被災した災害弱者はどんな生活をしているんだろう。ご高齢者、子どもたちの状況は複数確認してきました。
しかし、もっと立場の弱い障害者の皆さんは・・・
紹介を受けて本日お伺いさせていただいたのは、仙台市若林区荒浜にあった知的障害者就労支援事業施設 まどか荒浜 (平成20年4月から)
http://www.madoka-arahama.or.jp/shisetsu.html
授産施設ですが、レストランや給食施設を兼ね備えています。特徴としては、利用者が和菓子を創って販売していた事です。
しかし、3月11日こうなりました。
河北新報 3/31
産経新聞 4/7
抜粋すると
震災発生時通所者44人と職員13人は、菓子作りなど作業の最中だった。中略、一刻を争う状況の中、車いすの通所者を3階にあげなければならなかった。そのとき、避難してきた住民たちが、協力して車いすの通所者をおぶって運んでくれた。停電で真っ暗だった夜は、住民が不安がる通所者を気遣い、声をかけてくれた。
44人の無事避難が確認されると事務職員の女性が「避難先を知らせた紙をはってくる。」と施設へもどった。しかし、それが女性の最後の姿となった。「保護者が子どもを探して被害にあってはならない。」と車を走らせた女性は津波にのまれ、亡くなった。
てきくぱきした性格から「姉さん女房」と慕われていた女性。職員達は「保護者達に何とか避難所を教えようと危険を顧みずもどった女性は私たちの誇り」と口をそろえる。
だが、通所者たちには女性職員の死や震災について話していないと言う。津波の恐怖がよみがえって心労がかかり、パニックを起こしてしまう恐れがあるからだ。
と言う記事。
現在は、仙台市の福祉複合施設である「仙台ワークキュンパス」に移られています。
尋ねました。
広く機能的な施設です。身体、知的、肢体の障害を持たれた皆さんが、通所だけでなく、入所(介護付きの施設)により、職業機能訓練や就労をされている施設です。
その中でまどか荒浜さんに伺うと
引っ越してきて、スペースが狭い中、また色んな道具や器材もないし、当然、息抜きの為のおもちゃや運動グッズなども見当たりませんでした。本当に良く一生懸命頑張られていました。
こんにちはー。と元気に挨拶すると。みんなにっこりしてこんにちわー。と最高の笑顔で返してくれました。
中には、作業の手を止めてわざわざ立ってくれて深々と「こんにちは。」と返してくれた方もいらっしゃいました。
通所者が作っているのがこれ。今まで和菓子を作っていたので少し勝手が違うようです。
この繭玉(まゆ)を綺麗に清掃して、色んな種類の模様を丁寧に貼りつけて3個で600円で売るそうです。
震災後はアメリカから生産が追いつかないくらい注文が来ているとの事。
挑戦。丁寧に教えてくれました。難しい。教えて頂いた通所者は、一日16個くらい作るそうです。
私も高知にいるときはたまに授産施設を訪問しますが、ここも本当に心が澄みきっているみんないい子たちばっかりでした。
職員の皆さんも愛情をもって励まれています。
それから、この施設の理事に聞いた話では、亡くなられた女性職員さんは、実は1人で津波で襲われる施設に戻ったのではなく、男性職員と一緒だったそうです。
震災した日は相当寒く、電話、携帯、ガス、水道などは完全ストップ状態。そして食料も。それを思ってせめて毛布だけでもとの思いで二人で向かわれたそうです。
しかし、女性は津波にのまれ、男性は津波に押し上げられ、となりの二階のベランダまで押し上げられて奇跡的に助かったそうです。
その男性職員さんも元気に働かれてるそうです。通所者の笑顔を守るため、職員さん達は悲しみを胸に秘め、やさしく見守っておられます。
施設を一回りし所要があった為に仙台中心部へ向かおうとしましたが、やはり、その施設があった所に自然に行きました。
仙台市若林区荒浜・・・。今だ道路は作業者と住民のみと制限されています。
これです。
そして施設。
ありました。中は、
胸が詰まりました。職員の方が子どもたちに見せたくない、あの惨状です。
亡くなられた、勇気があり、素晴らしい無償の愛情を通所者に注がれた女性職員さんに、通所者の子ども達からもらった繭玉をお供えし「あなたの御蔭で子ども達は、みんな元気に頑張っていますよ。これが僕にくれた繭玉です。本当にありがとうございます。どうぞ、天国で安らかに見守ってあげてください。」と手を合わせてきました。
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