囲碁きちの独り言 Ⅱ

趣味の旅行、うたごえ、囲碁の事や日常の出来事を記録する。

今日は、何の日?

2013-05-25 14:31:30 | 日記
今日は、5月25日。
今朝、連れ合いから「今日は、何の日かわかりますか?」と聞かれました。
そう言われて、連れ合いとの結婚した日 だと思い出しました。

1963年 5月25日に、何故か、結婚しました。



満50周年になります。
その日の事も思い出しました。

披露宴は、実行委員会形式の「会費」制。
牧師も、神主もいない「人前」結婚式、多くの仲間が集まってくれました。
新婚旅行は、夜行列車の2等寝台。
東京駅のホームまで友人たちが見送りに来てくれました。
行先は、京都・奈良。
修学院離宮のサツキが満開でした。
帰って来た新居?は、4畳半一間の古いパート。

誰もが、貧しく、苦しい時代でしたから、何とも思いませんでした。
若い事もあり、将来に、不安よりは夢がありました。

翻って、今の若い人たちは、将来に夢があるのでしょうか?
貧困と格差が広がり、非正規雇用は当たり前、低賃金で長時間労働、みんなが疲れ果てているように見えます。
その上、国の先行きも見えてきません。
原発事故は収束せず、放射能汚染水の処理さえ出来ていません。
太平洋戦争の惨禍の反省から生まれた平和憲法さえ瀕死の状態です。

このままの状態で、この国を次の世代に引き継ぐには耐えられません。
体力はかなり衰えましたが、気力だけでもしっかりもって、若い世代とも連帯して、明るく希望の持てる国にしなければ・・・と心を新たにしました。
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「9条の会」も、「96条の会」も!

2013-05-24 20:40:39 | 憲法9条、大好き!
今日の東京新聞の一面です。



「憲法を変えようと」と言う学者などからも、憲法改正のために「憲法96条」を変えてしまおうとする安倍政権の動きなどに「それは、おかしい」と反対の声が上がっている報じています。
憲法96条は、憲法改正の発議は「衆参両院で三分の二以上の賛成が必要」と定めています。これを「二分の一」にしてしまおう と言うのが安倍首相などの意向です。
これに危機感を覚えたのは、護憲派だけでなく、「改憲派」の人からも、「これでは憲法が、憲法でなくなってします」「時の政権の意向で、憲法がコロコロ変えられてしまう」とうの声が広がっています。

こんな危機感から「改憲派・護憲派」が、声をそろえて、「憲法96条を守ろう」との会が結成されたと報じています。

きしくも、今日、国会で「マイナンバー制度」法案が成立しました。
憲法も、「国民が為政者を縛るもの」から、「国が国民をしばる」ものに変えようとしているのです。その一つが「国が国民を管理するてまのマイナンバー=国民総背番号制」なのです。

「国が国民を管理する」これは戦前の軍国主義の時代で私は懲りています。こんな日本に戻さないためにも、「96条の会」にも大賛成です。
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残念!

2013-05-23 18:54:03 | うたごえ
5月20日付けの「うたごえ新聞」を読んでいたら、「訃報」の記事がありました。

東視協アンサンブルのピアニスト 田中禎一さんが亡くなられたという記事でした。



私は、田中禎一さんの演奏は一度聞いただけです。
今年1月13日に、入間9条の会の「うたごえ喫茶」があり、そこに行った時です。
所沢うたごえ喫茶の伴奏者 アコの新井さん、ギターの原島さんと一緒に東視協アンサンブルの皆さんにも伴奏をしてもらいました。小さなうたごえ喫茶にしては、豪華すぎる伴奏陣でした。



視力障害のある田中さんですが、ピアノの演奏は素晴らしかったです。彼はピアノの他、アコ演奏も素晴らしいそうです。

「ピアノの演奏を同じ視力障害の辻井伸行さんに教えた」とも聞きました。
やはり、絶対音感がしっかりしていて、耳で聞いた音楽を再現できるとも聞きました。

その内、所沢うたごえ喫茶にも来ていただき、「豪華すぎる伴奏陣」でイベントを開こうと考えていただけに残念でなりません。

心よりご冥福を祈ります。

以下、田中禎一さん自身が書いた東視協アンサンブルの紹介記事を転載します。


      東視協アンサンブル紹介           田中禎一

 東視協アンサンブルの結成は、1973年の春、前年の都内障害者文化祭に東視協(東京視力障害者の生活と権利を守る会)からの出し物として、楽器のできる数名が即席のアンサンブルを組んだ事がきっかけとなり、バンドを続けて行きたいと言う仲間7名ほどで始めました。結成当初は、楽器も持ち寄りだけでは足りず、借金をしてベースを購入し、小さな集まりで演奏してはカンパを募ったり、練習場も無くあちらこちらと楽器を持って移動したり、苦労も多かったが、みんな若くて楽しくやって今した。1976年の2月には、3周年記念リサイタルを中野文科センターで成功させ、その後80年代前半まではかなり盛んに活動しました。最近ではメンバーの入れ替わりや多忙などで以前のような活動ができにくくなっています。特にこのアンサンブルの目玉とも鳴っていたヴァイオリンの佐藤ひろし訓が正式メンバーからぬけた後は、旋律楽器の不足で悩み、出演の時、臨時に補強するなどしてしのいでいます。この2年ほど大きなステージも無く、建て直しが望まれています。これからメンバーに加わって、アンサンブルの再生に協力して下さる方は、ふるって連絡して下さい。現在のメンバーは、アコーディオン・フルート・ベース・ドラム・ピアノの5人が固定で、出演の際にシンセサイザーやヴァイオリンを補強していますが、どんな楽器でも一緒にできる物なら歓迎します。特に旋律楽器がほしいと思っています。レパートリーは、イージーリスニングのような物が主ですがこれも楽器編成やメンバーの希望によって変えて行く事もできると思います。ただ、これまで野経過もあり、「みんなで音を聴き合ってアンサンブルを作って行く」と言うやり方は、続けて行きたいと思います。


現在のレギュラーメンバー:
内田良治(フルート)
岡村晴朗(ドラム)
田中禎一(ピアノ)
内藤勉(ベース、責任者)
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最近読んだ本

2013-05-22 10:16:39 | 囲碁きちのつぶやき
加齢とともに眼も悪くなり、最近では、活字を読むのがとても大変になり、本をあまり読まなくなりました。
でも、この本だけは出版されるのと楽しみにし、著者にお願いして送ってもらいました。



著者は、共産党の新潟県上越市の市議会議員をしている橋爪法一さんです。橋爪さんとは一度も会ったことがありません。橋爪さんが、職場の後輩の同郷だと言うことで、HPを紹介せれ、以来、ネットの上でだけ活動状況などを見せてもらっています。

今回は「あねさかぶり」という題名で随筆集を出しました。



送られてきた本にはこんな言葉が添えられていました。
「春よ来い 早く来い」 雪深い新潟で春の訪れをまつ方々の気持ちがよく表れています。と同時に、暗い世相の中で、誰にも明るい未来が開けることを望む気持ちも表れているのでしょう。

でも、この本には、驚く程、政治的なことは書かれていません。ふるさと上越市の吉川のこと、親戚縁者のことなどごくありふれた日常がさりげなく描かれています。

そんなことが、発売すると上越市の本屋さんで売上げランキング2位になるほどの人気の原因なのでしょう。

全32篇の随筆が編纂されています。参考までに、冒頭の一篇を紹介します。


 声の便り

 愛知県に住む弟が母のところにテープと写真を送ってきました。昨年のお盆に里帰りをしなかったのに続いて、今年の正月にもふるさとに帰らず、母が「どこかへ行っていなきゃいいが」と心配していた、その弟からです。

 最初に、弟が送ってきた写真を見て思わず噴き出してしまいました。どこかの音楽ショーに参加した時のものなのでしょう、きらびやかな服と帽子を着用し、マイクを握って歌っている写真が数枚入っていました。本人は恰好いいと思って送ってきたのでしょうが、「フーテンの寅さん」のような雰囲気が漂っていました。

 テープには母へのメッセージ、弟が歌った曲、ラジオ番組に出演した時の録音が入っていました。  テープレコーダーのスイッチを入れた時、最初に聞こえてきたのは、「ランララララー、ランラララー……」です。そして数秒後、弟のメッセージが始まりました。

「こんちは、先日、母ちゃんの声を聴いて安心しました。正月には帰れなかったけど五月には家に帰って母ちゃんとゆっくり話をしたいと思います」
 静かな響く声はおそらく、自分が経営しているカラオケスナックで録音したものなのでしょう。

「いま流れている曲は母ちゃんの好きなラララ節です。そう、由紀さおりの『夜明けのスキャット』ですね。私は勉強嫌いで、スポーツと歌だけは大好きでした。いまも歌に関わる仕事をして司会などで頑張っています。きょうは母ちゃんと天国の親父に歌を二曲贈りますので、それを聴いて、元気を出して、風邪をひかないように頑張ってください」

 弟が歌った最初の曲は森進一の『おふくろさん』でした。「おふくろさんよ、おふくろさん……雨が降る日にゃ笠になり、おまえもいつかは世の中の……忘れはしない」と歌い、二番に入る間にまた語りが入っていました。

「男兄弟四人、たいへんだったと思います。母ちゃん、ありがとうございました。冬になると、父ちゃんは出稼ぎに出かけ、母ちゃんは家で雪かきをして家を守っていました。また、カンジキをはいてしいたけを採りに行き、それを売りに出かけていましたね。そのたいへんだったころのことを思い出すと心が痛みます。母ちゃんの分までご飯を食べてしまい、兄貴に怒られたこともあります。母ちゃんは釜の底のご飯を食べていましたね。ごめんなさい」

 母へのメッセージ、語りは二番を歌ったあとも続いていました。まあ、よくしゃべる、しゃべる。兄弟げんかをした時のことなどの思い出を立て板に水のごとく語り続けていました。

 語りの中で弟は、私のことにもふれていました。私が高校受験で合格した時のこと、私が小さな母を抱きあげ、天井にぶつかりそうになるくらい高く胴上げしたというのです。それを見て、弟はうれしくて泣いたと語っていました。私の記憶からはすっかり消えていたことですが、弟の記憶にはしっかりと残っていた、これは私にとってもうれしいことでした。

 長女によると、弟が送ってきた写真を見て、テープを聴いた母は喜んでいたといいます。じつは弟のことを心配している母を見て、「おふくろに心配かけちゃ駄目だねか」と私からそっと電話をしておいたのです。母への声の便りの最後の言葉は、「母ちゃん、ありがとう。では、また……」、ちょっと涙声でした。
  (2013年2月)


同時代社から、売価952円+税 で発売されています。興味をお持ちの方は取り寄せて読んでみてきださい。

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OB会、旅行 2

2013-05-21 10:50:30 | 旅行
泊まったのは白樺湖湖畔の 池の平ホテル でした。



温水プール、ボーリング場などの設備もあり、子どもから大人まで楽しめる大きなホテルでした。

朝、目が覚めると雨、白樺湖一周の散策を考えていましたが、雨のため取りやめました。

それでも出発の頃には雨も上がりました。



ホテルの前で記念写真。男ばかり20人の無粋なグループですが、それだけに気も置けない連中ばかりでした。ここでも、私が最年長です。

マイクロバスで、お土産もの屋さんに2軒より、諏訪インターから小淵沢まで中央高速道路を走る。立ち寄ったのが、北杜市小淵沢の身曽岐神社でした。
この辺りには何回も来ていますが、ここへは初めて立ち寄りました。



宗教心がないので、あまり関心がありませんが、由来書には「古神道 本宮」と書いてありました。敷地が広く、社殿が多く且つ大きかったです。
ここは、池の中へ突き出た能楽殿があることで有名なようです。この能楽殿では、8月に八ヶ岳薪能が行われ、大変賑わうそうです。
でも、この日の神殿は我々以外には人影も殆どなく、静寂そのもので、ゆっくりとお参りできました。

何回も通っている東沢大橋から野辺山、佐久と抜け、午後4時半、小雨が降る浦和へ帰着しました。来年、また元気に再会することを申し合わせて解散しました。

この会は、温泉につかり、一夜を共にして酒を酌み交わしながら旧交を温めるのが目的です。しかし、今回は立ち寄り先が私にはイマイアチ馴染めず、それが少々残念でした。



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