高野 光二郎です !!

高知県選出の参議院議員として、国の実情を地方の視点から綴って参ります。

帰ってきたぞ。

2011年08月20日 10時54分02秒 | 日記

昨日、家族はお盆で済ませていたので私一人で墓参りに行きました。


それにしても土佐は熱い。


龍馬が隠れていますが龍馬ふるさと博は、たくさんの県外から観光客がきてくれているのは見ていてもわかります。


はじめて三志の銅像見ましたが、後ろの高知駅舎ともマッチしています。


高野家のお墓がある高知市長浜へ。




勝手に守り神としている長宗我部元親公。さすがにカッコイイ。


長浜に行くと帰ってきたな。と言う気持ちになります。


そして母方の高知県の山間部、旧物部村大栃の西野家のお墓へ。


小さい頃、おじいちゃんに良く魚釣りに連れて行ってもらった楽しい記憶を振りかえります。





県外からの帰省客でしょうか。楽しそうに釣りを楽しんでいます。


そして夜は、何かとお世話になっている高知市議の上田貢太郎さんの市政報告会へ。



三期とも上位当選。着実な力が備わっており、支援者の方も素晴らしい方々でした。


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良かった。覚えてた。

2011年08月17日 18時15分29秒 | 日記

2カ月ぶりに高知に帰高。飛行機も殆どが県外の観光客。嬉しい。


しかし高知の街並みを見ながら、被災地のあの惨状に照らし合わせては「ここは危険だな」と、そんな感覚で見えてしまい、逃げれそうな場所を目で探している自分がいました。


さて、愛息の真駆郎(しんくろう)と再会したくて、保育園が終るまで今か今かと待ちました。


家族には「2ヵ月もいなかったから多分忘れられているかも」と嫌味を言われました。


思えば、私が高知から出るときにはまだ何一つしゃべれず「あー、うー」と言っていました。


被災地滞在中に2歳の誕生日を迎えたし、「本当に忘れられたかも」と心配しながら、あえて1人で迎えに行きました。


保育園の先生たちに迎えられ、いよいよ対面。


大きな声で名前を呼ぶと、無表情でこちらを向いている。やばい。


近くによって「おい。真駆郎」と手を拡げると大きな声で「パァパァー」とものすごい笑顔で抱きついて来てくれました。



「パァパァじゃなくてお父さん!だろ!」と言うと「おとちん?」


ありがとう。二代目 真駆郎(まっしぐら)



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被災地支援の理由。

2011年08月16日 10時09分27秒 | 日記

昨夜、仙台市でお世話になりっぱなしだった安部孝県議と、滞在中に親しくお付き合いさせて頂いた仙台在住の方々(私にとって人生の先生とも呼べる)が、私の為にお店の二階を貸し切って送別会を開いて頂きました。

 

仙台の方、宮城県人の方は自らの県民性を「感情を表さない。感じた事や思った事を口に出さない。少し、暗いかも」と言われるのを良く聞きました。

 

そんな事ありません。優しいし、純粋だし、何よりも頭の良い方が多いです。よく学びました。最高ですよ。

 

別れ際にお土産を沢山頂きました。解散してお店から1人で帰っているとき、お店のご主人から電話が入り「○○さんが、やっと今仕事が終わったので、高野さんにお土産を渡したいと言ってる今から戻ってきてほしい」と。ダッシュで戻りました。

 

皆さんから「本当に宮城の為に、長い間一生懸命がんばってくれてありがとう。高野さんから、行動力や勇気など色んなものに気づかされた」と言って頂きました。

 

帰り際に握手をしていたら、皆さんが涙ぐんでいたのでハグしました。

 

本当にお世話になりました。勇気や愛情を沢山頂いたのはむしろ私の方です。忘れません。

 

さて、その中で「どうしてそこまで一生懸命になれるの」と何人かに聞かれ、応えました。

 

少し、本音を整理します。

 

3月11日 2:46 私は県議会議長室で要望をしていました。すると信じられない映像が目に映り、私は川の近くにある息子の保育園に駆け込みました。

 

「津波が遡上するかも知れない!」これらの動きは全くの本能でした。

 

そして、毎日帰宅してはテレビを見て、恥ずかしい話ですが泣いていました。

 

少し、話は古くなりますが、平成17年に高知県が発表した「南海地震の第2次の津波浸水予想図」で、死者は約9,600名でした。正に衝撃を受けました。

これはいかんと思い、関連資料をコピーして浸水予想の沿岸部の知り合いに説明に行きました。

すると多くの方が他人事のように「来たら、きたでしょうがない」、「大丈夫。生きちゅう間は来ない」と言っていました。正直、知った事への責任が果たせず、口惜しい思いをしました。

 3月11日以降、団体だけではなく、個人としても義援金を集めるために街頭に朝晩立ち続けました。そして多くの善意を頂きました。 

 中には強面のおじさんが「あれ、高野だろ。じゃあこれ。」と一万円を入れてくれたり、子供が「ぼくこれしか持っちゃあせんけと゜」と500円を入れてくれたり、おばあさんが「他の所でも入れたけど、他人事やないき」等など沢山の熱い善意を頂きました。

 どれほど嬉しかったことか、今でも強い感激をしていますし、改めて高知県人として誇りを持ちました。皆さんから頂いた善意には、責任の重さを感じておりました。

 それから、ようやく安部孝県議をはじめ、宮城や被災地の友人と連絡が取れました。

 その中で「宮城はもう駄目かもしれない」と責任ある立場の方が疲れ切った声で私に話してくれました。

 たまらず、市議選や県議選前の応援する日程を皆様にお詫びして全てキャンセルし、行くことを決めました。

3月25日 あの惨状を見て「可哀そう、口惜しい、恐ろしい、どうなってんだ。どうなるんだ。日本」と吐き気がしました。

 私は、その後、高知に帰って熱い仲間を一本釣りして集め、5月9日に「東日本大震災支援フォーラム」を開催しました。600名を越える県民に沢山の善意を頂きました。

 そして身内応援隊を結成。57名で再び、宮城に入りボランティアをしてきました。多くの仲間の強い善意と責任と行動により、何倍も内容の濃い心のこもった充実した活動が出来たと思います。

 その後、1人で被災地で活動する事を決めていました。宮城県での2ヵ月間、頂いた名刺だけ300枚以上、その数倍の方々にお会いすることができました。そして私の人生の中でこれほど数多くの心のこもった「ありかどう」を聞いた2ヶ月間はありません。

 この「ありがとう」。私だけが頂いたものではありません。

 これだけでは終りません。

 すでに3件の依頼を頂いております。これから調査活動報告や講演会、個人対象でもしっかりと伝えて行きます。

 少しでも今回の調査が役に立つように、高知に帰ったら有識者や様々な方にアドバイスを頂き、正式な報告書を作成して高知県や市町村にお届けします。

 そして、被災地への復旧、復興において具体的な支援策をあらゆる手段、ネットワークを使って自民党は勿論、政府等にタイムリーに要望して行きます。

 また、私に出来る事があればどうかお導き頂きたいと存じます。

 「被災地支援の理由」は、

考えて悩むのではなく本能と感情で動きました。

 その背景と根拠にあるのは、今まで私を育てて頂いた皆さん、そして支援をして下さる皆さん、そして多くの善意を私に託してくれた高知県民の皆さんのお陰です。本当にありがとうございます。

次のステージにしっかりと立ち、仕事や心を行動にお返しする事を約束します。

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大詰めは、「日はまた昇る」

2011年08月15日 16時46分16秒 | 日記

いよいよ、被災地での活動に一区切りする今日。

朝2時30分に仙台を出発。気仙沼へ。最後にどうしても気仙沼の力強い太陽の日の出をしっかりと心に焼き付けたい為に。

 4時30分前後には到着、しかし、日の出のはずがあいにく濃霧注意報、小雨も。

何とも言えない気持ちで夜明けにたたずむ。昨年夏の参院選より確実に日焼けをしました。

 

 

 

 

朝の灌水はさらにすごい。

 

 

 

遠目には綺麗な港です。

 

 

市場施設もこの状態。

 

 

 

今日は、終戦から66年。市場近くの五十鈴神社に英霊と被災で亡くなられた方に心から御冥福を祈りました。

 

 

その足で陸前高田市に行きました。

 

 

市街地が平地で綺麗な砂浜があった分、津波をもろに受けて何もない状態です。

 

 

野球場

 

 

アパート?

 

 

 

 

高田高校。

 

その後、大変お世話になった畠山和純県議会議長へ挨拶。

 

そして、6月18日に高知応援隊として炊き出しをした気仙沼高校へ。

 

 

この場所でしました。

 

生徒や炊き出し風景の写真と一緒に「ほっとこうち」を生徒に見せてあげてください。と学校の先生に預けます。

 

そして体育館の避難所へ激励に。まだ多くの方がいらっしゃいました。

 

 

グランドでは、同じく被害が甚大だった岩手県立大船渡高校との練習試合です。

 

二校の生徒も元気に礼儀正しくあいさつをしてくれました。

 

そして、私がこの二カ月お世話になった高知応援隊が高知市内の有志からご提供頂いたキューブを熊谷夫婦に寄贈しました。

 

 

熊谷さんは、自治会長としてまた震災復興のNPOの副理事長として地域の為に努力し続けておられます。8月末には消防学校の方々達が250人もそのNPOを通じてボランティアに入るそうです。

 

現在は、みなし仮設とも言える狭いアパートに奥さんと二人で暮しておられ、今だに行政事務が遅れてまだ通知が来ておらず、家賃を払っているそうです。

 

 

電柱の真後ろが流された熊谷家。

 

そして震災当時、多くの被災者が取り残された真後ろが、旅館「一景閣」。3日間取り残され、自衛隊から二人で一つのカンパンだけ投下して貰って食いつないだとの事でした。

 

 

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宮城入り初のオフは、ドリフト。

2011年08月14日 16時41分21秒 | 日記

三回目の被災地である宮城県で初のオフをしました。


16日に高知へ帰る予定ですが一日も休まず活動をしてきましたので、高知に帰ってもスケジュールがありがたい事に結構入っていますのでオフにしました。


と言ってもさあっどうする。


通常高知でいるときは、海釣り、ツーリング、時間のない時はプール。と言う事になりますが出来ません。


スポーツ観戦? 楽天、ベガルタ仙台、バスケット・・・。いやいや。


気分転換、心機一転も込めて私が選んだのはこれ。仙台中心部から車で一時間程度の



こんな良いところにある(高知を思い出します。)



第3回 仙台ハイランドサマ-フェスタ


入所料金500円。


震災後、8月1日~営業を再開して初のイベントをやっていました。


実は、中学校の頃に少しナンチャッテモトクロスや今でもオートバイを乗る事から、モータースポーツ大好きです。


皆さん車はそれぞれで中には、軽四のフルノーマルも一緒に走る愉快なイベントでした。


隣のコースではこれです。




そう、ドリフトバトル、爆音とタイヤの焦げたにおいが血をたぎらわせます。


この人ウマすぎる。早すぎてカメラでとらえきれません。ドリフト切りながら、観客に手を振り続けています。



こちらも42台出場でやっています。ほぼ行動で走れるナンバーつきの車ばかり。



優勝者はこの方。



テクニックも一番、音のうるささも一番。


隣では、



先ほどのドリフトキングに強力なライバルが・・・。


興奮しました。すっきりしました。


明日からも頑張ろう。


尚、くれぐれも公道ではまねしないように。エコドライブでお願いします。


 


 


 


 


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