高野 光二郎です !!

高知県選出の参議院議員として、国の実情を地方の視点から綴って参ります。

大詰めは、「日はまた昇る」

2011年08月15日 16時46分16秒 | 日記

いよいよ、被災地での活動に一区切りする今日。

朝2時30分に仙台を出発。気仙沼へ。最後にどうしても気仙沼の力強い太陽の日の出をしっかりと心に焼き付けたい為に。

 4時30分前後には到着、しかし、日の出のはずがあいにく濃霧注意報、小雨も。

何とも言えない気持ちで夜明けにたたずむ。昨年夏の参院選より確実に日焼けをしました。

 

 

 

 

朝の灌水はさらにすごい。

 

 

 

遠目には綺麗な港です。

 

 

市場施設もこの状態。

 

 

 

今日は、終戦から66年。市場近くの五十鈴神社に英霊と被災で亡くなられた方に心から御冥福を祈りました。

 

 

その足で陸前高田市に行きました。

 

 

市街地が平地で綺麗な砂浜があった分、津波をもろに受けて何もない状態です。

 

 

野球場

 

 

アパート?

 

 

 

 

高田高校。

 

その後、大変お世話になった畠山和純県議会議長へ挨拶。

 

そして、6月18日に高知応援隊として炊き出しをした気仙沼高校へ。

 

 

この場所でしました。

 

生徒や炊き出し風景の写真と一緒に「ほっとこうち」を生徒に見せてあげてください。と学校の先生に預けます。

 

そして体育館の避難所へ激励に。まだ多くの方がいらっしゃいました。

 

 

グランドでは、同じく被害が甚大だった岩手県立大船渡高校との練習試合です。

 

二校の生徒も元気に礼儀正しくあいさつをしてくれました。

 

そして、私がこの二カ月お世話になった高知応援隊が高知市内の有志からご提供頂いたキューブを熊谷夫婦に寄贈しました。

 

 

熊谷さんは、自治会長としてまた震災復興のNPOの副理事長として地域の為に努力し続けておられます。8月末には消防学校の方々達が250人もそのNPOを通じてボランティアに入るそうです。

 

現在は、みなし仮設とも言える狭いアパートに奥さんと二人で暮しておられ、今だに行政事務が遅れてまだ通知が来ておらず、家賃を払っているそうです。

 

 

電柱の真後ろが流された熊谷家。

 

そして震災当時、多くの被災者が取り残された真後ろが、旅館「一景閣」。3日間取り残され、自衛隊から二人で一つのカンパンだけ投下して貰って食いつないだとの事でした。

 

 

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