HYAKUSHOU日記

毎日の作業と暮らしといろいろの出来事

第五回! おわり

2013-03-18 19:22:37 | Weblog
 昨日、第5回歓桜会が終わりましたのでござる。
 昨年末からいろいろとお世話をいただきご厄介をおかけいたしました皆様に、このような形でござりまするがお礼を申し上げる次第でござりまする。
 そしてお越しいただいた皆様、お忙しく、又遠いところをお越しいただきましたこと、本当にありがたくお礼申し上げる次第でござりまする。

 昨年に続いて、今年も一円氏との組み合わせという事で開催いたしましたのでござる。
 昨年の経験から、決して「水と油」ではなく「神と仏」というと罰が当たりそうでござりまするが、そのようなイメージで出来たかと存ずるところでござる。
 陶器や木彫りの山の神や精霊などを表現した作品と、桜という組み合わせでござるからして、表現が上手くできないのでござるな。

 これは、拙者の何の変化も無い植え込んだ桜に対し、一円氏の作品が変化し進化しているものかと存ずるのでござる。
 最初に一円氏の作品を見たときには、「このエネルギー、この憤り、爆発のような表情はなんだ!」と思ったものでござり、状況によっては恐怖さえ覚え、利用者の中には泣き出す子もいたのでござる。
 それが偽らざる一円氏のはじめ頃の作品なのでござった。

 今は怒りというものではなく、それらを抱きこみ融和させた山々の精霊や神々の片鱗を感じるのでござる。
 それは、前述と同じような恐怖感を持つものの、それは恐怖ではなく畏怖に近いかと存ずるところでござる。
 言い方を変えると、神々に近くなったのではなく、自然の表情を形に表現しかけてきたのかも知れぬのでござる。

 そう考えると、進化も変化も無い拙者の鉢植えを包み込んで溶け合ったのが、今回の組み合わせた展示ではなかったかと存ずるのでござる。
 「一円氏の作品に拙者の桜が助けられたの図」となるのでござるな。
 一部で言われた「拙者のセンス」とか言うものでないことがわかっていただけたかと存ずるのでござる。

 一円氏が会場へ来た時に「こんな上品な作品作った覚えが無いけどな」と言ったものでござったが、決して意識的なものではなく、作品に表れているのがそれなのでござるな。
 このようなことを考えたり、進化を証明できたりしているような感じがあると、拙者はなんとなく嬉しくなるのでござるな。
 この異質なふたつが、この会場で一体化したかのように静かに並んでいて、全く違和感が無いどころか、どちらも欠落でき無い、外せないもののように存在している事が嬉しいものでござった。

 というところで、明日の心でサラバ!