11日、利府町で大変お世話になった安部孝県議御夫妻が利府の皆さんとともに「送別会」をしてくれました。
高知から自慢のカツオのたたきを送ってもらい、料理をして振る舞わせていただくと「さすが本場めちゃくちゃ美味しい、」と口々に言って頂きました。松島町の漁具組合の方々もお越し下さっさり同じ評価でした。
会は盛り上がり私は「3月11日には毎年来たい。」再会を約束しました。
12日、以前伺った、南三陸の志津川保育所に支援物資を届けに行きました。もう一度あの天使たちと会いたくて。
http://blog.goo.ne.jp/tosagurasi3/e/049aecbf25256b28ceee8facacf236b7
今は水道も完全に通り、そして来週からいよいよ給食が始まるそうです。
しかし、保育所の下は相変わらず、瓦礫撤去は殆ど進んでいません。
次に高知応援隊Aチームで炊き出しのボランティアをした志津川高校へ。
体育館の避難所にはまだ50名近い方々がいらっしゃいます。
http://blog.goo.ne.jp/tosagurasi3/e/fbf2ccf1acc3a0ae3b85d62164bf7439
親しく被災者の方々と話をしていると、女性から「お昼食べた?」「いやまだです。」「だったらこれ食べ。」とコンビニのおにぎりとパンを頂きました。
そして最後におじいさんから「写真撮ってやる。」と言われておじいさんのカメラで撮って頂きました。
次に、石巻市の湊中学校へ。避難所になっています。
ハズでお風呂に入りに行っていた被災者の方々はとても明るく接してくれました。
今日、山元町へ支援物資を届けに行った時にこんな話をして頂きました。
仙台市の老舗のお豆腐屋さんの話です。その方の甥になる方が専務(60歳前後)の話です。
被災され、工場が浸水して全国のボランティアに手伝って頂いて必死になって専務さんは働いていたそうです。周りが心配するほど働きすぎだったそうです。
しかし、「明治から続いた老舗を何とか復活し、応援して頂いた皆さんに恩返しがしたい。」といつも言ってがんばり、とうとう6月25日に営業再開の目途がついたそうです。しかし、22日の突然亡くなったそうです。医者からは「過労死」との事だったそうです。
たくさんのいろんな出会いと別れを繰り返しています。
私は、「自分の為に、人のために、地域の為に、日本の為に喜怒哀楽が思いっきり発揮できる社会」を創ると選挙戦でも訴えていました。
少し、意味不明に思えるかもしれません。
赤ちゃんは、自分の為だけに思いっきり喜怒哀楽を表現します。
成長するにつれ、今度は家族や大事な人のため、自分以外の方を愛情と思いやり、いたわりを持って発揮します。
例えば、友達がふられたり、受験に失敗して落ち込んだ時には一緒に泣いたり。
親をばかりされると喧嘩をしたり。
友達に良い事があるとほっぺたがつるくらい笑ったり。
純粋に向き合い感激の連続だった事。多くの皆さんもそうだったと思います。
しかし、大人になったらどれだけの方が発揮できているか?と考えます。
個々の存在感を発揮できる社会を作る為に機会の均等を訴え、再チャレンジ支援、個々の自立へのシステムの確立による人生設計が出来る社会を創りたい。との思いです。
私も今までの人生、相当に発揮していたと自負をしています。
しかし、被災地に滞在して2カ月、確かに気づきました。
私に最も足りなかったのは「哀」です。
たくさんの被災された方と真正面から向き合わせていただき、これほど人の悲しみや、苦しみや、絶望感を感じた事はありませんでした。正直、寝る時もずっと聞いた話や見た惨状を思い出し眠れぬ時もありました。
もうすぐ、高知に帰ります。
たくさんの方々と出あいと別れを繰り返してきました。確かにこれを自分の力として皆が「日本に生まれて良かった。」と思いえる日本を目指します。
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