組織的女性暴行事件 それからどうなったのか

2020年08月11日 02時42分20秒 | 事件・事故
先日慶應大学において 「ミス慶応コンテスト」 を主催している大学公認のサークル、 『広告学研究会』 において、女性学生への性的暴行事件があったという報道が週刊誌に掲載され、現在ニュースで採りあげられるようになっています。
 
 11月20日に開催される予定であった今年の 「ミス慶応コンテスト」 が中止になっています。 その理由はこの 「広告学研究会」 において9月に未成年の飲酒が発覚し、大学が解散命令を出した( PDF )ことによりますが、週刊誌の報道が正確である場合、更に重大な違法行為が行なわれていたということになります。 この事件は現在進行形中で全容が解明されていないので、動向に注目したいと思います。
 
 しかしこの事件に関する報道を見て、10年以上前に起こったとある事件を思い出した方は多いのではないでしょうか。 それは2003年に発覚し、社会を騒がせた大学公認サークルの組織的女性暴行事件である 「スーパーフリー」 の起こした事件。
 
 
2000年前後、
  早稲田大学に存在したイベントサークル 「スーパーフリー」 
 
 「スーパーフリー」 とは何か。 知っている人には2000年代初めに起こった事件自体を連想させるものですが、その名前は早稲田大学に存在したイベント系サークルの名称。 早稲田のサークルではあるものの、実際は他の大学にも勧誘を行い、東大や慶大など様々な学生が集まっていたようです( 俗に言うインカレサークル )。
 当時各大学にこのような 「イベントサークル( イベサー )」 が多数存在し、 「イベント」 を度々催すなど大規模なものもありました。
 
 「スーパーフリー」 も2000年から事件が発覚するまでは、早稲田大学に同好会として公認された上で活動をしておりました( 事件発覚前の2002年に他の大学におけるビラまき等の行為でのクレームがあったことにより、公認を剥奪 )。 大阪・名古屋・札幌・福岡に支部も設立していたようです。
 
 ちなみに飲酒行為も度々行なわれていたようですが、当時は現在と比べて未成年の飲酒、大学生となる18~19歳くらいであるとも実際は社会的な監視の目( 提供した店が逮捕されるなど )が今ほど厳しくなかったのが大きいでしょう。
 
 当時の 「スーパーフリー」 の代表は和田という事件発覚当時28歳の男性( 8年在籍後除籍、その後再入学 )。 8年間代表を務めており、イベント会社としても 「有限会社スーパーフリー」 を経営していたとのこと。 ちなみにこの時点で 「業界」 に数々の人脈が出来ていたらしく、イベント開催などにあたってそれが活用されていたようです。
 
 以下、当時スーパーフリー公式サイトにあったとされている宣伝動画。 ちなみに当時はYouTubeもなかった時代です。
 
 
 
 その時に代表和田の周囲にいて支援をしていた人物が誰かというのは業界人から反グレまで今日まで噂としてネットに流れていますが、正確なところは確かめようがないために具体的には真偽不明状態になっています。 そのあたりのことが書かれたひとつとしては、和田のケツモチとして広告代理店の後に闇金や詐欺に関わったという男性の話をもとに書かれた本をノンフィクションライター溝口敦氏が出しておられます( ただしこれの内容を疑問を示す意見もあり )。
 
 
スーパーフリーの起こした事件
 
 
 しかしこの 「スーパーフリー」、派手なイベントの裏で、飲み会の時に女性に対して集団暴行( 輪姦行為 )が度々行われていました。 結成されたのは明治大学に同じような集団暴行行為をしているサークルが存在し、それを模倣して行ったと言われています。
 手口としては、狙った女性を酔いつぶし、介抱するふりとして連れだし、集団暴行を行うというもの。 それは主に派手なイベントを開催し、そこでの二次会において狙っていた女性をアルコール度数の強い 「スピリタス」 で酩酊状態にさせて行っていたとのこと。
 そのようなサークルの危険性や知り合いが少ない地方出身などの女子生徒が狙われていたようです。 また、サークル内でそれぞれの役割分担もあり、被害者の女性に泣き寝入りをさせるように工作をしたり、笑顔の写真を撮影してあとで同意の証拠とするような行為、もしくは 「ヤクザがついている」 という脅しも行なっていたという悪質なものでした。
 また、スーパーフリーには 「ギャルズ」 と呼ばれる女性スタッフもいたのですが、知人女性をイベントに連れてきて男性スタッフに 「献上」 し、結果として被害に遭わせた例もあると言われています( ただしギャルズからは逮捕者は出ておらず、週刊誌の報道のみなので詳細は不明 )。
 
 スーパーフリーはそのような行為を繰り返していましたが、2003年5月、パーティーで女子大生に暴行したとして、代表の和田含む4名が婦女暴行容疑で逮捕。 早大生の他、他大学の生徒も含まれていました。 容疑者は逮捕当初は 「同意の上での行為」 を主張。
 事件の凶悪性が報じられるとたちまち注目を浴び、週刊誌やワイドショーでその事件やサークルが紹介されることになり、 「スーパーフリー」 の悪名が広まってゆきました。 2003年の当時はインターネットの普及期だったのも大きく、そのことが当時の掲示板でもよく書き込まれていました。
 
 その後2003年6月から11月にかけて、和田容疑者らが起訴、更に追加で逮捕者も出ます。 最終的には少年も含めて14人の逮捕者が出ることになりました。
 起訴されたものは、2001年12月に和田の事務所での輪姦事件、2003年4月の六本木の居酒屋において18歳の女性を13人で暴行した事件、そして前述の2003年5月の女子大生暴行事件となります。
 逮捕容疑は準強姦罪( 当時は集団強姦罪の規定がなかった )。
 
 
事件の判決
 
 
 その後裁判が行われ、2004年に主犯格とされた和田に対し、懲役14年の判決が下ります。 被告側は判決を不服として2004年11月17日に控訴、ここで棄却となり上告。 最高裁では2005年11月1日棄却。 懲役14年の実刑とした1、2審判決が確定しました。
 そのほか準強姦罪で起訴された残りの13人においても、懲役数年の実刑判決が確定しているようです。
 ただ、この事件の被害者総数は、一説では400名以上とされていますが、起訴されたのはそのうち前述の3件のみ。 実際に被害を受けた女子生徒も、事件の性質上泣き寝入り状態になっている人が相当数いると言われています。
 当時サークルに関係していた人間で、事件に関わったのに逃げおおせた人がどのくらいいるのか、逆に本当は事件に関わってなかったのに名前が出て深く関わったようにされているのか、それらの真実の多くは藪の中となってしまいました。
 
 2013年、週刊誌( 週刊アサヒ芸能2013年8月8日号 )において 『 「スーパーフリー事件」 10年目の真実』 という記事が掲載され、当時の証言や主犯和田の獄中での手記などが掲載されました。
 
 現在、裁判から11年が経過し、主犯格以外の人間は刑期が満了しています。 さらに主犯格の刑期の満了は丁度来年か再来年あたりとなりますし、刑期が短縮されていると今年にはもう釈放されている可能性もあります。
 
 
スーパーフリー事件の影響
 
 
 この事件の影響としては、さまざまなものがありました。
 
 
刑法に 「集団強姦罪」 規定の追加
 平成16年の刑法改正において 「集団強姦等」 の規定が第178条の2の規定として追加され、2人以上の者が共同して強姦( 準強姦含む )した場合、4年以上の有期懲役に処すると刑が加重されることになりました。 尚、実際に性行為に参加していなくても、その場にいれば成立します。 ちなみにこの刑は現行の刑法第177条とは異なり、被害者の告訴がなければ公訴を提起出来ない 「親告罪」 の対象からは外れます。
 
 
「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい」 発言問題
 また、この事件で当時与党の議員が少子化問題に関する討論会において、 「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい」 という発言をしたことが国内外含めた各所で報じられ、問題となりました( 議員は一度落選した後、再当選で復帰、現在は引退 )。
 
     ■ 太田誠一議員の「レイプは元気」発言
 
 
Googleサジェスト裁判
 さらに時代は10年近く進み2012年、Google検索においてスーパーフリー事件を検索した際のサジェスト( 関連検索表示 )機能において 「スーパーフリー」 との関係を表示がされることで名誉が傷つけられたとして、都内の男性が米国のグーグル本社などを相手取り検索結果の削除と慰謝料などを求める訴訟を起こしました。
 当時の記事によると 『男性は都内の大学に在学していたころ、スーパーフリーに入会していたが、事件とは無関係だった。 だが、グーグルで検索すると、インターネット掲示板などのページが列挙され、男性がスーパーフリーの幹部で事件に関与したかのような書き込みが表示される』 という状態であったようです。
 
 東京地裁は名誉毀損を認めて30万円の損害賠償を命じましたがその後Googleが控訴。 2014年1月の東京高裁判決においては名誉毀損やプライバシー侵害は認定されずに逆転敗訴となりました。 その後上告された模様ですが、ニュースやネットでの判例検索などかなり調べても出てこなかったのでいまだ継続中なのか判決が出たのかなどは不明。 ただ、地裁判決が再逆転して認められていれば 「1日につき100万円の制裁金」 とした報道がなされていたので、その通りになっていればニュースになるとは思いますが ……。
 
     ■ ( archive )名前検索の名誉毀損訴訟、米グーグル本社が控訴 : 社会 : YOMIURI ONLINE( 読売新聞 )
     ■ グーグルが逆転勝訴 検索予測の表示差し止め、東京高裁で  :日本経済新聞
     ■ Google 元スーパーフリー所属の男性へ7億円の支払い発生の可能性 - ライブドアニュース
 
 
その後大学で起きたサークル絡みの事件
 
 
 スーパーフリー事件の影響は大きく、また不景気や社会的規制、とりわけ未成年の飲酒における厳しさの変化( 場所を提供した側が検挙される事例など )もあってか、その後この手のサークルは以前ほどは( 少なくとも外部に対しては )目立たなくなってゆきます。 しかしながら近年、大学サークルにおける飲酒、女性暴行など似たような騒動が発生し、その度に問題となっています。
 
 
京都大学のアメリカンフットボール部集団暴行事件
 2005年12月、京都大学のアメリカンフットボール部の部員3人が、酒に酔った女性二人を集団強姦したとして逮捕されます。 この事件において前述の集団強姦罪の規定が適用されることになります。
 結果、一人が懲役4年6ヶ月の実刑判決、その他二人が執行猶予付の有罪判決。 京都大学は3人を放学( 復帰不可 )処分として、その年は同大学のアメフト部もその年春の競技会を辞退することになりました。
※ これはサークル( アメフト部 )は飲みサーではなく、サークル絡みの犯行というよりは所属部員の一部が起こした不祥事となりますが、 「集団強姦罪」 の適用例として重要なのでここで挙げておきます。
 
     ■ 京大アメフト元部員、集団強姦容疑で逮捕 - nikkansports.com > 社会ニュース
 
 
明治大学・日本女子大学 「クライステニスクラブ」
 2014年、明治大学と日本女子大学の合同サークル 「クライステニスクラブ」 のメンバーが新宿歌舞伎町において集団昏倒をしている様子が報じられ、話題となります。 その後未成年を交えた大量飲酒が発覚し、公認取消・廃部となりました。
 
     ■ 本学公認サークルの処分について | 明治大学
     ■ 新宿コマ劇場前で女子大生が集団昏倒した異常事態、明大公認サークル「クライス」でスピリタスカプセル使用か
 
 
東京大学 「東大誕生日研究会」 内強制わいせつ事件
 さらに今年( 2016年 )になり、東京大学の 「東大誕生日研究会」 というサークルの主要メンバーが強制わいせつ容疑で逮捕され、その手口の卑劣さも含めて週刊誌に掲載され、話題となりました。
 2016年9月に逮捕された5人のうち3人が起訴され、主犯格とされる被告に強制わいせつと暴行の罪で懲役2年の求刑がなされ、現在も裁判が進行中( 2016.10.15現在 )。
 
     ■ 強制わいせつ東大生5人が所属“ヤリサー”の卑劣な手口 「女子大生の局部にドライヤー」 | デイリー新潮
     ■ 「強制わいせつ」東大生に待ち受ける罰〜勘違いエリートの末路(週刊現代) | 現代ビジネス
     ■ 酔わせた女性に強制わいせつ 東大生に懲役2年求刑 東京地裁 - 産経ニュース
 
 
過度な飲酒における死亡事例
 また、過度な飲酒における死亡事例も度々発生しております。
 
     ■ 立教大学テニスサークルにおける急性アルコール中毒死事件のあらまし
     ■ 亡き息子に、親ができること
     ■ 「東大コンパで泥酔死亡」責任は誰に? 「両親が1.7億円賠償請求」めぐり論議 : J-CASTニュース
 
 
  そして今回の慶應大学における騒動となります。
 
 
 
事件から10年以上経過していることでの風化
 
 
 スーパーフリー事件からすでに15年以上が経ち、現在の大学生の中にはその当時まだ物心つかなかった年齢の人もいますし、もうあの手のサークルが全盛だった時代には生まれてなかったという人も増えてくるでしょう。 そもそも大学というところは、毎年人が変わり、4年も経つと大半の人が入れ替わってしまうところです。 ということはその分そういった問題点の記憶も薄れがちで、生徒間だけでは危機意識の継承もされにくいのが現状です。
 
 風化しつつある現在、 このような事件のことやその危険性を思い出し、 それを現在の学生に伝え、 しないよう、 させないように警告をするのも、 大学をはじめとして先のスーパーフリー事件を知る大人の役目ではないでしょうか。 それは例えば1990年代に話題となったけど、 今風化しつつありその手の偽装サークルが大学内外に存在しているカルト系サークルやマルチ商法サークルにおける危険性も同じでしょう。
 
 
 
- 追記 - 
 
 慶應大学の事件においてはまだ事件の全容が掴めていない状況ですが、仮にスーパーフリーと似たことになった場合、かつてそれによる世論の高まりで集団強姦罪が制定されたように、今議論されている性犯罪への重罰化における、強姦罪の非親告罪化の議論も加速する可能性があるように思えました。
 
 あと、事件の根本にスーフリと同じような組織的、人脈的な要因、泣き寝入りになっているような案件がなかったかも被害者を傷つけないように配慮しつつ注目する必要があるでしょう。
 
 
 
 
( 2016.10.22 )
「慶応ミスコン」 中止の裏に隠されていた
     集団乱暴疑惑 
「一回くらい…」 と誘い出し、テキーラ連続飲み強要の後は …… 
 
 名門大学で信じがたい疑惑が浮上している。 神奈川県葉山町にある合宿施設で、慶応大学の広告学研究会(広研)の男子学生数人から乱暴されたとして、同大学の10代の女子学生が県警に被害届を提出。 県警は被害届を受理し、捜査に乗り出している。 未成年の女子学生に酒を飲ませて集団で乱暴 ──。 さらに、動画なども撮影しているといい、事実ならば鬼畜の犯行と言わざるを得ない。
 
 嫌がる女性を無理やり …
 
 
女子学生が乱暴を受けたとされる合宿施設。神社に隣接し、人通りは少ない
(神奈川県葉山町)
 広研は大正13年設立の歴史ある団体で、 「ミス慶応コンテスト」 の企画・運営を手がける。 大学側は 「未成年者の飲酒」 を理由に広研を解散させ、ミスコンは中止となった。
 
 今後、捜査は警察の手に委ねられるが、関係者にも動揺が広がっている。
 
 「一回くらい手伝いに来てほしい」
 
 女子学生の 「ライン」 に広研の男子学生から連絡がきたのは8月下旬。 海の家の片付けに来てほしいということだった。
 
 関係者によると、女子学生は広研に所属していなかったが、入学直後の新入生歓迎会に参加していたため、連絡先はお互いに知っていた。 本人は会費も払っておらず、広研に所属しているという認識はなかったが、男子学生から 「これまで出席義務のあるイベントに来ていないので、片付けには参加してほしい」 と頼まれたのだ。
 
 9月2日、1年の男子学生2人と3人で葉山町の海の家の片付けに向かった。 現地では男子学生3人と合流。 女子学生はこの時まで、女性は自分だけということを知らなかったという。
 
 夕食をとるため、海の家近くの合宿所に向かった。 それが、屈辱的な時間の始まりだった。
 
 午後8時ごろ、合宿所2階で飲み会が始まった。 未成年の女子学生に男子学生らはテキーラを持ち出して飲酒を強要。 連続で5杯など、最終的に10杯ほど飲まされた。 女子学生は拒否しようにも、酩酊状態でなすすべもなかった。 服は脱がされて暴行を受け、あげく尿もかけられたという。 暴行の際には動画も撮影された。
 
 現場にいたのは1、2年生の男子学生が5人。
 
 1階には別の学生1人がいたが、犯行には関わっていないという。
 
 翌日、合宿所から抜け出し、途中で気分が悪くなって救急搬送された。 母親に事の次第を告げたことで、問題が明らかになった。 女子学生は神奈川県警に被害届を提出。 県警が捜査に乗り出している。
 
 
 大学側 「事件性を確認するには至らなかった」
 
 女子学生の母親からの連絡で大学は問題を把握し、関係者から調査した。
 
 その結果、10月4日に大学は広研に解散命令を出したが、理由は未成年者飲酒で暴行については触れられていなかった。 大学側は12日付で 「可能な限りの調査を行ったが、事件性を確認するには至らなかった」 などとする見解を発表し、隠蔽については否定した。 同大広報室は 「性行為があったことは認識している」 とした上で、事件性が確認された場合は 「厳正な対処を行う」 という。
 
 広研に友人がいるという男子学生(19)によると、 「広研の学生は 『女子学生とは合意があった』 と主張している」 と証言。 さらに、 「女子学生が、親に言ったから問題が大きくなった。 合意があったのに、勝手に騒いでいるだけと周囲に説明している」 と明かす。
 
 この問題の影響で広研が主催するミスコンは中止となった。 ミスコンは女子アナへの登竜門として全国的に知られ、学園祭でも目玉企画だった。
 
 広研は今回問題を起こした海の家を運営するグループ▽ミスコンを開くグループ▽機関誌を発行するグループ-の3つに分かれているという。 広研は過去にも不祥事を起こすなどしており、学内では 「危ない団体」 という認識もあったようだ。
 
 平成21年に、部員が東急東横線日吉駅構内を全裸で走り、公然わいせつ容疑で書類送検された際は、翌年のミスコンが中止となった。 飲み会も過激だったことで知られていた。 新入生歓迎会に参加した男性(19)は 「100人くらい参加したけど、残ったのは20から30人くらい。いわゆる “飲みサー” (飲み会サークル)で合わないと感じる人も多かった」 と話す。
 
 
 合宿所と海の家 「来年は白紙」
 
 事件現場となった合宿所がある葉山町でも衝撃は広がっている。
 
 合宿所は葉山御用邸の近くにある神社の隣にある。 合宿所は慶応大専用ではなく、地域で使われている建物だ。 「氏子会館」 と呼ばれ、地元の祭りではカラオケ大会などが開かれているという。
 
 会館を管理する氏子会会長の男性(75)によると、広研には約60年前から夏の間に貸し出していたという。 今後については 「団体が解散しているし、白紙。 学生と話し合う必要があるが、まだ連絡もなにもない」。
 
 近隣住民も思いはさまざまだ。 近所の主婦(70)は 「夏の夜はうるさくて眠れない。 叫び声もよく聞こえる」 と不満をのぞかせる。 近年の風紀の乱れを指摘する声もあった。 別の主婦(44)は 「自分が小さいころは大学生のお兄さんやお姉さんと遊んだこともあったし、挨拶もしっかりしていた。 夜道が暗くて不安な時も、学生の笑い声が聞こえていて防犯に役立っていた」 と振り返る。 「ここ数年は挨拶もない。 飲んで騒ぐのは若いから仕方がないにしても、乱暴行為などは一線を越えている」。
 
 海の家も、廃止の公算が大きそうだ。 葉山町によると、海岸に海の家などの建物を建てることなどは県が申請可否を判断するが、申請は組合が行うため、組合の許可がなければ営業できない。
 
 広研が所属する 「県立葉山公園下海岸営業組合」 の関係者は 「少なくとも来年は海の家をやらせない方向」 という。 同団体は過去にも問題を起こしており 「次に何かあったら最後、という話は常々していた。 今後の営業も考えにくい」 と憤りを隠せない。 一方で、 「彼らが地元にお金を落としてくれていた側面もある。 伝統ある活動だったし、こうしたことで終わってしまうのは本当に残念」 と肩を落とした。
 
 名門大学で突如として起こった集団乱暴疑惑。 真相解明が待たれるが、周囲に与えた影響はあまりにも大きい。
 
 
 
( 2019.12.27 )
 
大きな反響を呼んだ
   集団レイプ被害女性闘病記
● はじめに
 
 以下に掲げるのは集団レイプ事件の被害女性A子さんの話だ。 彼女とはいまだにメールのやりとりや、時々会うという関係を続けているが、事件からもう20年以上経つにもかかわらず、いまだに後遺症に苦しんでいる。
 後半に掲げた彼女の闘病日記は本誌の2011年12月号と翌年1月号に掲載したものだが、ヤフーニュースに掲載したところ、300万以上のアクセスがあった。
 性犯罪は 「被害者の魂も犯す」 と言われるが、まさにその実例だ。 彼女の闘病日記は詳細で、とてもここに全文掲載できないので、主要部分を抜粋した。
 
12年ぶりに再会した被害女性の手首には
 
A子さんがつづった闘病日記
 A子さんが 『創』 編集部を訪ねてきたのは2011年9月初めだった。 本人から電話があり、会いたいということだった。 12年ぶりの再会だった。
 編集部を訪れた彼女は、声もか細く、今にも倒れそうな弱々しい印象だった。 手首に包帯を巻いているのは、明らかにリストカットの跡であった。
 彼女は1998年に大々的に報道された某大学集団レイプ事件の被害女性である。 当時はまだ19歳。 この被害女性に直接会って話を聞いたのは本誌だけだった。
 事件は97年11月13日未明に起きた。 彼女が警察に被害届を出して捜査が動き出し、学生らが次々と逮捕されたのは98年1月20日だった。 計8人の学生はいずれも実名・顔写真入りで、 「レイプ犯」 「鬼畜」 などとセンセーショナルに報じられた。 20日に逮捕されたのは5人、その後24日に他大学の学生も含め3人が逮捕された。
 当時、本誌がこの事件に取り組んだのは、逮捕された学生のうち2年生だった2人の親たちが、あまりにセンセーショナルな報道に反発し、BPO(放送倫理・番組向上機構)に申し立てたり、週刊誌を提訴したのがきっかけだった。 当時の報道が事実と違う内容も多く、あまりにひどいというのだった。
 報道内容を検証するために、事件に関わった学生たちに個別にあたり、逮捕された学生のうち4人に話を聞けた。 そして被害女性にも接触した。 1カ月近く続いた騒動だったが、当事者に直接取材したメディアはほとんどなかった。
 そもそも被害女性の母親も取材は受けたことがないと言うのだが、幾つかの週刊誌には堂々とコメントが掲載されていた。 恐らく警察から情報を得たのだろうが、伝聞情報を 「告白」 などと銘打って載せたものだったため、細かい事実関係は間違いだらけだった。
 まだ騒動の渦中だったため、本誌の取材に応じてくれた人たちも冷静というわけにはいかなかった。 特に被害女性のA子さんには母親と一緒に話を聞いたのだが、事件について話しながら涙を流し、取材の途中で呼吸困難に陥った。
 そして、その彼女が事件から12年を経て、編集部を訪ねてきたのだった。
 実は彼女は、事件によるPTSDから抜け出せず、心に深い傷を負ったままだった。 この間も、リストカットなど自傷行為を繰り返し、突発性難聴や原因不明の高熱も続いているという。 そして彼女は、何とかそこから抜け出すために、敢えて事件と向き合うことを決め、編集部を訪ねてきたという。 両親は、彼女がこれ以上傷つかないようにと事件についての報道は極力見せないようにしていたため、彼女は自分の証言の載った本誌をまだ読んでいなかったのだという。
 事件と向き合うことで、自分のトラウマを克服しようというのは、投薬治療では限界があると判断した精神科医の勧めでもあり、母親もそう思ったのだという。
 その後、私は本人から何度か話を聞き、12年ぶりに彼女の実家も訪ねて母親にも話を聞いた。 A子さんは、治療のために専門医にも足を運んでいた。 そして、そうしたプロセスを日記に記し、自分自身を見つめようとし始めたのだった。
 
示談を経て不起訴に終わったレイプ事件
 集団暴行事件が発生したのは1997年11月13日未明だったが、前夜の午後11時頃、某大学運動部約10人が、八丁堀のカラオケボックスに集合した。 そこはメンバーの一人がアルバイトをしており、12時を過ぎると社員は帰宅してバイトだけになるので、ほぼ貸し切りで飲み会ができると判断したのだった。
 部員たちは1階で待ち合わせた後、3階のパーティールームに移動し、飲み会を始めた。 当時、赤坂の居酒屋でバイトをしていたBは12時過ぎに東京駅で、事前に連絡していた女性2人と落ち合い、カラオケボックスに合流する。 実は被害女性A子さんは彼の元交際相手で、友人の女性を連れて飲み会に来てくれないかと誘われていたのだった。 A子さんはそれに応じたものだが、ただ部員らが10人もそこに待っていることは現場に行くまで知らなかったという。
 Bと付き合うようになったのは、A子さんが高校生の時、友人を介して知り合ったのがきっかけだった。 何度かデートを重ねたのだが、そのうちに 「お気に入りの子が他にできたらしい」 と友人に聞かされ、彼女は自分から電話で別れを告げた。 しかし、Bに好意を抱いていたようで、後に社会人になってから再び連絡を受けて再会し、交際が復活した。 深い関係になったのはその時だった。 そしてその再会から何カ月か後に事件にあったのだった。 果たしてBが了解のうえでその事件が起きたのか、あるいは偶発的にそうなったのか。 A子さん自身、いまだに真相はわからない。
 カラオケボックスに合流した後、アルコールが飲めないA子さんは、彼女に目をつけた他の部員に半ば強引に酒を飲まされ、酔ってしまう。 他の連中がパーティールーム16号室で騒いでいる間に、同じフロアにある小さな別室13号室に誘われたA子さんは、そこでBと合意のうえ性行為を行った。
 ところが彼は気分が悪くなって、トイレへ行くと言って出て行ったまま帰ってこない。 彼女が衣服を着たところへ、その前から彼女にちょっかいを出していたCが入ってきた。 そして彼が性行為を強要したという。 他の男たちもやってきたので、彼女は、 「Bはどこ? Bを呼んで」 と助けを求めるが、応答はなかった。 Bはその部屋の前の女子トイレで酔いつぶれて寝込んでしまったのだという。
 A子さんは男たちに囲まれ、威嚇された。 殺されるのではないかという恐怖に襲われ、抵抗するすべもなかった。 ただ、このあたりについては、当事者たちの話も食い違いを見せる。 そもそもその部屋はうす暗かったし、途中から呼ばれてやってきた者のなかには状況を理解できない者もいたらしい。 後に取材に対して 「嫌がる女性を無理やり強姦するほど俺達だってバカじゃないですよ」 と容疑を否定する者もいた。
 A子さんは翌朝解放されるのだが、彼女は、Bもグルだったのではないかと疑った。 警察もそう考えたようで、レイプ現場にいなかったにもかかわらずBも逮捕された。 ただ、警察が疑った事前共謀はどうやら立証は難しいと判断されたようだ。 Bは、私の取材にも応じて、寝入っていた間、何が起きていたのか知らないと答えた。
 よくわからないのは、事件のあった13日の午後に、Bが何も知らない様子でA子さんに電話をかけてきたことだ。 Bは、呼びだしたのに酔いつぶれてしまったことを謝ろうと電話したのだという。 ただ、事件で憔悴していたA子さんからすれば、その電話で彼が笑っていたのが信じられなかった、という。
 彼女はその後、警察に届けた方がよいとアドバイスされ、悩んだ末に母親に事情を打ち明け、警察に被害届を出した(正式に受理されたのは11月20日付)。 警察で何度か事情を聞かれ、告訴したのは12月24日だった。
 年明けの1月19日、大学生5人が警察に呼ばれ、20日未明に逮捕状が執行された。 前夜からマスコミの取材報道が始まり、逮捕後の朝のワイドショーはこの事件の報道一色になった。
 
事件は当事者たちに何を残したのか
 こう書いてくると、事件の経過は明白に見えるが、実はそう簡単ではない。 逮捕された学生たちは警察の取り調べに対して外形的事実は認めたが、レイプと呼ぶようなことはしていないという主張だった。 密室での行為だっただけに、裁判での立証は簡単ではないと思われた。
 最初に逮捕された5人が勾留満期になる2月9日、学生7人と被害者との間で示談が成立した。 その間、逮捕された学生の親のなかには、いきなりA子さんの自宅を訪れて土下座した人もいたという。 示談成立にあたっては、逮捕学生の親たちや弁護士の強い働きかけがあったようだ。 裁判になったら被害者側も再び辛い目にあう。 そういう説得を受けて、A子さん側も折れることになったらしい。
 結局、逮捕された学生8人が処分保留のまま釈放、後に不起訴となった。 学生たちが釈放された夜、大学は記者会見を行い、14日に学生たちの処分を発表。 事実認定は難しいとして、迷惑をかけたことが処分の理由だった。
 集団レイプ事件の真相はどうだったのか。 不起訴となったことで、細かい事実の確定は結局行われないままとなった。 ただ、被害者であるA子さんが、深い心の傷を負ったのは確かだった。 特に信頼していた交際相手の男性に騙されたのではないかという疑念は、彼女を苦しめたようで、A子さんはBに本心を聞きたいというのだった。
 編集部を訪れたA子さんは事件について語るたびにボロボロと涙を流した。 トラウマを乗り越えようとする彼女を応援したいという思いから、本誌は彼女の日記を公開することにした。
 

 


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