山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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天狗山の砦

2017-04-07 20:54:17 | 山城ー上州
注目記事
一夜の城:織田の高遠城攻め 一夜で築けず
「一夜の城」は一夜では建たなかった--。長野県伊那市教育委員会は7日、戦国時代の1582年(天正10年)に織田信長の長男信忠による武田軍の高遠城攻めで一夜にして築かれ、陣を構えたと伝承がある「一夜の城」の発掘調査で、城の入り口にあたる虎口(こぐち)側で巨大な堀が見つかったと発表した。四方を堀で囲まれていたとし、一夜で築かれた城ではなかった可能性が強いという。
 一夜の城は「織田軍の兵士がこの辺りの農民の道具を借りて一晩のうちに築いた城」と伝えられている。調査した市教委文化振興課の濱慎一学芸員(40)は「(信長一代記の)『信長公記』や伝承から、この地に織田軍が陣を構えたのは否定できない」と語る。
 しかし、市教委の2012年の調査で城の50メートル四方の土塁の外側、3面で堀の跡を確認。元はV字に掘られていた堀を幅広に改修した痕跡も見つかった。さらに、織田軍が陣を張った150年前の陶磁器も出土。「土塁も高く防御力の高い、地元有力者の城館を接収して使ったのでは」との説が浮上していた。
 今回は土塁の東面を調べ、堀を拡幅した跡のある堀も2カ所で見つかった。いずれも幅約8.5メートル、深さ2.7メートルで、高遠城とは直線で約3キロと近距離にあり、濱学芸員は「高遠城攻めのための城であれば(守備力を上げる)堀を広げることはしない」と指摘する。
 市教委は今後、織田軍がここに陣を置いた証拠を探す。濱学芸員は「土鍋など三河地方特有の遺物などが出土すれば」と話した。【宮坂一則】
ことば【織田軍の高遠城攻め】
 1582年(天正10年)3月、織田信長の長男信忠率いる5万人の織田軍が、武田信玄の五男、仁科五郎盛信の守る高遠城を攻撃。盛信は最後まで抗戦、討ち死にした。毎日新聞より




前日に紹介した大明神山の砦と天狗山の砦は指呼の距離にあります。権田中央小の北東にある権田城と併せて登るようにすることをお勧めします。体力あればの話ですが。
天狗山の砦地図
地図にありますように国道406号線東善寺の前の道地方道33号線を進み

小栗上野介の縁の寺、東善寺

反対側の地方道33号線、奥に見えるのが、大明神山の砦

浅間神社の裏山が大明神山の砦

右手が浅間神社、まっすぐ進みますと天狗山に向かいます。

角落山ウォーキングコースがあります。

角落山案内板の西30mの農道を登ります。

畦道を進み、右手の北尾根を登ってゆきます。(害獣柵あり、さらに猪除のトタンの柵もあります。)

北尾根、結構急です。

100mの平地を進むと、奥に砦があります。ここも曲輪として使用したものと思います。

次回 天狗山の砦を歩きます。