高野 光二郎です !!

高知県選出の参議院議員として、国の実情を地方の視点から綴って参ります。

高知応援隊 3日目、4日目 最終版

2011年06月30日 04時50分49秒 | 日記

本日、再び宮城県に戻ります。

明日から畠山和純宮城県議会議長と共に地元の気仙沼市に数日間入ります。

 宮城県への物資、支援金支援から、次は文化、経済、産業、交流から技術支援など高知県の方々と連絡調整をしながら、やりたいことは山ほどあります。次の南海地震対策に向けても。

  高知はめちゃくちゃ暑かったですが、気温よりも沢山の熱い土佐人魂に触れて奮起です。

  さて、遅くなりましたが、6月19日は、高知応援隊の全体行動の最終日でした。

朝、ホテル組はいないですが、その後、一般ボランティア(瓦礫撤去や被災者支援)組と専門的な観点での被災地調査組と避難所での体育教室組に別れる為、解散式です。

2日間、朝早くから心のこもった美味しい母の味朝食を作ってくれた松島町婦人ボランティアの皆様ありがとうございました。

私は、高知応援隊のボランティア希望者が18名と多く、各ボランティアセンターと受入れの調整を16日にして、一般ボランティア組を多賀城市のボランティアセンターへ案内、受付、見送りをした後、東松島の避難所へ。

体育教室です。

政治よ。しっかりやれ。

多賀城市の避難所へ

大分、空室が目立ってきており、毎日のように転居が進んでいました。多賀城は中心部から近い事もあると思いますが、インフラ等の復旧や復興、そして被災者転居等の支援が進んでいて、より深刻な被災地との現状と比べてもスピードの違いを感じます。

全国からたくさんのメッセージが。

よく複数共通している内容として「私は無力ですが・・・。」という内容、しかし、そんなことはありません。

心のこもった手紙を書き、そして出来うる限りの支援物資、支援金を送って頂き、無力ではありません。

ありがとうございます。避難所にいらっしゃる方々に聞いてもとてもありがたい。随分励まされた。と喜んでおられました。

宮城県庁へ。高知応援隊として表敬訪問。

若生副知事と。別途で仕事の為に宮城県入りしておられた高知県東京事務所の桑名理事も加わり、

副知事は、高知応援隊の活動内容、そして人数の多さに大変喜んで頂き、何度も感謝のお言葉を頂きました。

続いて、畠山和純議長と。

5月9日の東日本大震災支援フォーラムから、久しぶりの再会を高知応援隊の役員と喜びあいました。

以上持って、高知応援隊の現地入り報告とさせていただきます。

高知に先に帰った仲間は、今日30日、高知応援隊の報告会をしてくれます。

参加者、全員がレポートを書いてくれるそうです。

参加者が家族や仲間や知人に現地での状況や活動を話してくれること。そして南海地震を意識してくれ行動してくれること。その事が私の望みです。

そういう活動が大変ありがたい事に高知応援隊の活動を知ってくれたまったく面識のない県民の皆さまから、「支援物資を送りたい。」とか、「ボランティアに行きたい。」とか。「技術、経済連携をしたい」と。複数の方々から連絡を頂いております。

高知応援隊員の皆様の力と知恵をかり出来うる限り対応します。

被災地支援から、高知県にとっても有益になり、相互がwin,win関係になるように。

 故山本広明先生の御冥福を心からお祈り申し上げます。

しっかりと頑張ります。

 

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松島町で。

2011年06月28日 07時42分56秒 | 日記

26日。朝、松島町へ向かう車の中で、山本広明先生の訃報を聞く。


 心の整理のつかないまま。 松島町では復興祭りがやっていました。


当初、高知応援隊の滞在中の6月19日に開催が予想されていた為に、高知応援隊でも何かやろうと相談していたら、なかなか準備が整わず延期になっての開催です。


地元の方々が被災後に必死になって生産した野菜や魚介類、加工品や竹細工などが並びます。



顔なじみもだいぶ増えました。高知応援隊もお世話になりました。


会場内はこれ。



長蛇の列




他に、食料品や子ども用品などなど。これを被災された証明、り災証明書を持つ住民の方々に無料で提供。


ルールは1人五点まで。あとは常識ないとの事。


これ全部、全国からの支援物資。松島町は死者1名と言う事で幸いにして津波の被害が少なかったと言われますが、そんなことありません。



日本三景の松島。の自然景観はは取り返しのつかない状況です。


その中でしっかりと復興へ進み、近隣市町村の復興へも支援をされておられます。



箱根町と松島町の観光関係者との意見交換会。


全国からの支援物資。かなりの量で避難所に積み上がっています。一方、被災者のニーズは(自立願望も含めて)変わりつつあります。


しかし、働く場所がない。仮設住宅に入りたくても入れない(金銭的な問題や抽選など)。復興は遅れており方向性も出来ていない。


義援金や支援金の支給がまだまだの状態。


あの支援物資を売ればいいのに。と率直に思います。


支援物資を下さった方々も売ったお金をどう使うのかを明確にすれば大半から賛同頂けると思います。


例えば、市町村別の被災に関する被害額をそれぞれの市町村の財政指標から、割り振って支給し、市町村の復興、被災者の生活、就労支援に使うなど。


出来ないもんでしょうか?


考えられないものでしょうか?


やらない。やれない。理屈を作る事はいくらでも出来ます。


政府は、それも被災した自治体まかせなのでしょうか?


 

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石巻、東松島で

2011年06月28日 06時11分58秒 | 日記

毎日のように余震を感じながら


6月25日 まずは、東松島町へ。




海水がが抜けない田んぼ。




銀色は水道管。黒は電話線。



この地区は壊滅的ですが、避難所である県の施設は、縄文土器や遺跡がたくさん発見された施設。http://www.satohama-jomon.jp/


不思議中ことに湾内から50mくらいしか離れておらず、海抜もおそらく2.3mしかないところに建っているもののまったく無事。施設の後ろの住宅群も。縄文時代からの人間の生活の知恵を感じます。200名近い避難者が今も暮らしています。


安部県議が炊き出しのボランティアの受け入れをされたアテンダントされた兵庫県三田市の市議会議員さんを含む、ボランティア隊。



三田市議の笠谷圭司氏は、「安部県議からお話を聞き、高野さんのブログ見て参考にしていました。」と。


兵庫県からワゴン車で乗り付け、三田市のゆるキャラ「キッピー」の着縫い組を持ちこみ。やる気満々。



しかも、名品 三田牛。


ただ、10名近くで回されたそうで200名相手は流石に大変だっと言われていました。


そして私は、


もう一つの避難所へ。



東北も梅雨に入りました。綺麗なアスファルトなど皆無の為、長靴は不可欠です。


高知応援隊が残して行ってくれた新品の長靴を直接、避難された方々へ。



「この長靴かわいい。あんたより私の方が似合う。」ととっても喜んでおられます。


被災後は、自衛隊のお風呂を運動場設置されていましたが、今はありません。「お風呂になかなか入ることが出来ない」と。


この日も熱かったです。



東松島を後に石巻市へ。





左の女性は、牧島かれん氏。15年来の同志です。http://makishimakaren.com/index2.php神奈川県箱根町から、小田原箱根商工会議所の青年部の方々や、町の議長や議員さん。そして職員さんと40名近くで関東から、バス泊、そして朝食、昼食とボランティアに来てくれました。



ほぼ全員の避難されている方々お話をさせていただき、屈託のない笑顔のこの少年に心を打たれました。


高野「ここ、たくさん遊ぶものがあるろー。何が欲しい。何が足りん。」


少年「お家が欲しい。」


高野「今、何がしたい。」


少年「○○ちゃんと○○君と遊びたい。」


高野「その子たちは?」


少年「もう、いないよ。」と。


不覚、こんなことを少年に言わせるなんて。涙をこらえながら。


「あそこに天下の剣、箱根町の温泉がきてるから、一緒に行こう。気持ちいいぞー。」



素晴らしいお母さんがすぐそばで彼を守っていること。そしてこの笑顔。


又、心に「人として何が必要なのか」「政治は何が出来るのか」を強く心に問い掛けました。


さらに移動して東北大学農学部へ。



どうしても聞きたい講義があったので。宮城県には大学や大学院が沢山あり、たくさん市民開放もしているので、教育環境は素晴らしいです。



研究する大学教授から、「市町村、県、国とそれぞれがバラバラに復興計画を作っている。権限が分かれていて、復興に対して行政の縦割りがその妨げとなっている。」とズバリ。




そして、


「この大震災で住民は、命と財産とそして記憶を失わされた。」と子どもの時から住み続けた様々な記憶を大事にしている、まったくの跡形もなくなったまちなみ、そしてあらたな街づくり。


確かに大事な記憶を失う事になる。



そしてこれ。確かに分かります。


人は与え続けられれば、人間としての尊厳を失うことにも関わってきます。



その後、松島町へ。高知応援隊もお世話になった野外活動センターへ。




 


 


 


 


 


 

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追悼

2011年06月26日 20時44分17秒 | 日記

今朝、松島町へ向かう途中で、森田英二県議から携帯に電話が入り

「山本広明さんが亡くなった。とりあえず一報」との事で私は絶句、鼓動が速くなり、泣きました。

今も動揺しています。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110626-00000061-jij-soci

以前ブログでも書かせていただきましたが、

http://blog.goo.ne.jp/tosagurasi3/e/9ea31fce448a5e2219f2bea5f8fd5959?fm=rss

本当に本当に素晴らしい方でした。

 私は約8年前から山本先生に色々と目を掛けて頂き、ご指導、ご教授を頂きました。

勤勉で情熱と信念を持ち行動力にとんだ先生でした。

またそれにもまして、私がいた7年間の県議生活の中では、:県議会の中でも人格の良さはNO1でした。多くの県議も共感できると思います。

奥様をはじめ家族を非常に大事にされる方で、県議会のパソコンの画面には、奥様と旅行に言った写真が壁紙になっていて、お孫さんが生まれた時はお孫さんの壁紙に代わっていました。

 私は一生、山本広明先生から教えて頂いたことを終生の教訓として忘れません。

今日の夕刻で高知でも報道されて、たくさんの方からも私に電話を頂きました。皆、心から悔んでいます。

非常に残念でたまりませんが謹んでお悔やみ申し上げますとともに心からご冥福をお祈り申し上げます。

通夜、告別式に参列する為に急遽、明日、高知に帰ります。

 


高知応援隊 仙台隊員

2011年06月24日 16時44分27秒 | 日記

今日は、名取市に行ってきました。ボランティアセンターと市役所へ。名取市、見違えるほど復興していました。3月に来たときは、国道も津波で瓦礫だらけ。そして建物には車などが突っ込んでいました。いたるところに「がんばろう東北・がんばろう宮城・頑張っぺ宮城・前へ再生・絆でのりきろう」などなど様々な広告が見られます。後日報告します。

 

さて、今日、高知県中村出身でプロのアーティストカメラマンの木戸孝子さんhttp://www.kokkophoto.com/index.html

 

以前の高知新聞でも木戸さんが取られた写真が紙面一面に紹介されました。

 

から、同行して頂いた18日のボランティアの写真を合計24枚送ってきていただきました。

 

私達は、スポーツマックスの秀さん。宮地隊長と共にAチーム、Bチームの調整や現地との調整の為に乗用車で移動をしていました。木戸さんには同行して頂き、秀さんと私の写真が多いことはご容赦ください(笑)

 

先日、高知新聞で仙台高知県人会の存在を知り、是非とも高知応援隊との面会を試みました。しかし、なかなかルートが広がらず、県の方から、高知新聞の方そして木戸孝子さんに行きつきました。

 

木戸さん。素晴らしい方です。現在仙台でご主人と二人で暮らされており、2年位だそうです。大震災からは、被災地を飛び回って撮影されており、お話させていただくと

 

「私は、被災地のひどいところ、ひどいところ、かなしいところ、かなしいところ、そして悪く言えば写真家自身が演出して惨状を追いかけることはしない。ごく自然のそれぞれの表情や、再生に向かっての元気を撮りたい。」と素晴らしいポリシーを聞かせて頂きました。

 

会話中、オール幡多弁でした。

 

そんな木戸さんの写真を紹介させていただきます。

 

ますは、気仙沼高校。

 

 

被災地発のスポーツマックス。MADE IN KOCHI

 

 

到着予定が遅れた為、それぞれがテキパキと活動して頂きました。

 

 

 

被災地の皆さんに高知応援隊の紹介と、そして高知県と気仙沼とのかつおの交流などを紹介させていただき、多くの高知県民から賜った善意に対して「是非、被災地や皆さん強い気持ちで思う高知県民に対してメッセージを書いてください。」とお願をさせていただきました。

 

 

 

 

レッドクローバー ゆきさん。やりましたね。

 

 

 

 

 

 

 

現地入り総括チーム長

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

流石の一言です。見とれました。木戸さんのカメラは、こだわりドイツ製で50年前くらいの物らしいです。

 

本当に感謝です。

 

続いて鈴木秀司さんの加工技術もなかなかです。

 

 

 

 

 

 


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