直峰城は新潟県上越市安塚区松崎にあります。
直峰城地図
国道403号線信号安塚から、左手の民家の壁に直峰城址という案内板がありこれに沿って進みます。
林道の所に棒標があります。
林道を600mくらい登り進めば駐車場に着きます。城内にある散策案内があります。
簡略図と歴史、南北朝時代に新田義貞の南朝方に味方した風間信濃守信昭の居城として伝えられ、その後、守護代長尾為景の家臣、吉田周防守基忠が城主であった。謙信時代には城主不明だが、1578年謙信が死去して御館の乱が勃発して、景勝側に着いた小日向隼人佐が城将となり、そして1580年(天正八年)戦功のあった樋口惣右衛門兼豊(兼続の父)が城主となったと記載されています。
風間信濃守信昭について記載されています。
駐車場から登り道は二つあり、まず西の登り道から進みました。
振り返って見ますと堀切がよくわかります。
7分も登れば
上杉藤五郎房友という人物の屋敷
三段の段差を登って
この山道脇に池があります。
三段の段差を登り切り
堀田隼人正顕の屋敷、その奥に
家老 宅馬若狭守屋敷
堀切、ここから大きく迂回して東に向かうと
長い曲輪になり、これを北に登り進めば蔵屋敷となります。
駐車場Pは⑥と⑦との間にあります。この駐車場から左に歩き、曲輪⑤を目指しています。縄張り図は「図説 中世の越後」より
直峰城地図
国道403号線信号安塚から、左手の民家の壁に直峰城址という案内板がありこれに沿って進みます。
林道の所に棒標があります。
林道を600mくらい登り進めば駐車場に着きます。城内にある散策案内があります。
簡略図と歴史、南北朝時代に新田義貞の南朝方に味方した風間信濃守信昭の居城として伝えられ、その後、守護代長尾為景の家臣、吉田周防守基忠が城主であった。謙信時代には城主不明だが、1578年謙信が死去して御館の乱が勃発して、景勝側に着いた小日向隼人佐が城将となり、そして1580年(天正八年)戦功のあった樋口惣右衛門兼豊(兼続の父)が城主となったと記載されています。
風間信濃守信昭について記載されています。
駐車場から登り道は二つあり、まず西の登り道から進みました。
振り返って見ますと堀切がよくわかります。
7分も登れば
上杉藤五郎房友という人物の屋敷
三段の段差を登って
この山道脇に池があります。
三段の段差を登り切り
堀田隼人正顕の屋敷、その奥に
家老 宅馬若狭守屋敷
堀切、ここから大きく迂回して東に向かうと
長い曲輪になり、これを北に登り進めば蔵屋敷となります。
駐車場Pは⑥と⑦との間にあります。この駐車場から左に歩き、曲輪⑤を目指しています。縄張り図は「図説 中世の越後」より