風の記憶

the answer is blowin' in the wind

ヤブカンゾウ

2008-07-31 | 

Nikon D200  TAMRON SP90soft□□
山形県遊佐町上蕨岡□□

 


梅雨の時期は通り過ぎ


道端には、夏の花


ヤブカンゾウが鮮やかに咲いて



夏がやってきました








ルドベキア・・・かな??










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一つの花 (日本の名作童話)
今西 祐行,小沢 良吉
岩崎書店

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歴史のおはなし

2008-07-24 | 

Nikon D200  TAMRON 17-50□□
山形県遊佐町落伏□□

 


男たちの黒い姿は、鳥海山、月山と連なる山脈の麓の方角を目ざして小さく消えて行こうとしていた

---あの男たちが、荘内の百姓が幕府につきつける、一本の鎌(カマ)だ。

と辰之助は思った。

白木の箱に納めた嘆願書は、佐助の曲がった背に背負われているはずだった。



『 義民が駆ける 』 ~ 藤沢周平




天保11年(1840年)、江戸幕府は、庄内(酒井)藩を長岡に、長岡(牧野)藩を川越に、川越(松平)藩を荘内に移す幕命を下しました。いわゆる 三方国替え です。
当時の庄内藩は14万石でしたが実収20万石以上の裕福な藩でした。庄内藩の十代目藩主、酒井忠器公は名君の声が高く領民に慕われていました。それが何故か7万石の長岡藩に移封させられるのです。これは財政難に苦しむ川越藩主松平斉典が、将軍家とのコネをつくり賄賂をばら撒き、川越よりもはるかに経済の内容がいい庄内への国替えを画策したことから起きた国替えだったのです。

「何も悪いことをしていない、おらだの殿様が、なして余所さ移されでしまうなだ?」
酒井公に対する思慕や、替わりにやってくる新藩主の過酷な年貢の取り立ての噂に恐れをなした農民、権益を失うことを恐れた商人、石高が減る移封先で放免になる武士に至るまで、領民が一丸となって庄内酒井家に対する命令撤回の嘆願運動を展開したのです。

嘆願運動の方法は「直訴(かご訴)」。当時は打ち首覚悟の犯罪でしたが、庄内の農民たちは怖れることなく合計7回にわたる命をかけた直訴を次々と幕府や諸大名に続け、ついには幕命を撤回させたのです。(この運動のリーダーの中心となったのが玉龍寺(遊佐郷江地)の文隣和尚で、遊佐町稲川地区では今でも幕命取消しが庄内に知れた7月16日に『 載邦碑祭 』が行われています。)

徳川時代の大名家は250ほどあったと言われますが、国替えが一度もなかったのは庄内藩の他数藩だけだそうです。藩主と領民の絆が幕府を動かし、ましてや幕府が命令を取り消すというのは、徳川幕府の絶対的な体制にあった当時としては、異例中の異例で始めての大事件です。

この快挙をモデルに書かれたのが藤沢周平さんの「義民が駆ける」。上記の一節は、まさに志願した農民が嘆願書を持って庄内を出発し400㎞の江戸迄の苦難の旅路に出ようとする場面なのです。(犯罪行為ですので真っ当な道は通れず、人が通らない道を選んでの400㎞です。スゴイ!)

緊迫感のある展開と農民たちの心情を庄内弁を交えリアルに描き、幕府の沙汰を覆した痛快な傑作です。


ちなみに、幕末最後の戦い「戊辰戦争」の時、東北と越後の諸藩は幕府方となり「奥羽越列藩同盟」を結び新政府軍と戦いましたが、特に庄内藩は酒井家と領民が一致団結し、酒田の本間家の莫大な献金もあり最新鋭の武器を装備して連戦連勝だったそうです。
しかし、東北諸藩が続々と新政府に降伏、盟友の会津藩が降伏したのを見て、庄内藩はほぼ無敗であったにもかかわらず恭順、撤兵し、この庄内藩の降伏をもって日本の全藩が新政府軍の支配下に入ったのだそうです。
戊辰戦争に敗れ、いったんは公地没収された酒井家ですが、会津藩は事実上取り潰されたのに対し、庄内藩は新政府の西郷隆盛公が藩主と領民のあまりにも強い絆に感心して寛大な処分となり、いまも酒井家と庄内の人々の絆は続いているのです。



Nikon D200  TAMRON 17-50
山形県遊佐町落伏









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義民が駆ける (講談社文庫)
藤沢 周平
講談社

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ムラサキカタバミ

2008-07-13 | 

Nikon D200  TAMRON SP90soft□□



東北地方の梅雨明けはまだですが、季節はやはり夏です。
夏草たちがぐんぐんと生えてきて、田んぼの畦道や農道をあっという間に埋め尽くしてしまいます。
農家はそんな雑草たちとの格闘の日々です。梅雨の時期は草たちの成長も早く、刈っても刈っても生えてきます。

庄内の農家はとても真面目ですので、この時期はきっちりと草刈りを行いますが、7月の終わり頃から8月いっぱいは草刈りを休むのだとか。あまり真面目に草を刈ってしまうと、カメムシなどの稲の害虫が畦から田んぼの中に移動してしまうのだそうです。
闇雲に刈れば良いと言うことではなく、殺虫剤をなるべく使わずに、田んぼの生き物たちの環境を微妙にバランスをとる、と言うことが大切なのでしょう。

先日、そんな草刈り後の農道を散策していたら、見事に刈られた畦道の隅にムラサキカタバミが小さくきれいに咲いているのを見つけました。
その花の周辺だけ草が刈られておらず、明らかにこの花を刈らずに残そうとした形跡があります。
その刈り残されたムラサキカタバミの花の風景は、何か人の「やさしさ」を見ているようで ちょっと嬉しくなってしまいました。

その様子は残念ながらカメラを持っていなくて撮ることはできませんでした。写真のムラサキカタバミは我が家の庭に咲いたものです。
実はこの写真は昨年の7月に、はじめてデジタル一眼Nikon D200を購入した時に最初に撮った記念すべき一枚なのです。
試し撮りのはずが、ムラサキカタバミがあまりにきれいだったので、シートを敷いて腹這いになりソフトフィルターをつけたりして、いきなり本気モードでの撮影でした・・・。(^^;)




正しく知る地球温暖化―誤った地球温暖化論に惑わされないために
赤祖父 俊一
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