マティスは、プーシキン美術館の「テラスのゾラ」の他に、もう一枚「金魚を愛でるモロッコ人」を採り上げて絵に描いています。同じくロシアのエルミタージュ美術館にある「アラブのカフェ」です。マティスがフランスで描いた「金魚」はいずれもビーカー様の金魚鉢に入れられていましたが、モロッコで描かれた「金魚」二作は、足のあるグラス様の金魚鉢に入れられています。
「アラブのカフェ」は恐らく日本で展示されたことはないのではないかと思います。
↓こんな絵です。
「アラブのカフェ」 1913年
描かれたのが 1913年。ロシアイコンやイスラムのアラベスクを見た影響が現れているのだと思いますが、ここに来て、マティスは二次元芸術としての、彩色絵画の極みに達し、かつて拘泥したフォービズムの遥か彼方の地平にまで到達したのではないかと思います。印象派が古典絵画の因習を打ち破り、華々しくデビューしたのが1874年、1913年においては、モネ、ルノアール、ドガあたりはまだまだ健在で絵を描いています。美術界のもうひとりの雄であるピカソはキュビズムにどっぷり漬かっていた頃です。マティスの先進性が如何に人並みはずれたものであったかが窺い知れます。
繰り返して描かれる幸運を呼ぶ魚「金魚」は、マティスにとって、オリエントの象徴だったのでしょう。印象派が浮世絵を座右に置いて、その影響下で古典絵画の伝統に立ち向かったように、マティスは東方のロシアイコンやアラベスクなどを見て編み出した新しい方法論を試していきます。マティスは、その意思表明を密かに「金魚」に託していたのではないでしょうか。
つづく
「アラブのカフェ」は恐らく日本で展示されたことはないのではないかと思います。
↓こんな絵です。
「アラブのカフェ」 1913年
描かれたのが 1913年。ロシアイコンやイスラムのアラベスクを見た影響が現れているのだと思いますが、ここに来て、マティスは二次元芸術としての、彩色絵画の極みに達し、かつて拘泥したフォービズムの遥か彼方の地平にまで到達したのではないかと思います。印象派が古典絵画の因習を打ち破り、華々しくデビューしたのが1874年、1913年においては、モネ、ルノアール、ドガあたりはまだまだ健在で絵を描いています。美術界のもうひとりの雄であるピカソはキュビズムにどっぷり漬かっていた頃です。マティスの先進性が如何に人並みはずれたものであったかが窺い知れます。
繰り返して描かれる幸運を呼ぶ魚「金魚」は、マティスにとって、オリエントの象徴だったのでしょう。印象派が浮世絵を座右に置いて、その影響下で古典絵画の伝統に立ち向かったように、マティスは東方のロシアイコンやアラベスクなどを見て編み出した新しい方法論を試していきます。マティスは、その意思表明を密かに「金魚」に託していたのではないでしょうか。
つづく
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