風の記憶

the answer is blowin' in the wind

水晶

2007-07-28 | 




梅雨もまた なかなか良いものです。



アガパンサスの滴が


まるで水晶のようでした。







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色の名前
近江 源太郎,ネイチャープロ編集室
角川書店

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私的写真論?

2007-07-21 | 

「土門拳記念館」と「拳湖」
山形県酒田市飯森山


このブログの本サイト『P・M CLIP~風の記憶~』を始めて6年になろうとしています。
サイトを立ち上げるにあたって、こっそりと端の方に私的な写真論みたいなものを書いています。

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写真は「記憶」ではないか、と感じています。
人は皆、何かに感じてシャッターを押します。
被写体を見て、カメラを構え、構図を考え、シャッターを切ります。
そのどの段階においても自分の中の何かがそれを決定させるのです。
自分にその写真を撮ることを決定させるもの。
それは究極的には「記憶」ではないのでしょうか。?

私の心の中には様々な記憶のかけらたちが彷徨っています。
それらは、自分が意識しているものもあれば、全く不意に突然顔をのぞかせ自分自身を愕然とさせるものもしばしばあります。
自分の奥底に積もった記憶のかけらたちが、レンズを通し入ってくる光に一瞬またたき、自分にシャッターを切らせるのではないか、と感じています。
何故この景色が気になったのだろう?何故この写真を撮ってしまったのだろう?
そんな事を感じるときが、ありませんか。?

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今読むとアマチュアのくせに偉そうな書き方で恥ずかしいのですが、この拙い文章の主旨については今でも変わらずそう感じています。と言うか、ますますそんな感じがしています。

写真を撮るとき、カメラを構えた人がどのような性格で、どのような考え方をし、どのような人生経験をしてきたか。何が好きで、何が嫌いで、何に関心があり、何に心を動かすのか。そういったものの全てが根底にあり、その上である対象に反応し、その対象を切り撮る。たとえ同じ対象物であっても撮られた写真は人によって微妙に違うのです。
つまりは、写真はまさにその人の「生き様」が現れるものなのだと思うのです。

どうもうまい具合に言い表せないのですが、私が密かに尊敬している郷里の先輩であるtakさんのブログの7月17日のエントリー『「写真論」の入り口』にとても適切に写真の本質について書かれた文章がありました。

takさん曰く、
>写真とは「どのような状況に出会うか」ということである。
>「出会う」ということは「選択」でもある。選び取らなければ出会っていないことになるからだ。
>その人が何を選択したかということは、その人がどのような人生を生きたかということと同じであり、だから写真はその人の人生を現す。

是非、全文ご一読下さい。→ " tak-shonai's Today's Crack 2 "



今回エントリーした写真、これはHPを始めるずっと以前に撮った写真なのですが、今でも何か印象に残っている写真です。
この写真をある人に見せたら、その人が言いました。
「伊藤さんらしいね。」

自分の写真のことはなかなか客観的に見れないものです。でも、写真を始めたばかりの頃の写真でも、そこはかとなく撮った私という人間が現れているのでしょうね。
そう思うと、写真を公開しているのが何だか恥ずかしい気がします・・・。(^^;



この写真の少女と湖の向こう側に立っている建物は「土門拳記念館」です。
土門拳氏はリアリズムを確立した写真界の巨星。その全作品を生まれ故郷の山形県酒田市に贈り、酒田市はこの「土門拳記念館」を建ててそれに応えました。
日本で最初の写真専門美術館(個人のものとしては世界で唯一)です。



- 土門拳の伝えたかった日本 -

土門拳の伝えたかった日本
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梅雨の花

2007-07-12 | 

山形県酒田市飯森山公園□□
nikkor 24-85□□



季節は「梅雨」です。
庄内では、梅雨入り宣言したとたんに快晴が続いて、空梅雨かなと思われましたが今週に入って雨が続いています。

ところでこの「梅雨」、雨の降り方によって「陽性梅雨」と「陰性梅雨」とに分けられるのだそうです。
陽性梅雨は、雨が集中して激しく降ったり、晴れたりを繰り返す。
陰性梅雨は、シトシトと雨が降り続き、ぐずついた天気が続く。

これは梅雨前線の位置が関係してくるのだそうで、前線の南側では暖湿な空気が活発に流入してくるので積乱雲が発生しやすく陽性梅雨となり、前線の北側では寒気の流入による雲が広がって天気がぐずつき陰性梅雨となるのだそうです。

傾向としては、梅雨の始まりが陰性梅雨、終わり頃が陽性梅雨になりやすく、また東日本では陰性梅雨が多く、西日本では陽性梅雨になりやすいのだそうです。
「梅雨」というと東日本では小粒な雨が音もなくシトシト降り続くイメージですが、西日本では大粒の雨が土砂降りになるイメージ、と言うことでしょうか。
同じ日本でも「梅雨」に対するイメージが微妙に違うのですね。

もっとも、最近は温暖化の影響か東北地方でも土砂降りの集中降雨が多くなってきたように感じますが・・・。


梅雨はどうしてもジメジメして鬱陶しく好まれないものですが、自然の植物にとってはどうでしょうか。
よく見るとこの時期の植物たちはとても生き生きしているように見えるのです。

その代表格がこの紫陽花。

酒田市の紫陽花の名所「飯森山公園」では、今は我々の季節だ、と言わんばかりに沢山の紫陽花が咲き誇っていました。





Tamron SP90
花がきれいに咲いている・・・、と思われがちですが咲いているのは花ではなくて
「萼(ガク)」です。花は中央部分の小さなポチポチ、まだ蕾ですね。


nikkor 24-85



Tamron SP90
これも、紫陽花なのだそうです。




nikkor 24-85

 

~あじさいの唄~




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光の海で

2007-07-09 | 

山形県遊佐町吹浦□□
Nikon F80 Nikkor ED70-300□□



吹浦(ふくら)という港町で生まれました。

そこは母の実家の町なのですが、自宅から比較的近かったこともあり子供の頃は毎週日曜日の度に遊びに来ていました。

町の南西側は砂浜の「西浜海水浴場」、北西側が磯浜の「釜磯海水浴場」と、吹浦漁港を挟んで二つの種類の海水浴場があるとても贅沢な町で、私はその両方で思う存分海遊びをして育ちました。


そんなこともあるせいか、時々無性に海の音が聴きたくなります。

無性に波の香りに包まれたくなります。



ただ黙って、潮風に吹かれながら、光の海を眺めている。


ただじっと、じっと、光の風を見つめている。



きらきら光る波が、少しだけこそばゆいのは、


遠い日の自分に出逢っているからなのかもしれません。




たまにはそんな日が、あってもいいですよね。





- 海と写真の時間 -

「西浜海水浴場」&「釜磯海水浴場」


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