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Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

「マティスと野獣派」展 (Seoul) ~金魚をめぐる旅 番外編~

2005-12-26 | Henri Matisse 特集
1905年10月、パリ・グランパレで行われた第3回サロン・ドートンヌ(秋の展覧会)に「野獣派」が現れてから百周年を記念?して、ソウル市立美術館(Seoul Museum of Art)で「マティスと野獣派 (MATISSE and the FAUVES: Color of the Century)」展が、12/3日から来年3/5日まで3ヶ月に亘って開催されているそうです。

あくまで「マティス」展。ではなく、百貨店展覧会のように「と 野獣派」展。と潔くないところがミソで、マティス以外にブラマンク、ヴァン・ドンゲン、デュフィ、ドラン、ルオー、マルケ、ボナール他、計19名の画家の作品が並べられています。貸出元は、パリ・ポンピドゥーセンター、市立美術館、サントロペ・ラノンシアード美術館のコレクションが主で、ロシア・エルミタージュ美術館からは直前に貸出を断られたそうです。ということで、マティスの油彩がいったい何枚来ているのか? 金魚は来ているのか? わざわざ厳冬のソウルくんだりまで行く価値はあるのか? 気になるところではあります。

ウリ国家的文化事業イムニダ。というようなホームページを見る限り、目玉はこの絵↓のようです。



しょぼーん。
それから、ハングルだけでよくわからないけど、この絵↓もあるようです。



でも、この絵↑ってニース時代の絵で、フォービズムじゃないじゃん。
それから初期の作品としては、1898年の「コルシカの風景」というのが来ているみたい。

で、ポスターは MATISSE って大きく書いてあるのに、ヴァン・ドンゲンの絵↓だしなぁ。ふつうはマティスの絵使うだろって。



つづく

ニース時代の「金魚」を発見 ~金魚をめぐる旅 その5~

2005-12-23 | Henri Matisse 特集
前にえらそうに「知る限り、アンリ・マティスは「金魚」を題材にした作品を8作描いています」などと書いたのですが、もう一つ発見してしまいました。Tomotubby は、未だこの絵の実物を見たことがなく、一度は達成したかのように見えた偉業、全世界金魚完全制覇の夢は脆くも崩れました。

その絵はモルディブが発行した切手に使われていました。小国が自国とあまり関係ない絵柄の切手を発行して外貨を稼ぐことがありますが、これもその類でしょうか。モルディブといえば、昨年の今頃、ひどいことになっていましたが、こういう切手を買ってあげることで国際援助するのは、自然な感じでいいな。と思います。



切手には「水槽の前の女」1921~1923年とあり、所蔵は不明。ご存知の方がおられたら、教えてください。絵は画風からしてニース時代のもので、先にこのブログで言及した8作品よりも後に描かれた絵です。

面白いな。と思ったのは、金魚鉢が足のあるグラスタイプであることです。前回

フランスで描かれた6作品→ビーカータイプの金魚鉢
モロッコで描かれた2作品→足のあるグラスタイプの金魚鉢
であることを述べましたが、早くもこの図式は崩れました。むしろ、

人が描かれていない6作品→ビーカータイプの金魚鉢
鑑賞者としての人が描かれている2作品→足のあるグラスタイプの金魚鉢
という図式が成立しているのかもしれません。「金魚とパレット」に置いては、パレットを持つ画家の指が描かれてはいますが。もう一歩踏み込むと、

絵の鑑賞者(私達)→絵の中の金魚の鑑賞者→足のあるグラスタイプの金魚鉢の中の、金魚
絵の鑑賞者(私達)→絵の中の、ビーカータイプの金魚鉢の中の、金魚
という図式なのかもしれません。

この絵で目立つのは、背後のオダリスク文様です。そこは南仏ニースの一室に違いないのですが、この模様のせいでモロッコと同様に「東方的な空間」と化しています。つまり、否が応でも「オリエント」を意識せざるを得ない空間の中で、金魚を鑑賞するという東方的、東洋的趣味を行う人を描き、その行為、趣味、つまりは「オリエンタリズムの表出」を、間接的に絵の外で私達が鑑賞しているのです。これはモロッコで描かれた2枚の絵と同様の構図です。

それに対して、これまでフランスで描かれた6枚の絵は、金魚以外に「オリエンタリズムの表出」が見られません。金魚以外のモチーフは花瓶に活けられた花であったり、自作の彫刻で、むしろ静物画の伝統を引き継ぐものです。金魚のみが「オリエント」の象徴といってもよく、絵の外の鑑賞者である私達は、直接「金魚」を見つめて「オリエント」と交感するのです。

このことは、絵の題名にも如実に顕れています。前者の「間接鑑賞タイプ」の絵の題名には「テラスのゾラ」「アラブのカフェ」「水槽の前の女」と金魚(Poissons Rouge、或いは Goldfish)の単語が出てきません。これに対して「直接鑑賞タイプ」の絵の題名には、ことごとく金魚の単語が表れています。画家マティスにとっては、主題が、金魚を鑑賞する行為であるか、金魚そのものであるかが、はっきりと区分けされているようです。

この後、1920年代、ニース時代のマティスの向かうのが「オダリスク」という題材です。つまり南仏のホテルの部屋に「東方的空間」を現出させ、それを描く「間接鑑賞タイプ」の絵を追求していくことになるわけです。

つづく

「アラブのカフェ」 ~金魚をめぐる旅 その4~

2005-12-22 | Henri Matisse 特集
マティスは、プーシキン美術館の「テラスのゾラ」の他に、もう一枚「金魚を愛でるモロッコ人」を採り上げて絵に描いています。同じくロシアのエルミタージュ美術館にある「アラブのカフェ」です。マティスがフランスで描いた「金魚」はいずれもビーカー様の金魚鉢に入れられていましたが、モロッコで描かれた「金魚」二作は、足のあるグラス様の金魚鉢に入れられています。

「アラブのカフェ」は恐らく日本で展示されたことはないのではないかと思います。
↓こんな絵です。


「アラブのカフェ」 1913年

描かれたのが 1913年。ロシアイコンやイスラムのアラベスクを見た影響が現れているのだと思いますが、ここに来て、マティスは二次元芸術としての、彩色絵画の極みに達し、かつて拘泥したフォービズムの遥か彼方の地平にまで到達したのではないかと思います。印象派が古典絵画の因習を打ち破り、華々しくデビューしたのが1874年、1913年においては、モネ、ルノアール、ドガあたりはまだまだ健在で絵を描いています。美術界のもうひとりの雄であるピカソはキュビズムにどっぷり漬かっていた頃です。マティスの先進性が如何に人並みはずれたものであったかが窺い知れます。

繰り返して描かれる幸運を呼ぶ魚「金魚」は、マティスにとって、オリエントの象徴だったのでしょう。印象派が浮世絵を座右に置いて、その影響下で古典絵画の伝統に立ち向かったように、マティスは東方のロシアイコンやアラベスクなどを見て編み出した新しい方法論を試していきます。マティスは、その意思表明を密かに「金魚」に託していたのではないでしょうか。

つづく

プーシキン美術館のもう一つの「金魚」 (Moscow) ~金魚をめぐる旅 その3~

2005-12-21 | Henri Matisse 特集
再びプーシキン美術館へ。


「テラスのゾラ」 1912年

プーシキン美術館には、マティスの描いたもう一つの「金魚」の絵、「テラスのゾラ」があります。「金魚」を題材にしたと言うよりむしろ、旅先のタンジールの街角で見た「金魚を愛でるモロッコ人女性」を描いた作品です。アフリカの強い陽の光が遮られて、画面の大部分を覆い尽くした日影を透明感のある青で描いて、その影の中に女性が座っています。影の中では金魚の赤がひときわ映えています。

この頃のマティスは青をふんだんに使った絵を描いています。現在、プーシキン美術館展で日本を巡回している「金魚」は例外ですが、MoMA所蔵の「金魚と彫刻」や「金魚とパレット」にしても青を基調とした作品です。輪郭のはっきりしない大画面の青の中に、金魚の赤や黄の暖色を置いて、メリハリをつけています。こういう描き方はフォービズムの作法とは別で、マティスが早くも見出した新境地ではないかと思います。

プーシキン美術館では、「テラスのゾラ」を中央に置いて、左側に「窓からの眺め、タンジール」、右側に「カスバの門」と、青を基調として描かれた二枚の作品を配することで「三幅対」にして飾られています。Tomotubby は、この「モロッコ三幅対」が最も印象深く、メモ帳にスケッチのようなものを残していました。
こんな感じ↓


ははは。へたくそじゃ~。

で、今回、いろいろ集めた素材をもとに、色も調整して「モロッコ三幅対」を作ってみました。


「窓からの眺め、タンジール」「テラスのゾラ」「カスバの門」

この三枚が並べられているのを観るには、モスクワに行くしかないでしょう。Let Go。

The Moscow Times.com によりますと、ロシアは借金のカタに、ピカソとゴッホとモネを含めたプーシキンの名画を差し押さえられたみたいです。以下勝手に引用:-

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Thursday, November 17, 2005. Page 1.

Pushkin Paintings Seized, Let Go

By Carl Schreck
Staff Writer

First he went after Russian government bank accounts, then a giant sailing ship, only to have both slip out of his hands. Two fighter jets later escaped his grasp, but controversial Swiss businessman Nessim Gaon struck again this week when Swiss authorities seized four truckloads of paintings from the Pushkin Museum of Fine Arts worth an estimated $1 billion.

But Gaon's company, Geneva-based trading firm Noga, lost out once more in its attempt to claim unpaid debts when the Swiss government ordered the release Wednesday of the 54 paintings owned by the Russian government, including works by Pablo Picasso, Vincent Van Gogh and Claude Monet.

The Moscow Times.com
http://www.themoscowtimes.com/stories/2005/11/17/003.html

つづく

MoMAの「金魚」 (NY) ~金魚をめぐる旅 その2~

2005-12-20 | Henri Matisse 特集
知る限り、アンリ・マティスは「金魚」を題材にした作品を8作描いています(→後日、もう2作品()を発見してしまいました)。

1912年の春から夏にかけてパリ郊外のイッシー・レ・ムーリノーで4作が描かれており、この中の一つが、プーシキン美術館展で日本を巡回している「金魚」の大作で、残りは、MoMA(ニューヨーク近代美術館)、バーンズ・コレクション(これはずいぶん前に上野に来ていて観ました)、デンマークの国立博物館にあります。その後、1912年から1913年にかけてモロッコ・タンジールで2作が描かれ、これらはエルミタージュ美術館と、プーシキン美術館にあり、さらに1914年春、1914年から1915年にかけて、パリで描かれた2作は、パリ・ポンピドゥーセンターとMoMAにあります。

Tomotubby は、全ての美術館を回ったわけではありませんが、幸運なことに既に「金魚」8作品を完全制覇しています。2度以上観た絵も多いのですが、再会すると同時に、今度はいつ出会うことができるだろうか。また出会うことができるだろうか。と「儚い人生」を思って少し切なくなります(年寄りくさい?)。

以下は、今春ニューヨークに行ったとき、MoMAで再会できたマティスの「金魚」たちです。


「金魚と彫刻」 1912年


「金魚とパレット」 1914~1915年

今年は「金魚」3作品と出会うことができて幸せでした。

つづく

プーシキン美術館の「金魚」 (Moscow) ~金魚をめぐる旅 その1~

2005-12-19 | Henri Matisse 特集
東京都美術館での会期最終日、滑り込みで「プーシキン美術館展」を観てきました。


上野駅のポスター

(↑左から)ピカソ、ゴーギャン、マティス、ルノアールの作品を用いたインパクトのあるポスターが都内各所に貼られていて話題になっていたので、「北斎展」同様、混雑を予想しましたが、やはり凄い人。閉館間際になっても人の波は衰えることなく、閉館時間が来ると入口のある下の階から来訪者は追い立てるように閉め出され、後戻りはさせてもらえませんでした。今回は最後にゆっくり鑑賞できず残念でした。

この盛況ぶりを呼んだ立役者は、最初にも載せましたポスター、中でもマティスの愛らしい「金魚」の絵を使ったポスターだったのではないかと思います。



会場においても、「金魚」の絵は、わざわざコレクター・シチューキンの屋敷を再現して淡緑色に塗られた壁を丸々一面使って展示されていて、別格扱いでした。この絵は、モスクワと、パリの回顧展で二度見たことがありますが、実際こんなに大きかったかな。(実物大、緋鯉くらいあります)と思ったほどでした。プーシキン美術館に行ったときに隠し撮りした写真を確かめると、下のように他のマティスの名作と並べて飾られています。他にも大作がたくさんあるせいか、そんなに存在感は感じなかったし、貰ったリーフレットの類にも載せられてはいませんでした。




プーシキン美術館の監視員の頭越しにパチリ

今回、改めて「金魚」をじっくり齧り付きで10分くらい鑑賞しました。三回目にして恐らく一番長く。

まさに「金魚」を描きたいがために描かれた絵画。
平面的すぎる彩色絵画。

構図は、重なる円弧が少しずつずれて渦巻きナルトのようで、その中心に自然界でこれだけ強烈なものはないと思える金魚の緋色が鮮やかです。四隅からは南国の植物など違ったモチーフが迫り、ピンク色と緑が生命力溢れる金魚を包みます。そしてこの絵を引き締めているのは黒に近い藍です。前にも描きましたが、色彩の画家にしてマティスは、効果的に黒を使うのがすごく上手な画家だと改めて感心しました。


「金魚」の椅子発見


つづく

12/12日 「マティス展」最終日に再訪

2004-12-13 | Henri Matisse 特集
12月12日、「マティス展」の開催最終日に再度上野西洋美術館に行って観てきました。前日は入館するのに30分待ちだったと聞いていたので、閉館2時間前の16時半に間に合うように入館しました。予想に反して待ち時間は無いに等しく、即入場できました。でも会場に入ると凄い混雑、「豪奢」の前は黒山の人だかりで絵画鑑賞どころではない騒ぎです。ならば、出口に近いマティス晩年の「切り紙絵」の作品の展示室の方へ移動。入口に比べると幾分空いていました。

閉館1時間くらい前に再び入口に戻ると、先ほどの騒ぎが嘘のように人が減っていました。このくらい空いていれば、絵をひとつひとつ時間をかけて鑑賞できます。無論、先ほどの一群は前方にシフトしただけで、「装飾的人体」や「ルーマニアのブラウス」などの前は未だ混みあっていましたが。


「装飾的人体」

残りの1時間は短い時間でしたが、落ち着いて、作品を通してマティスと対峙できた濃密な時間でした。9月に訪れたときとは違って、既に馴染みとなった作品を辿っていくと、マティスの手の跡など、いろいろ新しい発見もありました。そして、いよいよ閉館時間18時半が近づいてきました。いつもなら、閉館時間の前になると、係員がお役所仕事よろしく、けしかけて、館内に残る客を非情にも出口に向かって追い詰めていくのですが、今回は少し様子が違いました。これは特筆すべきことです。

3ヶ月間に及ぶ展覧会が終了して、パリ・ポンピドゥーセンターなど所蔵者のもとに帰ってしまう展示作品、23年ぶりに日本に集結した一大コレクションを前に、退館時間を過ぎても、名残惜しくて、立ち去り難い人たちが残っていました。そして、いつもならこの時間になると入口の方への逆行は許されず、係員が行く手を立ちふさがるのですが、今日はそれがないのです。人々は思い思いにお気に入りの絵を観に逆行していきました。

特に「ルーマニアのブラウス」や「夢」などマティス晩年のピークの時期に描かれ、その制作のプロセスが示された1945年のマーグ画廊の展示を再現した一角には、かわるがわる沢山の人が訪れて、別れを惜しんでいました。時間が惜しいように無言で絵を見つめている人々の顔を見ていると、別れを悲しんでいるどころか、みんな、なんとも幸せそうな顔をしています。このへんがマティス芸術の素晴らしいところなのでしょう。Tomotubby は、マティスの愛らしい作品を前に、この瞬間、彼らと時間を共有しているような気分になりました。見ず知らずどうしなのに、人一倍マティスを愛する人たちに親近感が持てたのです。


「ポリネシア・空」

結局、美術館の粋な計らいで、15分くらいの猶予が与えられました。出口前の切り紙絵の展示室で「ポリネシア・空」/「ポリネシア・海」の大作を前にしてベンチに座っていた人たちも腰を上げ、みんな満足げに帰っていきました。

Tomotubby は記念に大好きな「ルーマニアのブラウス」の額絵を買って帰りました。

二つのマティス美術館の二つのタヒチ (Tahiti)

2004-10-24 | Henri Matisse 特集
フランスの北と南にある、カトー=カンブレジとニースの両マティス美術館に、同時期にタヒチを描いた絵があることはご紹介しましたが、ちょうど二つとも絵葉書があったので、画像をUPします。


(左) タヒチの窓(1935-36)
(右) タヒチⅡ(1936)

1918年に始まり1920年代の間、長く続いた「ニース時代」以後の作品です。画面はより平坦になり、形態は単純化されています。まるで1917年以前を引き継いだような、写実と装飾の二律背反の中で花咲いた純粋芸術というか、「彩色」派の潔い画風が甦ったように思えます。

マティスは1930年にタヒチを旅行し、タヒチ島の表玄関、フレンチ・ポリネシア最大の街(といっても小さい街です)、パペーテのスチュアート・ホテルに滞在しました。この絵は、そのときの思い出を主題に、ホテルの部屋からのパペーテの港の眺めを描いたもので、水平線上に雲に覆われたモーレア島が見えます。
窓の左の様式化された線はカーテンでしょうか? ちょっと国立近代美術館にある辰野登恵子さんの絵を思い出しました。
絵の四辺に額縁のように配された白い花は、タヒチの国花「ティアレタヒチ」でしょうか? ファーア空港に着いたときに、入国審査の男性が耳の上に挿していました。とても甘い香りのする花です。そういえば、乗って来たエア・タヒチ・ヌイの飛行機の尾翼にもこの花が描かれています。

今のタヒチ島は、こんな感じです。ファーア空港とパペーテの間に位置するシェラトン・タヒチからモーレア島を撮った写真。右上に小さく、ファーア空港の滑走路から飛び立った飛行機が見えます。


ニース時代のマティス

2004-10-23 | Henri Matisse 特集
前にコートダジュールに5連泊して、ニース、アンティーブ、カンヌ、ヴァンス、サンポール・ドゥ・ヴァンスなんかを電車やバスで旅行して、すっかり気にいってしまいました。

ニース市内には近現代美術館みたいな大きな美術館もありますが、近郊にシャガール、ピカソ、ルノアール、レジェ、そしてマティスと趣のある個人美術館がたくさんあり、美術ファンにはたまりません。美術ファンでなくとも青い空の下、歴史のある街を訪ねるエキスカーションはわくわくさせてくれるはず。もちろん、Tomotubby にとっては、ニースのマティス美術館と、建物自体が晩年のマティスの代表作といえるヴァンスのロザリオ礼拝堂はマストの訪問先なのでした。

しかし、ニース時代のマティスの絵は、どうも好きになれません。只今休館中?のパリのオランジュリー美術館に行くと、そこにはニース時代の絵が沢山あるのですが、小さなカンバスに、中間色というか、パステルカラーのような色合いの絵の具が塗られているものばかりで、ニース以前、ニース以後の絵にあるような色彩のぶつかり合いがなく、どこか別人の絵のように思えます。

「彩色」派の祖としてのマティス

2004-10-22 | Henri Matisse 特集
中原佑介・著「現代芸術入門」の中に、現代画家は「描出」派と「彩色」派に大別され、パブロ・ピカソが「描出」派の祖とすれば、アンリ・マティスは「彩色」派の祖であるようなことが書いてありました。

抽象表現主義でいうと、ジャク孫・ポロックやウィレム・デ・クーニングはピカ祖の末裔であって、マーク・ロス子やバーネット・ニューマンは、マティスの流れということです。このカテゴリ分けは、絵画だけでなく、応用すると彫刻にもあてはめられるそうです。例えばアルベルト・ジャコメッティはピカソ派で、ヘンリー・ムーアはマティス派となるわけです。

このくだり (というか、この本自体) が理解しやすかったせいか、「描出」か「彩色」かという切り口は、以来 Tomotubby の現代美術鑑賞の指針となっています。

Tomotubby が思うに、マティスの凄いところは、1910年代という早い時期に、フォービズム(野獣派)から脱却して、「彩色」派の元祖ともいえる新しい自分のスタイルを確立していることです。そして、伝統的な美術の因襲から解き放たれたマティスの精神は、ここでひとつの頂点を迎えたのです。