もう働き始めて2週間は経った!?
経ったね。まだいちおは研修期間です。
試用期間は三ヶ月。
って言ってもさ。職員はもはや出来て動けっ!な雰囲気で望んできます。
2月の実習地に就職したといってもさ。実習期間の業務なんてほぼさせずに、利用者と接してくださいメインの、どの勤務体制やっても同じような感じでしたもの。
それがなぁー入って直ぐから実働して、あれこれ記録つけてその間利用者誘導して、時間に間に合わせるようにして、遅くてどやされて、薬を援助者の考えで使って云々って2つ3つを同時並行ではなく、10、20の事は考える間もなくやらなければならないんだもの、意気消沈します。
それで何十人の今日の利用者様子はどうだったと考えても、私には真新しいことでも上の人からみればどうってことないって言われますからね。
行動情緒、健康の変化を何十人も管理するって辛いな。
あ、俺ね。知的障害者の入所施設で働いています。
もう22回は「やめてやる」って心の内で呟いたり、ぼやいたりしたか分かんない。今でも気を抜くとその言葉出てくる。
2週間ほぼ全体の半分も仕事が出来ていないって想いが被さる中、2つ大変な事が起きた。
1つは職員が3月いっぱいで退職したんだ。その発表を受けるまで利用者を落ち着かせる為に躍起になっていて、いざその時の段になって発表されたこと
「これからは警察官になります」
この一言にドキッとしました。だって俺短い間だっけれど警察学校に居たことあったもの。中途半端に警察辞めて社会福祉士から福祉制度を学んで、それからこの施設に拾ってもらった俺と何年も勤めあげて警察官になる先輩。
俺はなんと中途半端すぎて、苦しくて胸が締め付けられる思いだった。
利用者の一人が歌う贈る言葉を背中越しに聴きながら「俺は本当にこの道でよかったのだろうか」と自問自答した。こうやって誰かが泣いて、歌ってくれるまで俺は出来るのか、この日の帰り道塞ぎ込んだのを覚えている。
最後はつい一昨日に俺が働いている男性棟の利用者が死去されたことだ。その日の晩まで業務をし、ドライブまで一緒に行ったのにな。土日は元気が良すぎてワーワー騒ぐその方でね、棟内でも目立つ方だった。
それが次の日の昼に電話が来て「○○さんが明朝、亡くなりました。私は通常の業務に入ってください」と報告を受けた。
電話を切った瞬間、とてつもなく嫌な動悸がしてタバコを一服しても収まらずに、とりあえずいつもより早く出勤した。
こんな事を言っては申し訳がないが「自分が宿直業務でなくて良かった」と安心感はあったんだ。
着いた早々、俺に付くはずの職員がその方の担当者だったので職場に居なく、ほとんど自分で動かなければならなかった。しかも泊まり勤務だという最悪な日。全く出来ない二回目なのにこの事態だ。
職員同士がフォロに入っているとはいえ、ほとんどマニュアル(勤務ごとの小さいコピーはいつも携帯しているものの…)は役に立たず。邪魔な奴と思われただろう。夕方になって俺の職員が戻ってきたものの、先輩は力がいつもより抜けていた。記録を代わりに書くこと、排泄誘導を俺がすること、物品を運ぶこととか少しでもサポートしようと動いた。
深夜、皆が寝静まりかけた時、聞くか聞かざるべきか迷ったが死去された方について尋ねてみた。援助記録を見ながらボソリボソリと語ってくれ、良かった反面申し訳なさも感じていた。
横になって休んでいいよと言ってくれたけれども、昨夜が昨夜だし寝るわけには流石にいかず目だけ瞑っていた。深夜でも徘徊したり失禁をする利用者は必ず居て足音を聞くたびに「辛い」と何回胸の内で叫んだのだろう。そして何時○○さん起き出しとメモをして、再び目を瞑った。
利用者の起床時間が間近に迫り、私はそれぞれの部屋を巡回と着替えさせに回った。先輩は相当の疲労のせいか鼾をかいて寝ている。何とかカバーしようと回り、一通り回ると不安で不安になりさすがに起こした。
雨脚が強く、利用者間の告別式をする日だったので日中の予定がずれるとは予想していたものの、うちらはほとんど快活に動けなかった。
何とか退社できたのが昼を大分過ぎてから
眠気と疲労を辛抱しつつ、家まで半分の地点のコンビニでカップラーメンを買い車の中で食べた。
だがもう(眠気が)やばい、耐えられないとなり、そのまま夕刻まで背中を丸まらせて寝た。
泊まり明けは休日なのだが御通夜なので仕事場に向かう。
霊前に最後の挨拶をしてロビーで待つ。
やはり先輩の顔色は厳しかった。近くに居たが私も俯くことしかできない。
式が終わりご家族の方が、先輩の前に来て生前の全てについて感謝を述べた。
すがる様な想いで施設に預け、その子の為その子の為にめちゃくちゃに金を使ったに違いない。到底私なぞが同じ気持ちになる事なんてできない。
「ここまで重い仕事なのか」と眼を霞ませて、先輩を背中越しに見ながらまた俯いた。
23回目の「やめてやる」はきっと明日もどこかで思うんだろうな。
別にいちいち数えてはいないけれどさ。そんだけあったかなと
色々あるけれど、とりあえず生きています。
経ったね。まだいちおは研修期間です。
試用期間は三ヶ月。
って言ってもさ。職員はもはや出来て動けっ!な雰囲気で望んできます。
2月の実習地に就職したといってもさ。実習期間の業務なんてほぼさせずに、利用者と接してくださいメインの、どの勤務体制やっても同じような感じでしたもの。
それがなぁー入って直ぐから実働して、あれこれ記録つけてその間利用者誘導して、時間に間に合わせるようにして、遅くてどやされて、薬を援助者の考えで使って云々って2つ3つを同時並行ではなく、10、20の事は考える間もなくやらなければならないんだもの、意気消沈します。
それで何十人の今日の利用者様子はどうだったと考えても、私には真新しいことでも上の人からみればどうってことないって言われますからね。
行動情緒、健康の変化を何十人も管理するって辛いな。
あ、俺ね。知的障害者の入所施設で働いています。
もう22回は「やめてやる」って心の内で呟いたり、ぼやいたりしたか分かんない。今でも気を抜くとその言葉出てくる。
2週間ほぼ全体の半分も仕事が出来ていないって想いが被さる中、2つ大変な事が起きた。
1つは職員が3月いっぱいで退職したんだ。その発表を受けるまで利用者を落ち着かせる為に躍起になっていて、いざその時の段になって発表されたこと
「これからは警察官になります」
この一言にドキッとしました。だって俺短い間だっけれど警察学校に居たことあったもの。中途半端に警察辞めて社会福祉士から福祉制度を学んで、それからこの施設に拾ってもらった俺と何年も勤めあげて警察官になる先輩。
俺はなんと中途半端すぎて、苦しくて胸が締め付けられる思いだった。
利用者の一人が歌う贈る言葉を背中越しに聴きながら「俺は本当にこの道でよかったのだろうか」と自問自答した。こうやって誰かが泣いて、歌ってくれるまで俺は出来るのか、この日の帰り道塞ぎ込んだのを覚えている。
最後はつい一昨日に俺が働いている男性棟の利用者が死去されたことだ。その日の晩まで業務をし、ドライブまで一緒に行ったのにな。土日は元気が良すぎてワーワー騒ぐその方でね、棟内でも目立つ方だった。
それが次の日の昼に電話が来て「○○さんが明朝、亡くなりました。私は通常の業務に入ってください」と報告を受けた。
電話を切った瞬間、とてつもなく嫌な動悸がしてタバコを一服しても収まらずに、とりあえずいつもより早く出勤した。
こんな事を言っては申し訳がないが「自分が宿直業務でなくて良かった」と安心感はあったんだ。
着いた早々、俺に付くはずの職員がその方の担当者だったので職場に居なく、ほとんど自分で動かなければならなかった。しかも泊まり勤務だという最悪な日。全く出来ない二回目なのにこの事態だ。
職員同士がフォロに入っているとはいえ、ほとんどマニュアル(勤務ごとの小さいコピーはいつも携帯しているものの…)は役に立たず。邪魔な奴と思われただろう。夕方になって俺の職員が戻ってきたものの、先輩は力がいつもより抜けていた。記録を代わりに書くこと、排泄誘導を俺がすること、物品を運ぶこととか少しでもサポートしようと動いた。
深夜、皆が寝静まりかけた時、聞くか聞かざるべきか迷ったが死去された方について尋ねてみた。援助記録を見ながらボソリボソリと語ってくれ、良かった反面申し訳なさも感じていた。
横になって休んでいいよと言ってくれたけれども、昨夜が昨夜だし寝るわけには流石にいかず目だけ瞑っていた。深夜でも徘徊したり失禁をする利用者は必ず居て足音を聞くたびに「辛い」と何回胸の内で叫んだのだろう。そして何時○○さん起き出しとメモをして、再び目を瞑った。
利用者の起床時間が間近に迫り、私はそれぞれの部屋を巡回と着替えさせに回った。先輩は相当の疲労のせいか鼾をかいて寝ている。何とかカバーしようと回り、一通り回ると不安で不安になりさすがに起こした。
雨脚が強く、利用者間の告別式をする日だったので日中の予定がずれるとは予想していたものの、うちらはほとんど快活に動けなかった。
何とか退社できたのが昼を大分過ぎてから
眠気と疲労を辛抱しつつ、家まで半分の地点のコンビニでカップラーメンを買い車の中で食べた。
だがもう(眠気が)やばい、耐えられないとなり、そのまま夕刻まで背中を丸まらせて寝た。
泊まり明けは休日なのだが御通夜なので仕事場に向かう。
霊前に最後の挨拶をしてロビーで待つ。
やはり先輩の顔色は厳しかった。近くに居たが私も俯くことしかできない。
式が終わりご家族の方が、先輩の前に来て生前の全てについて感謝を述べた。
すがる様な想いで施設に預け、その子の為その子の為にめちゃくちゃに金を使ったに違いない。到底私なぞが同じ気持ちになる事なんてできない。
「ここまで重い仕事なのか」と眼を霞ませて、先輩を背中越しに見ながらまた俯いた。
23回目の「やめてやる」はきっと明日もどこかで思うんだろうな。
別にいちいち数えてはいないけれどさ。そんだけあったかなと
色々あるけれど、とりあえず生きています。
今、精神的にこのような状態になって
先輩がほろうに入ってくれない
業務体制に問題があると思う。
だからなんつーか誰でもムリ!!
それは自然の気持ちのように思います。
余計なお世話だけどそんな野放置の状態で
精神状態を管理して働いている自分を
私は十分にほめてあげてほしい。
自分がとがめるなら私、心から言いたいよ。
殿はよくやってるよ。
大丈夫。
でもさ、私も福祉職ついているけど
こんなに素晴らしい仕事ないって思っている。
だから言いかた悪いけど
雇用上の契約では賃金プラス
プロになる為の前段階の修行と思って
トントンで時間と労力を経営側に与えてやっているぐらいの気持ちだよ。
だから試用期間というのは
自分も施設をためしている期間だと思っている。
つーか、福祉職が素晴らしいから働いていると思うわけで自分を安売りはしてません。
なんつーか、
私は殿しか見えない視点があって
その今の葛藤を自分が上になったときに
どうしていくかまでの長い目をもち
殿様流の援助を形成していくことに
なにか大きな可能性を感じています。
だからさ福祉に拾われたなんてさ
悲しいじゃん。
現場をよくするために
俺様がきてやったぐらいでいいんじゃない。
自己肯定感。
私にとってはすごい課題だけど
それがあると
いろんな事が周りで起こって心が揺らいでも
揺らぐのは当たり前なんだからさ、
変なストレスを溜めないで
出来事を良い経験として積み重ねられて
いくんじゃないかな~。
私はその為に友人や職員や家族に助けてもらおうと思っています。
一人だとどうしてもね・・・。
偉そうになってごめん。
私は一応、何言われようが、何が起ころうが
3年居続ける覚悟でいるんで
そうやって生きています。
やっぱさ石の上にも三年って
伊達の言葉じゃないよ。
とりあえず最初の給料はめっちゃうれしいから!!
1ヶ月は働かなきゃね!!
そいで自分を潰す職場ならこっちから見切りつけて良いんじゃない?
私の友達を私も安売りしたくないしね~。
まっ今度ご飯でも食べに行きましょう!!
おだんごで。
語彙がどれだけ貧しくなっているのか!!
そんなに大きな出来事が起きることなんてあんまりないよね。
殿への経験値でもあり、
殿への試練でもあるのかしら。
立ち向かうの、大変だ・・・
実習と実務は、天と地だもんね。実習はあくまで見学。
おおかたの職員がそういう効率メインの精神状態にあることを、
「こうはなりなくないね」って思う気持ちを
忘れないってことが一番大変な仕事なのかもしれない。
そこで生活していた方の死。
それも、
その方を忘れないことって、実は一番難しい。
殿や、先輩が切ない想いをすること、
それが一番の供養なのかな。
私にもわかりません。
やはり現場はほんとに現場ですね・・・!
入社してまだ二週間の間にとっても濃い出来事を経験したんですね。
毎日毎日、やめてやる!って思う度に何か勉強になっているんだなあって思います。
この道でよかったのかってことはまだまだ自分にはわかりませんよね。でも、日々自分の人生のためにはなってますよね!
日々日々刺激を受けて学んで長い人生お互いに頑張りましょう!!^^
私はまたまた仕事内容が変わり、今度は権利擁護の担当になりました・・・!金銭管理をします。性格的には貸付の仕事が合ってたと思うのに><でもきっとまたやりがい出てくると思うのでまた新しいことにわくわくしてます。
睡眠不足で事故らないよう倒れないよう過ごしてください!
野放しって程ではないけれど、こちらから聴くタイミングと応えてもらえる時間が取れてないから思いつめますね。
だからやってみて「え!そんなことも、え!聞いてないんですか!?」みたいにきっかけ作らせて、僅かなタイミングから理解しよっかなと。
あとは何でも工夫と配慮と声に出しておいて示しておくこと
してますわ
悔やみもありながら危機管理の改善に進みますね。
一人の利用者を名簿から消すのは数時間もあれば終れるけれど、いつも何時に薬・バイタル・体温云々と決めて名前を呼んでいたのを、いざやめるとなると
「あ、もういないんだっけ」かと一呼吸おいての働きに私はなっています。
これまでの記録を読んであげたいけれど、今は未だそうする場合じゃないのがなんともがな。目の前のこと!
毎日毎日、やめてやる!って思うけれど、けっこう周りの職員って凄いんですよね。無愛想な私と反して人情あふれている方がいてね。なんかそれがムカつくんです。
キター(゜∀゜)ー 地域福祉権利擁護事業
中途半端ってことはないですよ!
ずるずると何も考えず働き続けるよりも、何か新しくアクションを起こすことの方がよっぽど潔くて、中途半端とは程遠いと思うなぁ。
まあ「中途半端かどうか」っていうのは本人がどう感じるかだから、他人からどういわれても微妙かもしれませんが^^;
私の友人も殿でいいさんと同じようなところで働いてます。
もう6年目?だけど、今だに迷うことや怒ってしまったり混乱したりの連続だって言ってました。
だから、例えしっかりしている先輩でも、皆そういう気持ちになってるんじゃないかなぁ、と。
あ、全然ちょっとだけじゃなかったなー^ ^;
ちょっとだけになっていますよ。
中途半端になるかどうかはやっぱ自分の問題なんだけれど
やはり後味悪い終わり方にすると、事あるたびにそれを理由にしたり比較の対称にしてしまいます。
それって聞いている方は嫌でしょうね。いつまでも昔のこといってんのさとなる。
じゃーそれを抜きにした時、一番怖くなるのが
年齢と能力なんすかね。