山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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城ノ入城④

2017-04-17 20:35:50 | 山城ー信州
信更町田野口に勢力を持っていた和田城主、田口越前守は上尾城主の配下であった。「信州の山城と館」宮坂氏著

上尾城主 平林氏について

平林正直【ひらばやしまさなお(15??~15??)】

上水内郡上尾城主。平林正直(同名)の男。嫡男平林正頼が幼少の為、弟平林直長に家督を譲るが、平林正頼が元服しても家督を譲らず、お家騒動になった。平林直長が破れ、平林正頼が家督を相続した。

平林正家【ひらばやしまさいえ(15??~15??)】

平林正直の男。武田家臣。武田晴信の「北信濃侵攻」が始まると、平林正家は武田晴信に属し、牧野原城主馬場信春に従い、牧野島城の副将となった。1582年、織田信長勢によって上尾城は攻められ、いったん上尾城に退いたが、再び奪い返し、その後は長尾景勝に 属し、会津への転封により白河小峯城へ移った。

平林正恒【ひらばやしまさつね(1550~1622)】

平林正家の男。1582年、織田信長、松平元康連合軍により「天目山の戦い」で武田勝頼が討死すると越後国に落ち延び長尾景勝に仕えて250石を領した。直江兼続に算勘を腕を買われ1,000石を領した。長尾景勝が会津若松城に転封になるとそれに従った。1598年、白河小峰城代に任じれた。1601年、福島城二の丸に入り、伊達郡、信夫両郡の奉行となった。1608年、春日元忠が病没すると、その後を継いで郡代と奉行を兼ねた執政となり、直江兼続の下で藩政諸般を統括した。 「戦国武将録より引用


上尾城地図
地図にある溜池の東300m付近にある更府小の北東の山です。

城ノ入城 本丸へ
本丸北曲輪

本丸北曲輪を横から見ています。

本丸

東側に窪地があり、狼煙台跡?

北東に川中島があり、おそらく狼煙台跡と思われます。
本丸東側は一段低くなっています。

本丸南下、岩を利用した虎口

本丸南下、二重堀切

連続して三本目の堀切

曲輪5

前回記事の宮坂氏の縄張り図ではここで終っています。しかし、新しく発見しましたが、この先詰め丸がありますが次回とします。