山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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清水山城②

2017-11-23 18:35:04 | 滋賀県の山城
本丸から北尾根へ

大堀切から二の丸を見下ろしています。

大堀切から北尾根を登ります。

登ってきた北尾根を見下ろすと腰曲輪がよくわかります。

本丸

南虎口

南側気色

本丸を東から見ています。

本丸にはこの建物があったとのこと

北尾根堀切

北曲輪南虎口

北曲輪、奥に土塁(仮に)

土塁の登って北曲輪を見下ろしています。

主郭から搦め手に向かっています。

清水山城について
 清水山城館跡は、琵琶湖西岸の高島市新旭町熊野本・安井 川にあります。13世紀頃から高島地域を支配したのが、高 島七頭と称される近江源氏佐々木氏の一族で、その惣領家、 佐々木越中氏の居城が清水山城です。『信長公記』には、元 亀4年(1573)に織田信長が浅井朝倉連合軍との攻防で高 島郡の木戸城と田中城を攻撃したと記されていて、この木戸 城に想定されているのが清水山城跡です。  饗庭野台地の南東部にあるこの城は、主郭を中心に三方向 に曲輪を配置する放射状連郭式の山城で、山麓には家臣団等 の屋敷地も残っています。保存状態が良く、我が国の中世の 在地豪族の城館を考える上で重要であることから、平成16 年に国の史跡に指定されました
  清水山城は、地元で、「佐々木城」や「城のテンシ・テンシ ン」などと呼ばれています。 標高210mの主郭からは、室町時代に越中氏の領地であっ た高島本荘・新荘を含めた安曇川流域一帯が望めます。  城は放射状連郭式と呼ばれる構造で、主郭を中心に、南西・ 南東・北東にのびる尾根上に曲輪が配置されています。そ の規模や眺望から、佐々木越 中氏だけでなく西佐々木一族 の詰城として、16世紀後半に 対織田信長戦への緊張が高ま る中で改修された可能性が指 摘されています。 滋賀県公式ホームページより