喜寿をむかえた男の遊々生活!

喜寿を迎えた老人の日々を日記に・・・

孫からの残暑見舞い。

2018-08-22 09:06:50 | 日記
 埼玉に住んでいる二人の孫から例年同様 残暑見舞いのハガキを送ってきました。
今年 3月から4月の初めにかけて埼玉へ行き、孫と一緒にディズニーランドへも
行きましたが、出会うたびに成長していく孫に 安心と 自分たちが歳をとっていく
事を痛感します。
 孫たち二人は 東京の昭島生まれ、娘婿は大阪の京橋で育ち、娘が大阪の学校へ
行っていたとき 知り合い 結婚したのですが、 大阪と聞き、私たち夫婦は
”大阪なら近いし”と 気にも留めなかったのですが、 娘からは公務員を目指して
いると聞いていましたが、てっきり近畿圏でと疑いもしませんでした。

 ところが、何と娘婿は東京の公務員試験を受け、単身東京の消防署へ勤務する
事になったのでした。 やがて結婚し、昭島の消防署の寮に住むことになり、
初産することになったのですが、生まれる前から入院し、私の妻は 1カ月間
昭島へ行っていました。 やがて初孫を出産。ところが、お産の後も 娘は体調が
すぐれず、再度 妻が昭島へ行きました。 私は そのため一人放ったらかしに
されたものです。
 時は丁度 自民党から民主党に政権が替わった年で、その時の政策で高速道路が
1000円ぽっきりで端から端まで行けるという事でした。
私も 妻や娘の様子を見るのに 東京へ行ったものでした。新幹線で往復すれば
3万円もかかるところを 往復1万円もあれば行けました。

 その後も 娘宅へは何度行ったことでしょう。 初孫なので可愛くて仕方がない。
孫も歩けるようになり 片言を喋るようになり、行くと”おじいちゃん本を読んで”と
持ってきて それには終いに閉口したものでした。
 やがて娘は第2子を身籠りましたが、その頃、昭島の消防署寮には規定があった
ようで、寮住まいの何年後かには自力でマイホームを持つことを義務つけられて
いたようでした。 私も当時 宅建業をしていたので、東京都圏内の土地をくまなく
探しましたが、沿線まわりだと坪150万、300万とする。 それも歪な形を
した土地ばかり、価格的にも手に届く土地は あひる野市だとか圏内から大きく外れ
た所ばかり、婿は都心近辺を諦め、東京に勤務するのにアクセスのよい場所を選んだ
のが埼玉県坂戸市でした。
そこは新興住宅地で、1000区画ほど有ろうかと思われる広大な区画整理地でした。
娘夫婦が ここで新居を持った時、私たち夫婦も行きましたが、当時は家が疎ら
だったのが、数年後には 所狭しとばかりに家が立ち並んでいました。

小学校へ入学したときの初孫

2番目の孫が保育園に入園した時の写真。

自宅での姉弟。

 私たちが住む地域は 最近では子供数が減り、30戸ほどの隣保内で、小学校へ
通う子供が3人か4人。 幼児は?となると、2~3人。絶滅危惧種になりましたが
ここ埼玉は子供たちが大勢いて賑わっています。国際色も豊かで 運動会となると
白人から黒人、東洋人と 多種多彩です。
でも少し離れた 北坂戸市などの学校は、子供が少ないせいか 駅前の学校は
閉鎖しているという ちぐはぐさを感じました。


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