山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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三ノ倉城

2017-04-03 19:22:16 | 山城ー上州
三ノ倉城は高崎市(旧倉渕村)三ノ倉の国道406号線沿いの全透院という寺の裏山にあります。

三ノ倉城地図

このブログでは多くの方の訪問もあり、他県の方は御存じない山城もあることと思いますので、縄張りのみでなく史料もできるだけ集めての報告を心がけていきます。

国道406号線沿いに、大きな看板で全透院とあります。寺の裏山が城山です。

案内板、木部新九郎が1489年(室町時代)に開山したとのこと、木部氏は高崎の山名城主でもあり、ここにも所領を持っていたことになります。

木部氏について、以下の武将は木部新九郎の後胤か、一族でしょう。
木部範虎【きべのりとら(15??~1582)】
木部城主。官途は駿河守。室は箕輪城主長野業政の娘。武田晴信の上野侵攻に長野業政とともに抵抗した。1561年、長野業政が病死し箕輪城が武田勢に攻略されると、木部氏範は武田晴信に降伏しました。その後、木部氏範は武田勢に属して各地に転戦した。1582年、織田、松平連合軍に追われた武田勝頼に従い「天目山の戦い」で討死した。

木部高成【きべたかなり(15??~15??)】
木部氏範の男。木部高成は武田家滅亡後、上野国に侵攻した織田信長の滝川一益に出仕しました。1582年「本能寺の変」で織田信長が横死すると上野国に侵攻した北条氏政に属した。1590年、羽柴秀吉の「小田原の役」では、後北条家に従い小田原城に入城した。北条氏政、北条氏直父子が降伏し、高野山に流された北条氏直に随行した。木部家の家督は木部高成の弟木部直高が相続し、関東に入封した松平家に仕えた。「戦国武将録」より


全透院本堂、家紋は武田菱

寺の東の倉より畑を進み、民家の左手から登ってゆきます。害獣柵あり

これを登って林に進みます。

一段目の帯曲輪

二段目の帯曲輪

俯瞰図は「山城探訪 第十九集」上野編