さくら咲く
日本人の死生観に深く結びついているといわれるサクラ。
満開の桜を見ていると、
亡くなった命がこの世に戻ってきたように感じることがあるのです。
少年兵の ままに還らぬ人が顕(た)ち
ソメイヨシノは 今年も咲きぬ
~ 鳥海昭子 ~
「ラジオ深夜便誕生日の花と短歌365日」より
鳥海さんは、私と同郷の
山形県遊佐町 鳥海山麓出身の歌人です
残念ながら平成17年10月9日に急逝されました
合 掌
日本人の死生観に深く結びついているといわれるサクラ。
満開の桜を見ていると、
亡くなった命がこの世に戻ってきたように感じることがあるのです。
少年兵の ままに還らぬ人が顕(た)ち
ソメイヨシノは 今年も咲きぬ
~ 鳥海昭子 ~
「ラジオ深夜便誕生日の花と短歌365日」より
鳥海さんは、私と同郷の
山形県遊佐町 鳥海山麓出身の歌人です
残念ながら平成17年10月9日に急逝されました
合 掌
早春に、花火を見ることが出来ます
小さな小さな花火
気をつけていないと見過ごしてしまうほど小さな花火です
冬枯れた林床の中、じっと目をこらすと
ぽつ、ぽつ、と見え始め
やがて一面に群生している姿に気づくのです
セリバオウレン(芹葉黄連)
早春の林床にどの花よりもいち早く咲き
木立から差し込むわずかな光に揺れ
あっという間に消えてしまう
まるで線香花火のように儚く美しい花
春の花火は、山蔭にひっそりと花開く春の妖精なのです
( 山形県酒田市-八森自然公園-で撮影 )
自然のことのは
庄内にカタクリが咲き始めました。
落葉広葉樹林の林床に、雪解けを待ちかねたように一斉に芽吹き、頭上の樹々たちが葉を広げる五月には地上から姿を消してしまう早春の短命な植物たちをSpring Ephemeral(スプリングエフェメラル)~「春の儚い命」「春の妖精」と呼びます。雪国はこの早春植物の宝庫なのです。
「スプリングエフェメラル」、「春の妖精」、と呼ばれる植物は、ミスミソウ、セツブンソウ、キクザキイチゲ、イチリンソウ、ニリンソウ、ショウジョウバカマ、アマナ、エンゴグサ、オウレンなどですが、なんと言ってもその代表格はカタクリではないでしょうか。
恥ずかしそうにうつむきながら咲く可憐な花姿は、妖精が羽を広げて舞い降りてきたようにも見えます。その群生は冬枯れた早春の林床を一面紫色に染め上げ、それは見事です。
そのカタクリの花、実は8年かけてやっと花を咲かせるのだそうです。
早春の光を短い期間しか受けられないために、細い葉で一年また一年と毎年少しずつ養分を蓄え、ようやく一輪の花を咲かせるのです。
まるで、長い年月をかけて想いを育み、やっと夢を叶えるように咲く早春の小さな花。
雪国庄内にも春のやさしい風が吹き始め、
妖精たちのつかの間の夢が始まりました。
カタクリ―花咲く春の森で (著)太田威
野の道端に福寿草が咲き始めました。
まだ少し雪の残る道端にも、雪を割るように福寿草は咲き始めます。
この花が咲き始めると野の草花や花木が次々に蕾を膨らませ花を咲かせていきます。
辛夷や満作、キブシや木蓮が山里を彩り、梅と桃と桜が一斉に咲き誇り、野には蕗の薹がひょっこり花開き、一輪草やキクザキイチゲ、オウレンにイワウチワ、そしてカタクリが冬枯れていた林床をきれいに染めていきます。
雪に閉じこめられていた生命が一気に萌え出す雪国の春。
北国の花の季節が今、始まりました。
○ 花の季節 ○
人はみな 心の岸辺に
手放したくない花がある
それはたくましい花じゃなく
儚くゆれる一輪花
・
・
・
冬の寒さに打ちひしがれないように
誰かの声でまた起き上がれるように・・・
こぶくろ - さくら -
~作詞作曲:小渕健太郎さん・黒田俊介さん~
12月25日19時過ぎ頃、山形県庄内町で発生しました
羽越本線 特急「いなほ14号」の脱線事故により
お亡くなりになられた方々のご冥福を、そして
お怪我をされた方々のご回復を
心よりお祈り申し上げます
風が、少しずつ黄金色に変わって行きます
それと同じ早さで、あちらこちらに
コスモスが咲き始めました
毎年きまって、その綺麗な薄紅色を
風に与える、コスモス
でも、コスモスは1年草
そこに咲くコスモスは、やがて
冷たい風の中へと
消えてしまいます
その花は
ただ ひとつの秋に巡り逢うために
生まれてきた花です
毎日暑い日が続いています。
これでも梅雨明けではないんだそうです。いったいどういう基準なんでしょうかねぇ。(^^;ゞ
写真は、梅雨の真っ最中に咲いたテッポウユリです。
もちろん、今は散ってしまってます。
この写真を見ていたら、ちょっとジメジメでしたが、梅雨の時の方が良かったなぁ、
なんて思っています。私は暑さに弱い方なのです。(^^;)
そういえば、オフコースの歌にこんなのがありましたね。
「夏は冬に憧れて、冬は夏に帰りたい・・・」
巡りゆく季節の中に束の間 輝いたユリの花。そんな記憶があるから人はあの季節に
焦がれるのかも知れません。
このテッポウユリは、とてもきれいでした。
庄内では今、蓮の花が咲いています。
蓮の花を見ると、その美しさにいつも『清浄』という言葉が思い浮かぶのですが、実は蓮の花は汚い泥の中でほど美しい花を咲かせるのだそうです。泥の中からこんなにきれいな花が・・・、その不思議を考えるとき、私が頭に思い浮かぶのは、あの!!宮崎駿さんの「風の谷のナウシカ」なのです。(^^)
「風の谷のナウシカ」は映画化されて、テレビ放送も何回かされていますが、私が好きなのは原作コミックス7巻の方です。映画化されたものも素晴らしいのですが、原作コミックスはその何倍もストーリーが深くて壮大なのです。
思い浮かぶのは最後のクライマックスシーン。
絶望の時代に科学者たちによって創り出された、墓所の「浄化の神」が、人間を清浄で穏やかなものに創り変えようとしたことに対して、ナウシカが「否」を唱えるのです。
「(浄化の神を創った人類の英知たちは)何故気づかなかったのだろう、清浄と汚濁こそが生命だと言うことを。苦しみや悲劇や愚かさは清浄な世界でも無くなりはしない。それは人間の一部だからだ。だからこそ苦界にあっても喜びや輝きもまたあるのに。」
浄化の神が「生命は光なのだ」と言うと、ナウシカは言い放ちます「ちがう、いのちは闇の中のまたたく光だ」と。
世界は常に相反するものの中でバランスをとっているように思えます。
本当の慈しみが悲しみの中からしか生まれないように。
人を傷つけてはじめて本当のやさしさがわかるように。
大きな喜びの裏には同じくらい大きな苦悩があるように。
・・・。
泥の中に、まるで奇跡のようなきれいな花を咲かせる蓮は、そんなこの世界の成り立ち・真理を象徴具現化しているように思えるのです。
「清きもの、泥より出たり・・・」日蓮
翌朝、この蕾の蓮華はきれいに花ひらきました。
※蓮の花の素敵な写真をアップされているサイトをご紹介します。
→ http://www.fitweb.or.jp/~noji/
福井市の野路さんのサイト Syu's Box です。