そう、リッチランドは、1942年からのマンハッタン計画における核燃料生産拠点「ハンフォ ード・サイト」で働く人々とその家族が生活するために作られたベッドタウンなのだ。
終戦後は冷戦時に数多く作られた核兵器の原料生産も担い、稼働終了した現在はマンハッタン計画に関連する研究施設群として国立歴史公園に指定され、アメリカの栄光の歴史を垣間見ようと多くの観光客が訪れている。
リッチランド高校の“キノコ雲”は町のいたるところで掲げられ、「原爆は戦争の早期終結を促した」と誇りを口にする人々。
一方で「川の魚は食べない」と語る者たちは、核廃棄物による放射能汚染への不安を今も抱えながら暮らしている。
町の歴史を誇りに思う者がいる一方で、多くの人々を殺戮した“原爆”に関与したことに逡巡する者もいる。
そしてまたハンフォード·サイト自体、ネイティブアメリカンから“奪った”土地だったのだ。
様々な声が行き交う中で、被爆3世であるアーティスト·川野ゆきよがリッチランドを訪れ、町の人々との対話を試みるのだが...。
多くの犠牲のもとで、多くの命を奪い、存在そのものが人類の脅威となってしまった“原爆”。
『オッペンハイマー』のその後、アメリカは“原爆”とどう向き合ってきたのか?
その罪と痛みを背負うのは誰なのか? 近代アメリカの精神性、そして科学の進歩がもたらした人類の“業”が、重層的に浮かび上がる叙事詩的ドキュメンタリー。
原爆開発を支えた町の光と影
アメリカ国民の感情の底に流れる愛国心
アイリーン・ルスティック監督は2015年にリッチランドを訪れた。
「最初の印象は衝撃的なものでした。町に入ると、レストランの壁や学校の校舎、いたるところに原爆のシンボルである<きのこ雲>が描かれていました。また、そのシンボルがとても日常化されていることに驚かされました。さらに町について調べるなか、この町を知ることは国内に横たわる問題を考えるケーススタディーになるのではないかと思うようになっていました」
「アメリカ国内には、暴力的な歴史、奴隷制度や先住民の虐殺、排除等の歴史がありますが、こうした歴史と人々はどう折り合いを付け、暮らすのか―これはとても大きな問題なのです」
「原爆のためのプロトニウム製造をしてきた町で暮らすことへの人の感情はさまざまです。それを誇りとして語る人もいれば、その核兵器が多くの犠牲者を出したことから、考えを避ける人もいます。さらに原爆が投下された日本に思いを向ける人もいましたが、私はそうした感情の底流にある「愛国心」について考える必要があると思いました。愛国心は人々の世界に強烈な影響を及ぼすものだからです。リッチランドの住民の多くが核施設で仕事を得、一種の郊外型アメリカンドリームを生きた人々です。
彼らが豊かな暮らしを実現してきたことと町の歴史は切り離せません。そして、その町の歴史とは、第二次世界大戦を勝利に導いた愛国心と深く結びついた物語なのです。
しかし、問題は、その物語に取りつかれ、異なる考え方を受け入れられなることです。
愛国主義が増長し人々の世界観に大きな影響を及ぼす現在だからこそ、愛国心の持つ危険性についても
問い直す必要があると私は思います」
「原爆は一つの出来事ではなく、社会の基本構造を変えたと私は考えています。
このドキュメンタリーには、自分と異なる意見を持つ人が必ず登場します。
そうした異なる意見の主張にもじっくりと耳を傾けられる寛容さを、観る人に持っていただければと思っています」
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