HYAKUSHOU日記

毎日の作業と暮らしといろいろの出来事

CD

2015-01-08 19:48:03 | Weblog
 写真は家内のお土産であるところの岡林氏のCDでござる。
 拙者、機会があるたびに探していたのでござるが、見つからないのでござった。
 発売禁止の多い御仁でござるからして、CDを出さなくなったのか等と思っていたところでござった。

 家内が東京でのライブに行った際、何とかいう所で探して買ってきてくれたのでござる。
 最初の曲が「山谷ブルース」でござって、歌いだしたら家内に「父ちゃん歌てる!」と言われてしまったのでござる。
 歌えるのでござるが、上手い下手は別問題でござる。

 他の歌も聴いたのでござるが、聴き進むにつれ、愕然が多くなって来たのでござるな。
 それに伴って、拙者、ちょっとずつ寂しくなってくるとともに至極当然という気持ちもわいてきたのでござる。
 そこには、40年余という時間が横たわっていて、それが私を変えていたのでござろう。

 されど、そこで歌われている中身は拙者が若かりし時にはそのとおりと信じていたのでござるからして。
 そして、そこで歌われていることが今は変化して良くなっているのかというと、決してそうではなく、むしろ悪くなっていることも多いのでござる。
 外国の方からして、「そのような事に暴動が起こらない日本が不思議だ」と言わしめるほど、でござる

 当時、「自己否定」という言葉が言われていて、拙者も「自己否定しなきゃいかんのだ」とよく言われており申したのでござる。
 拙者頭が人より劣っており申したので、その「自己否定」なるものが十分に理解できていなかったのでござるな。
 「自己否定したら、おりゃー滓も残らんのちゃうか?」などと思ったのでござるな。

 「自己否定」「自己変革」等と哲学的なことを言われても、わからん拙者でござった。
 それよりも、実家の貧乏のほうが何とかなる世の中にならんかと思っている次第でござった。
 しかし、農家ということで「プチブルじゃねーか」などと言われていたようでござり、そのような事も聞き申したのでござる。

 今から思うに、もっと自己否定ではなく自分の気持ち・考え・心を大事にすべきでなかったかと思うところでござる。
 されど、その頃はそれを認められる状況ではない身の回りなのでござっただろう。
 ある意味で、ちょっと怖さを感じる世界でもござる。

 岡林の自由を求める心は、おそらく「自己否定」などというものではないだろうと存ずる。
 どこからも束縛や規制を受けないものと思うのでござるが、それとて、今では難しい自由であろうと思うところでござる。
 ただただ、今は自分の小ささに感じ入っているところでござるからして、小さな幸せ(決して自由ではない)を感じられるのが嬉しいところでござる。

 なんてわけのわからんことをいって、さらば!