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西洋音楽史 2 ~古典派音楽~

2014-06-04 17:23:29 | 雑学
今日は雑学
前回から始まったシリーズ・西洋音楽史の2回目です
古典派の音楽家たちの覚え方を語呂合わせにしてみたいと思います。


≪古典派音楽≫
  ハイドンモーツァルトベートーヴェン

        ・・・形式を重要視した音楽で、理性的、客観性を求めました
        絶対音楽(標準音楽の対義語で、情景や物語描写といった音楽外的要素を排して、純粋に音の構造物として作曲される)

コテンと寝てないで はい、どんどん モーツェレラチーズの 弁当をたべましょ
              ・・・あ~~ベートーヴェン、やっぱりお弁当にしちゃった。ごめんなさーい。



ハイドン・・・『驚愕』、『軍隊』など100曲以上の交響曲を作曲。”交響曲の父と呼ばれる

※『驚愕』『軍隊』はここで聴けます。
「驚愕」・・・https://www.youtube.com/watch?v=Jqo6DeB9HX0
「軍隊」・・・https://www.youtube.com/watch?v=npenPBrO-Lc

はーい よういドン 軍隊のかけっこには驚愕するわ 100人で交響曲に合わせてだもん♪




モーツァルト・・・オペラ『フィガロの結婚』『魔笛』交響曲『プラハ』・・・天才的な作曲技法を持つ。

※ 『フィガロの結婚』『魔笛』はここで聴けます。
https://www.youtube.com/watch?v=6Ne1qE5QjvM
http://www.youtube.com/watch?v=lc4Y_-lm4l4&feature=kp

もーー モーツァルトったら (フィガロの)結婚式で 魔笛を吹いちゃだめでしょ


※モーツァルトは、父親が息子が天才であることを見出し、幼少時から音楽教育を与えたので、3歳のときから チェンバロを弾き始め、5歳のときには 最初の作曲を行いました。
 父子で何度もウィーン、パリ、ロンドン、およびイタリア各地に大旅行マリア・テレジアの御前で演奏した際、宮殿の床で滑って転んでしまい、6歳のモーツァルトはその時手を取った7歳の皇女マリア・アントーニア(後のマリー・アントワネット)にプロポーズしたという逸話があります。
 7歳のときフランクフルトで演奏した際に作家のゲーテがたまたまそれを聴き、そのレベルは絵画でのラファエロ、文学のシェイクスピアに並ぶと思ったと後に回想しています。
 29歳の時、弦楽四重奏曲集をハイドンに献呈し、ハイドンから才能について賛辞を受けます。翌年、オペラ『フィガロの結婚』初演。
 そして、モーツァルトはオペラ『魔笛』の作曲・初演の年、病気で35歳の若さでウィーンで亡くなっちゃうんですね。
(ウィキペディアより)

・・・モーツァルト、本当に天才だったんですね。モーツァルトが長生きしていたら、もっともっと名曲が生まれていたんだと思うと、残念です。(ノ_・。)




ベートーヴェン・・・交響曲第5番『運命』、交響曲第6番『田園』、交響曲第9番『合唱』 聴力を失いながら名曲を作りました。

※交響曲第6番『田園』、交響曲第9番『合唱』はここで聴けます。
http://www.youtube.com/watch?v=N6TXIKKy9LE&feature=kp
https://www.youtube.com/watch?v=HV7bgY626rU

ベートーヴェンは 田園で 第九を歌うの うんめいよ(うまいよ)


※ベートーヴェンは宮廷歌手の父親の音楽のスパルタ教育を受けて育ちます。
 16歳のベートーヴェンはウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問しましたが、最愛の母の病状悪化の報を受けボンに戻ります。母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、仕事を掛け持ちして、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごしました。
 22歳の時、ハイドンに才能を認められ弟子入りを許可され、ウィーンに移住し、ピアノの即興演奏の名手として名声を博しました
 20歳代後半ごろより持病の難聴が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となりますが、34歳の時、交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての”傑作の森”と呼ばれる時期となります
 40歳頃には全聾となり、神経性とされる持病などにも苦しめられましたが、苦悩の中で作られた交響曲第9番などの作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものでした。
 10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌年、肝硬変により56年の生涯を終えました。
(ウィキペディアより)


・・・ベートーヴェンの傑作と言われる曲のほとんどが、難聴になってからというのは驚きです。苦悩の多かった生涯・・・でも、今でも世界中の人で彼を知らない人はいないくらい後世に名を残したベートーヴェン、人の一生としては、幸せな人生だったと言えるのかもしれません。

 美術などほかの芸術作品もかもしれませんが、音楽作品は永遠に残って、現在も多くの人の心を潤しているって素晴らしいことですね。いい曲は、何度聞いても褪せることがありません。(´ー`*)。・:*:・ポワァァン

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