山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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直峰城②

2016-10-06 10:19:50 | 山城ー越後
MAG2NEWSというメールサービスがあります。本願寺の情報
元々東西に分かれる前、本願寺は第8世蓮如(れんにょ)上人の時代に一気に教線を拡充して栄えました。蓮如上人は山科に本地を構えました。しかし、第10世証如(しょうにょ)上人の時、細川氏・六角氏や日蓮宗の攻撃を受け、山科本願寺は焼け落ちます。その後は大坂に本願寺を再興しました(石山本願寺)。
第11世顕如(けんにょ)上人の時、織田信長が退去を要求しました。しかし、それに反発した本願寺との間に石山合戦が勃発。11年に及ぶ信長を最も苦しめた戦が続くものの、最後は本願寺が屈する形で和解しています。
本願寺は本能寺の変で信長が没した後も豊臣秀吉にその力を押さえ込まれました。その後大阪の地を点々とするものの教団は徹底抗戦を主張していた顕如の長男教如(きょうにょ)の抗戦派と穏健派が対立しました。
顕如は穏健派が推す三男准如(じゅんにょ)に第12世を継がせます(教如は隠居)。それにより秀吉に支持を受け、現在の地に寺領を与えられることになります。
天下が徳川に変わると家康は教如に本願寺の東側の土地を与え、ここに西本願寺と東本願寺という構図が出来上がります。これは多分に家康の本願寺勢力を分断する為に東西に分けた政略と考えられています。>

東西の本願寺にはこんな歴史があったのです

直峰城 蔵屋敷へ

長い曲輪を東に進み

それから北へ登ってゆきますと

途中、左手に二の丸

二の丸の西奥に回ると

この城壁の上が蔵屋敷

虎口、この周辺にも曲輪があるようですが薮です。戻って蔵屋敷に

二の丸から尾根を目指します。正面が本丸周囲の城壁です。

振り返ると、二の丸は右手下に見えます。

蔵屋敷虎口

蔵屋敷

蔵屋敷から東に一段高く曲輪があり本丸北下曲輪とします。
次回 本丸へ

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