風の記憶

the answer is blowin' in the wind

夕焼け庄内

2007-12-31 | 

Nikon F80  Nikkor 24-85□□
山形県酒田市穂積門田□□



今年も残りあと数時間です。


今年最後のエントリーは、庄内の夕焼けです。



皆様、良いお年をお迎え下さい。






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冬が来る

2007-12-20 | 季節

Nikon F80  Nikkor 24-85□□
山形県遊佐町野沢□□



いよいよ本格的な冬がはじまります。

庄内の冬の特徴は、とにかく風が強いことです。
積雪はさほどでもありませんが、風が強く、地上に舞い降りた雪も風に巻き上がられて、降ってくる雪と一緒に地吹雪となって生活者を困らせます。

日本海からの冬の偏西風は、時には風速20メートルを超えることもあります。
庄内地方は台風があまり来ない恵まれた地域ですが、そのかわり冬の偏西風が強烈で、冬は毎週のように台風に見舞われているような・・・、ちょっとオーバーでしょうか。
でも、生活しているとそんなイメージです。


若い頃は(今でも若いと思っていますが)、そんな庄内の冬が大嫌いでした。
でも、歳を重ねるにつれ、冬の生活の苦労を憂いながらも、一方では何かこの冬を待ち望んでいるような感情があることを感じています。


厳しい冬だからこそ、人の優しさが分かります。
辛い寒さだからこそ、温もりのありがたさを感じることができます。

雪国の人がやさしいのは、雪に凍えて真っ赤に悴んだ手を優しく包んでくれた お母さんの温かさを、いつまでも忘れないからなのです。



庄内が最も庄内らしい季節、「冬」がはじまります。





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雪国学―地域づくりに活かす雪国の知恵
沼野 夏生
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コメント (3)
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暮色

2007-12-08 | 

Nikon F80  Nikkor ED70-300□□
山形県庄内町余目□□



昔ながらの庄内弁を聞く機会が少なくなってきたなぁ、と庄内に住んでいながら最近感じています。
市内から離れた周辺地区に行くと、お年寄りが話しているのを聞くことはありますが、それを除けば、いわゆる標準語に薄まったような遠慮がちな庄内弁ばかりになっているように思えるのです。
近年の急速な高速交通網の整備やインターネットの普及により、都市圏の情報がタイムリーに地方に届くようになり、共通言語としての標準語と地方の言葉を使い分けることの出来る人が増えることは良いことだとは思うのですが、何となく庄内の独自色まで薄まっているようで寂しいような気がするのです。


『ふるさとの 訛り懐かし停車場の 人ごみの中に そを聴きに行く』

石川啄木の有名な短歌です。
望郷の念絶ちがたく、ふるさと岩手の方言を聞きにわざわざ上野駅(たぶん)に出かけて行ってしまう、と言う寂しさパワー全開の啄木らしい歌です。
この弱々しさがたまらなくステキです。

ここまでではありませんが、私も帰郷の際にふるさとに向かう列車の中で庄内弁を耳にしたときに、一瞬にして目の前に庄内平野や鳥海山や日本海に沈む夕日が現れた気がして、涙が滲んだことを覚えています。


『ふるさとの 訛り無くせし友といて モカコーヒーは かくまで苦し』

寺山修司はこのように歌いました。
青森から一緒に大都市へ出てきた友が、不器用な自分とは違いスマートに都会言葉を操る姿を、喫茶店でコーヒーを前にして「ふるさとをそんなに簡単に捨てられるのか?」と納得しがたい気持ちを抱きつつも、当時の洒落た飲み物だったモカ珈琲に象徴される大都会の魅力に抗しがたい自分がいるジレンマが感じられます。


例えば、都会で暮らす庄内人が帰郷したときに、月山や鳥海山を見て季節の郷土料理などを久しぶりに味わうことで、ふるさとを感じることは出来ます。でも、やはり一番懐かしく感じるのは、ふるさとの人々の言葉に触れたときではないでしょうか。
ふるさととは何か、と言うことを考えると、結局、それは物ではなく人なのではないかと思うのです。飾らないふるさとの言葉はそこで生まれ育った人間の感覚を呼び覚ますのだと思うのです。
ふるさとの人情や四季、風物、文化など全てを一瞬にして感じることが出来るのは、ふるさとの言葉です。

都会に出て行った人のノスタルジーのために、ふるさとは変わるべきではないと言っているのではありません。ここにはここの生活があり、新しい情報や異文化を取り込んでよりよいものを作り出していくべきとは思います
ただ、遠い昔からここに住む人々の生活の中から生まれ、連綿と使われ続けてきた私たちの言葉(庄内弁)が無くなってしまうということは、ここには独自の文化も無く単に人口の少ない地方の街、というだけのつまらない存在になってしまうのではないか、という気がするのです。

代表的な庄内弁に「もっけ」「めじょけね」「やばちぃ」「やしょめる」「しょす」などがありますが、その情感のふくよかさを一言で的確に表す標準語は無いのです。それは大都市には無い素晴らしい地方文化なのだと思うのです。


『・・・・。郷里の言葉も、日に日に変化したり、長い間には消滅したりする。ことにテレビの普及は、村の言葉を加速度的に変えつつあって、私が二十過ぎまで使っていた言葉のいくつかは、もはや時代遅れになっているのである。
しかし私は、自分の中にある郷里の言葉をそう簡単には捨てる気になれない。それらの言葉を手がかりに、私はものを感じたり考えたりし、つまりは世界を認識したのであり、言葉はそういうものとして、いまも私の中に生き残っているからである。』

- 藤沢周平 -






※庄内弁の「もっけ」を的確に解説したブログ → takさんの「今日の一撃」



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落葉たちの詩

2007-12-04 | 紅葉

Nikon D200  TAMRON SP90soft□□
山形県酒田市山王の森にて□□




色づいた葉が落ちて秋の終わり、


ではありません



落葉たちの詩を聴きながら散策する


それもまた秋の楽しみのひとつです







Nikon D200  TAMRON SP90







Nikon D200  TAMRON SP90 soft







Nikon D200  TAMRON SP90







Nikon D200  TAMRON 17-50





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紅葉(もみじ)4

2007-12-01 | 紅葉

Nikon D200  Nikkor ED70-300□□
山形県酒田市山王の森にて□□

 

街路樹もほとんど葉を落とし、街の紅葉も終わろうとしていますが、風の強くないところにはまだ少し鮮やかに色づいたモミジを見つけられることもあり、一縷の望みをもってまた山王の森へ出かけてみました。

しかしながら、案の定あらかたの紅葉は終わってしまってました。休みの日に天気が良くて紅葉のピークに当たることは滅多にありません。日曜カメラマンの辛いところです。

わずかに残った秋の色を何枚か撮って帰ろうとしたとき、ふと生け垣の上に刺さったモミジの落ち葉が目に入りました。
微かに吹いてくる風がその落ち葉を前後に揺らして、まるで「おいで、おいで」をしているようです。
生け垣の後ろの方には椿の木が植えられています。椿の葉は表面がテカっていて陽の光を反射するのです。
これは良いかも、と思い立ちファインダーを覗くと、案の定 椿の葉の照り返しが玉ボケを作ってくれて良い感じです。
玉ボケを大きくしたかったので長いレンズに交換して、カメラをかまえると、さっきまでサラサラと吹いていた風がピタリと止みました。

パシャッ!

秋がくれた素敵なご褒美のような一枚です。






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