Tomotubby’s Travel Blog

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石戸蒲桜遠景

2013-03-31 | Japan 非日常生活 遠征篇
Ishito Kabazakura  石戸蒲桜

「堀ノ内」、今の住所では「今戸宿三丁目」にある東光寺石戸蒲桜は、滝沢馬琴が玄同の名で著した「玄同放言」巻ノ三に蒲桜のことを取り上げており、江戸時代にこの桜の名が既によく知られたものだったことが判る。馬琴は若き渡辺崋山に蒲桜の取材を頼み、「玄同放言」には崋山が遠近法を用いて桜の挿絵を描いている。

馬琴の道案内として「仲仙道、桶川駅の西北より、西に入りて、下石戸に至り、又屋津に至り、左へ諏訪市場に至り、堀ノ内に至る」とあり、崋山はこの道を辿って東光寺に到ったのだろう。戦国時代には石戸城が築かれた要害の地、荒川に向かった台地の果ての崖の上に東光寺はあり、後で崖下にある自然観察公園に下りてみたが、そこは人が住むにはいささか厳しい湿地帯であった。「屋津」はヤチと同義で低湿地の地名であるし、諏訪神社のある「諏訪市場」とひっくるめてこの地を「川田谷」と呼び、隣の地区も「日出谷」だから、崋山はこの低地沿いのルートを通ったに違いない。

「日出谷」よりさらに西へ進んだ高崎線を越えた「篠津」地区には「延喜式」にも名を残す「多気比売神社」があり、隣の「加納」地区には古代の製鉄所跡「宮ノ脇遺跡」がある。大和朝廷が蝦夷征伐によって生じた俘虜をこの地に移配して鉄製武器を作らせたのだろう。東光寺の近くには今戸神社があるが、これはかつての白山神社が名を改めたようである。白山・東光が揃った場所、そこはいわゆる「別所」なのかもしれない。


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