映画『聖者の眠る街』

2012年10月31日 | 映画の感想



監督: ティム・ハンター
ダニー・グローヴァー
リック・エイヴィルス
ヴィング・レイムス
ジョー・セネカ
ニーナ・シマーシュコ
バーニ・ターピン

 親に頼らず美術学校で写真を学んでいた苦学生が、アパートの立ち退きを食らい、吸い込まれるように路上に暮らし始める。今のニューヨークでならありふれた現実かもしれない。しかし、ホームレスの生活は過酷だ。警察はただ、治安の悪いシェルターに彼らを放り込めばこと足りると思っている。そんな中、とまどう彼に口汚くであるが、あれこれ構ってくれる黒人の男がいた。彼は他の連中と違い、切実にこの境遇から抜け出ようと、車の窓拭きの“仕事”にも精を出していた。そのバイタリティにつられ、青年も協力。いつしか二人して八百屋を始め、念願のアパート暮らしもできるようになるのだが……。ディロン(このところ彼は地味だがよい脚本を選んで、ちょっとマジである)、グローヴァーともに素晴らしく、擬似的親子の情愛をホームレスの生活の中に切実に表現、自力更生の過程も嫌味なく描かれ、これを見れば「フィッシャー・キング」が例えファンタジーだとしても、どうにも嘘寒く感じるはずだ。

★★★★☆
ここ数年、ご近所のゲオでもっぱらレンタルしていたけれど、TSUTAYAだけ!っていう『キックアス』を見んがために、少し離れたTSUTAYAまでチャリンコをこいで出掛けてビックリ、発掘良品なんてコーナーがあって、ボクにとって幻の名作がズラリ。そんなわけで先週から映画三昧に拍車がかかっている。これもその中の一本。

分裂症の若者と、黒人ホームレスの交流を描いたハートフルドラマ・・・なんて一言で説明しちゃえば済んでしまいそうな映画。けれども、一度観てしまうと、ずしんと心に居ついてしまうタイプの映画なのはなぜだろう。きっと『ロード・トゥ・パーディション』がただのマフィア組織に復讐する話なのに一度観たら忘れられない映画なのと理由は同じ。つまり、映画の中で生きている人間を感じることができるのだ。こういう魅力っていうのは、主演のマット・ディロンとダニー・クローヴァーの二人の一世一代(?)の名演技にもよるものでもあるけれど、やはり脚本がすばらしいんだと思う。確かに聖者としてマット・ディロンをとらえることもできる作りになっているけれど、そこをファンタジーにしてしまわないセンスがいい。マット・ディロンが手を触れマッサージすると、足の痛みが消えたり手の痺れがなくなったりというエピソードがある。しかし、これは「つもり」に過ぎないだけかもしれない。心遣いが心を温め、「痛いの、痛いの、飛んでけー」効果を生んだともとれる。そして、なにより触れることで人の役に立てたマット・ディロンが空っぽのカメラにフィルムを入れることができるようになり、前向きに生き始める点だ。こういうさりげない心の機微がさりげなく描かれているあたりがこの映画の魅力と言える。
それでいて、映画冒頭のちびくろサンボのたとえ話にあるように、持ち物を盗られないかと虎を心配して生きている私たち「持てる者」が、この映画の中で描かれているホームレスたち「持たぬ者」と、どっちが幸せなんて言えるのだろうかという疑問を突きつける映画でもある。
ネットのシネマトゥデイの、マット・ディロンのインタビュー記事で、彼曰く、「今まででいちばん残念だったのは『聖者の眠る街』がヒットしなかったこと。いい作品だけど、ホームレスの映画に観客が金を払ってくれなかった。いい作品なんだけど」なんて主旨のことを言っていた。彼自身、思い入れの深い映画なんだろうなあ。
こういうまったく知らなかった名作に出会えるのも発掘良品のおかげ。
いい映画を発掘するぞ~!


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