木村勇作は、大学の卒業論文で「漱石文学で読み解く女性論」選んだ。
勇作は3年生の時に、「近代文学における女性」を仲間たちとの機関誌「碧」に掲載していた。
原稿用紙700枚が長すぎたので50枚に縮めたのである。
元の700枚は後輩の松尾晃が横須賀線の網棚に置き忘れ、紛失してしまう。
その後、文芸評論家の江藤淳の著作である「漱石とその時代」にヒントをて、「漱石文学と女性論」を選択した。
だが、大学院に進んだ先輩の大村健司は「木村君、女性論などよしたら、漱石なら則天去私をテーマにすべきではない」と助言する。
「漱石とその時代」は、日本の近代と対峙した明治の文人・夏目漱石。その根源的な内面を掘り起こし、深い洞察と豊かな描写力で決定的漱石像を確立した評伝の最高峰と評価されていた。
勇作は、新しい職場の同僚である山崎瑞奈と親しくなったことで「現代における女性論」のテーマを得たえたような複雑な心情になってゆく。
「結婚するなら、別居結婚がいいな」瑞奈は唐突に奇妙なことを言うのだ。
それは、銀座のサラダ専門のレストランでの食事中であった。
そのレストランの客は若い女性ばかりで、勇作は憩う気持ちになれなかった。
「映画観ようか。外国の映画がいいわ」そして、観たのが映画「貴族の巣」であった。
原作はイワン・ツルゲーネフの小説。
この作品はロシア社会に熱狂的に受け入れられ、19世紀末までツルゲーネフの小説の中で最も物議を醸すことがなく、最も広く読まれた小説であり続けたそうだ。
「いいな、ロシアに行ってみたい」
「でも、今のロシアは社会主義の独裁国家ソ連ですよ」
「ようなのよね」瑞奈は浮かぬ表情となる。
「これから、鎌倉行こうか」唐突である。
腕時計で確認すると午後8時になっていたので、「この次にしましょう」と勇作は地下鉄方面へ向かうが「瑞奈のお願いなの。鎌倉よ」何時もは優しい口調の彼女は、思わぬ我儘な片鱗を見せるのだ。
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