山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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本山城②

2017-09-13 21:05:32 | 山城ー信州
映画 関ヶ原


家康 役所広司 三成 岡田准一 小早川秀秋 東出昌大 島左近 平岳大という主なキャストで作られ、原作は司馬遼太郎
ほぼ原作通りに描かれています。有村架純の女忍をのぞいてですが。


大垣城の評議で島津氏の夜襲作戦を、正攻法でないと退けた三成は関ヶ原で正々堂々と戦うことを宣言し、移動を開始する。この情報を得た家康は関ヶ原へと急進する。

合戦場面は、今までの合戦映画の中で秀逸でした。

互角に戦っていた東西の軍は小早川秀秋の裏切りで一挙に東軍の勝利へ導く、映画では秀秋は家臣に引きずられていったと描いています。

有村架純演じる女忍は、いただけませんが、概ね面白く鑑賞できました。

情報
新潟県立歴史博物館では、9月16日(土)から秋季企画展「川中島の戦い―上杉謙信と武田信玄―」を開催します。
この企画展を盛りあげるため、開催日の9月16日(土)に、越後上越「上杉おもてなし武将隊」がやってきて、演武(パフォーマンス)を行います。
この機会をお見逃しなく!!

◆期日  平成29年9月16日(土)

◆時間  演武① 11:30~12:00 演武② 14:00~14:30

◆会場  新潟県立歴史博物館 エントランスホール

◆問い合わせ先
  新潟県立歴史博物館 経営企画課



本山城


格段の城壁

曲輪4

曲輪2の城壁

曲輪3

本丸城壁

曲輪2

本丸を東から

本丸を西から、一段高く段差があります。

本丸西下腰曲輪

腰曲輪から見上げています。

本丸東下、堀切、この先細尾根で堀切が二つあったようです。

次回 塩尻市 本城

木曽義昌の一族本山民部とあり、木曽氏は塩尻方面まで支配下に置いていたようです。
天文9年(1540年)、 木曾義康の嫡子として誕生した。当初は小笠原氏や村上氏らと共に甲斐の武田信玄の信濃侵攻に対抗したが、弘治元年(1555年)に更なる侵攻を受けて武田家に降伏した。木曾氏が隣接する美濃・飛騨との国境地帯を押さえていたため、計略家の信玄は、義昌に三女[3]の真理姫を娶らせ、武田家の親族衆として木曽谷を安堵した。しかし実際には主だった家臣や親族を甲府に人質として置き、木曽の治世はすべて武田家の監視の元で行われたのであって、甲斐国の属国化を余儀なくされた。これにより木曾谷は、武田家の美濃や飛騨への侵攻における最前線基地となった。
信玄の死後、高天神城の戦いに敗北して凋落を見せはじめた武田家の行く末に不安を抱くと共に、義兄の武田勝頼による新府城造営の賦役増大と重税に不満を募らせた義昌は、天正9年(1581年)8月26日、織田信忠から武田攻めの準備に関する書を送られている[4]。天正10年(1582年)、遠山友忠を仲介役として織田信長と盟約を結んで勝頼に対し反旗を翻し、甲州征伐のきっかけを作った。勝頼は武田信豊を将とする討伐軍を木曽谷に向けて派遣するが、義昌は地の利を得た戦術と織田信忠の援軍を得て鳥居峠でこれを撃退する。しかし、武田軍が新府城を出発する前の2月2日、人質として送られていた70歳の母、13歳の嫡男・千太郎、17歳の長女・岩姫が新府城で処刑された。 ウィキペディアより