山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

新潟、山梨、長野、群馬、栃木、埼玉県などの埋もれた城跡を探索しております。カテゴリ「城郭一覧」で簡単にアクセス。
 

北朝鮮を存続させたダメな指揮官

2017-09-03 20:46:40 | 日記
「北朝鮮」を存続させた2人のダメ指揮官

プレジデントオンライン
宇山 卓栄
9 時間前
シェア





水害から6年、遺体発見で捜索再開へ

© PRESIDENT Online 開戦まもない1950年7月、朝鮮戦争の前線に送り込まれる米陸軍の兵士。(写真=時事通信フォト)
1950年に勃発した朝鮮戦争で、国連軍は一時北朝鮮を中朝国境まで追い詰めている。その後、中国の介入によって国連軍は押し戻され、現在の38度線に国境が引かれた。その結果、韓国と北朝鮮は現在も休戦状態にある。アメリカのマッカーサー、韓国の李承晩。2人の「ダメ指揮官」の“呪い”は、現在の朝鮮半島にも影を落としている――。
闇に葬られたある事件
朝鮮戦争が勃発して間もない1950年7月11日、まだアメリカの占領下にあった日本で、忌まわしい事件が発生しました。福岡県小倉市(当時。現在は北九州市の一部)の城野基地に一時駐屯していた米陸軍第25歩兵師団第24歩兵連隊の数千名の兵士のうち、約200名(『福岡県警史 昭和前編』による)が夜間に武装して基地を脱走。周辺の民家に侵入し、略奪や婦女暴行を働いたのです。
当時朝鮮半島では、アメリカ軍が劣勢に追い込まれていました。事件を起こした兵士たちは、日をおかず危険な前線に送られる予定であり、死を覚悟していたとされます。脱走兵たちはほどなく米軍の手で鎮圧され、部隊に連れ戻されましたが、多数の女性が被害に会いました。当時の日本は占領下にあったため、ほとんど何の対応もできず、報道もされませんでした。被害の詳細はわからず、事件は闇に葬られたままです。ただ、『福岡県警史 昭和前編』には、42~43歳の主婦が夫の目の前で兵士たちに集団暴行されたことが記されており、松本清張はこの夫婦をモデルに小説『黒地の絵』を書いています。
この部隊はその後、小倉から朝鮮半島に派遣されて激戦地を転戦し、大きな犠牲を出すことになります。
マッカーサーとトルーマンの対立
朝鮮戦争で米韓側の指揮をとっていた連合軍総司令官ダグラス・マッカーサーは、何の根拠もなく「中国の半島介入はない」と大見得を切っていました。「ない」という誤った前提で作戦が展開されたため、中国「義勇軍」の介入によってアメリカ軍をはじめとする国連軍は大打撃を受け、敗走しました。そして、再び、ソウルを奪われました。2カ月後、前線の指揮を任されたマシュー・リッジウェイ中将により、国連軍はソウルの再奪還に成功しますが、戦線は膠着(こうちゃく)します。
マッカーサーは自分の大失態をごまかすため、「中国東北部に原爆を落とせ」と主張します。もちろん、そんなことをすれば中国やソ連との全面戦争となるため、ハリー・トルーマン大統領らワシントン中枢は誰一人、賛同しません。
マッカーサーはトルーマン大統領が作戦の障害となっていると批判。トルーマンは激怒し、「上級機関の了承を得て、意見表明をするように」と指示しましたが、マッカーサーはこの指示を無視。「中国をたたきのめす」と勝手に声明を出し、中国との全面戦争を主張しています。
中国が介入したことで、トルーマン大統領は停戦の方向へかじを切ります。マッカーサーはこれを非難し、両者の確執はいっそう高まります。さらにマッカーサーは、とんでもない主張をはじめます。中国「義勇軍」の補給ルートになっている中国東北部に50個もの原爆を投下し、さらに中国国境に放射性コバルトを散布して、中国軍の侵入を防ごうというのです。
トルーマン大統領は温厚な調整型の政治家でしたが、そのトルーマンもマッカーサーには我慢がなりませんでした。「なぜ、ルーズヴェルト(前任の大統領)はあのうぬぼれ屋を登用したんだ?」と、トルーマンは言っています。
イギリスなどの同盟国も、マッカーサーの資質にはっきりと疑問を呈しています。トルーマンは国務長官ディーン・アティソン、国防長官ジョージ・マーシャルとも相談していますが、彼らもまた「マッカーサーはふさわしくない」と答えています。トルーマンはついにマッカーサーの解任を決意します。
1951年4月19日、マッカーサーはワシントンで退任演説を行い、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という有名な言葉を発しています。最後の最後まで、パフォーマンスづくしでした。 つづく


松本清張の小説「黒地の絵」は読んだことがありますが、事実とは驚きました。いくら占領下でも泣き寝入りをしていたからこそ、現在でも沖縄で同様な事件がいまだに起きているのではないでしょうか。アメリカに押し付けられた現憲法ではなく自主憲法の制定を目指すべきだと安倍総理はじめ、自民党諸君はわめいているが、日米地位協定など植民地的な屈辱的条約に対し何も言えない国会議員が偉そうなことを言うなと言いたい

笹沢城②

2017-09-03 19:59:53 | 山城ー信州
曲輪3から西支尾根へ

曲輪3から西支尾根へ

北尾根との連絡通路

西支尾根第一腰曲輪

第一腰曲輪の北下帯曲輪

第二腰曲輪

第三腰曲輪・第四腰曲輪

第四腰曲輪、この先は谷になっています。

左手下が曲輪3ですが、この曲輪から西支尾根が伸びています。宮坂氏は未踏さのようです。縄張り図は「信濃の山城と館4」

西支尾根の連絡通路から北尾根に渡ります。(デジカメの調子が悪く、仕方なくスマホで撮っています。)

壕道が尾根に沿って切られ

登りつめると

尾根の西側を抉ったような曲輪があり

その先に本丸

次回 本丸から二の丸へ