変喜ばれます。

 

被災地、被災者の生活は、その大変さ、課題に変化はあるものの震災後の5カ月間、新たな苦しみや悲しみと先の見えない不安などがあります。

 

炊き出しボランティアが初めてくるとき、情報不足や必要な器材や現地との調整、企画作りから準備など苦労しています。

 

炊き出しボランティア募集です。高知応援隊が可能な限り、情報提供やノウハウのアドバイスを支援させていただきますのでお問い合わせください。

 

さて、仮設住宅で生活されている区長さん(私の事を幹事長と呼ばれます。幹事長代理ですが・・・。)からお話を聞きました。

 

大浜地区は地震の揺れが収まってから一時間後に津波が来たそうです。しかし、亡くなった方は奇跡的に1人だけでした。最初は「過般のチリ地震のように地震があっても、まさかここまで来ない」と思って避難する方が少なかったそうです。しかし、地区の役員、地元の消防団が一軒一軒ぎりぎりまで声をかけて一緒に避難されたそうです。コミュニティの大切さが実感できたケースだと思います。素晴らしい。

 

仲良くなった区長さんが「政治はあなたの様な現場を知っている方にしてもらいたい」とおっしゃってくれました。

 

大浜地区行ってみました。

 

これです。

 

 

 

 

 

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