喜寿をむかえた男の遊々生活!

喜寿を迎えた老人の日々を日記に・・・

この1週間の出来事、そして予定通り行われた運動会

2017-09-24 15:07:35 | 日記
 先週を振り返ってみると、日曜日は野中町のグラウンドへ行き、グラウンド
ゴルフの練習。夕方には大型の台風18号が近畿地方を、と 言う事であったが
大事に至らずヤレヤレ、

 月曜日は”敬老の日”とやらの祭日だが、 75歳に満たない私は一応老人だが
何等 関係ない。
テレビのモーニングショーを見ていると、東京六本木のとあるレストランが この
土日祭日3日間を 特別に認知症の老人を使い 「間違いの多いレストラン」だっ
たかの看板を掲げ、オープンしているのだ。予約制にしており、既に利用客は
満員だったとの事。 当然 料理の品数は3品程度にしてABCとしており、認知症の
老女が客から注文を受ける。 ところが出来上がった料理を別の人のテーブルに
置く始末。 でも客も心得ていて笑いで受け流していた。
このレストランは好評だったので 店主は近い内にまた行ってみたいとの感想だったと
聞くし ヨーロッパの人にも知られ 参考にしたいとの事。
それにしても 間違えて出された料理を見て客は笑い、オーダーを受けた認知症老人も
叱られることなく、働くことに生き甲斐を感じて 動き回っている姿を見て この人
たち お客の 大らかさに 感動を覚えました。日本って本当に良い国だと再度認識。

 火曜日は午前中裏山の草が伸びているので 草刈りを行い。 12時丁度に昼食を
摂り学校へ入り、先週に引き続きバックネット廻りでの草引き。
運動場では 小学生低学年による リレーなどを行っている。 見ていては仕事に
ならず 草引き続行。 そうしている中、教頭先生が来て「椅子の足にテニス
ボールを付けているが 外れて居たり、痛みの酷いのが云々。今日中には古い
テニスボールが入って来る予定なので 切り込みを入れて欲しい云々」との事。

 水曜日 午前中は腰が痛いので 腰にサロンパスを貼り、横になる。
午後に学校へ入ると、職員室に沢山のテニスボールが・・・
教頭先生も 何個か切り込みを入れてみたと言うので その道具 大型カッターや
ハサミ、それにボールを固定する段ボールの筒を預かり、物置小屋にて早速
作業にかかる。 ”テニスボールに切り込みを入れるくらい簡単な事”と内心
高を括っていたが、難しいし、力が要る。
鋭利なカッターナイフの刃だが、テニスボールになかなか切っ先がボールに入らない。
まぁしかし 2個3個と行っているうちに コツを掴み、90個のテニスボール全てに
切り込みを入れる。
掌に力を加えるので終えると掌 手首が痛む。小雨が降り出してきたので早めに
校旗を下し、校内を見回りして帰宅。

 木曜日は 野中町公会堂で 老人会の”活き活きサロン”がある日で 妻と二人で
9時半頃行く事に、今日は老人に多い 誤嚥を防ぐため 大きく口を開けての発生
練習。講師は50代くらいの太った女性( ;∀;)、だが見栄えとは裏腹に 綺麗な
声を出される。 最後に講師の引く 電子ピアノに合わせて”荒城の月”と
”金色夜叉””月の砂漠”などの歌を唄う。
これで終わりか?と思い、先生の電子ピアノを車に乗せるのを手伝い 再度公会堂へ
入ると 安全協会員と警察署員が一人来ていて、秋の安全週間に入ったからか 老人の
事故が多発しているとの事で 啓発をする意味を兼ねての プロジェクターによる
撮影を行っていた。 その後は 署員や協会員が 「ジャンケンで私が出すものに
勝ってください」。当然 グーを出せばパー、パーを出せばチョキと問題なく勝てる
ところが今度は反対に「私の出すジャンケンに負けてください」と言われると 勝つ
事ばかりを考えないジャンケンだから、思うように行かない。
そして その後には「私が一と言ったら手を叩いてください。二と言ったら手を
叩いてください。三と言ったら手を叩かないでください」。まぁこれなどは大体の
人が出来ていたが、一人か二人 必ず叩かないところでも手を叩く。
この人は歳による難聴の人、K氏だと言う事がよく解る。 まぁ警察官も苦笑い。
でもこのK氏は未だ 運転をし、 そして老人なのに スピードも出す。
 さて昼前に終わり、学校へ入る、すると”土曜日は雨で流れるかもしれない”と
思っていた長期天気予報だったが、土曜日は0%で運動会は出来るとの事。
一昨日に引き続き 運動場のバックネット廻りの草引きを続行。 運動場では高学年
による 組体操を行っていた。

 金曜日は先日裏山の草刈りが残っていたので 残りを済ませ、昼食を摂り学校へ
今日はテント張りなどを手伝う事になっており、手伝う事に、先生方全員、それに
子供たちも手伝ってくれるので 思いのほか 早く済んだようで、校門を入って
教室玄関の芝生が伸びているのが目立つので 草刈り機を物置から出して 先日
買っておいた新しい歯を付け替え、玄関中央から西へ3区画刈りだす。
しかし一番西側 百葉箱のところを刈りだす頃に シビシビ降っていた小雨が 
一頻り 降り出す。帰宅してから後も 雨が降っていたので 妻が「本当に明日
運動会できるの?」と不審そうだった。

 土曜日は朝7時に朝食を摂り、学校へ8時前に入る。 腰に預かっていた”会場
整理”と書かれたリボンを付け、8時過ぎには校門前に、 PTAの役員さんも手伝って
くれて助かった。 でも有無も言わさず入って来る女性も居て これにはタジタジ
9時半に校門を離れ 運動会会場を見て回る。
日野地区なら知り合いが多い筈だが、案外と知った人が少なかった印象がある。
野中町の老人会長が来ていたので しばし雑談をしてり、小坂町のO氏に出会ったのと
以前 同会社に勤めていたA氏に出会ったくらい、A氏いわく「内の兄貴も今重春小の
用務員をしている」と言う。

大玉転がしの風景

 本格的に子供たちの遊戯を間近で見るのは今日が初めて、何時も草引きをしていて
音楽を聴いているだけで、ときおり腰が痛むので立ち上がってみる程度。
先生の教え方が上手なのか 子供たちも素直に行っていたのを思い出す。特に どの
女性の先生か分からなかったが、子供たちに”今の上手だったよ。最高”などと
褒めているのが印象的だった。 昔だったら 少し間違えようものなら 名前を
呼んで叱責していたように記憶しているが、 間違えを起こしても 大きく怒らず
出来た事を褒めてやる この教育法は素晴らしいと思った次第。
スパルタ教育も良い面があるかもしれない。だが、この手法は心の強い子に通じても
弱い子には通じない。 戦前戦後を問わず 日本人の教育法は どちらかと言えば
出来ない子供を叱責すると言う事が多かったように思う。
そのような風潮が特に酷かった戦中でも 異色の軍人が居た事を父から聞いた事が
ある。その方は 連合艦隊の司令長官であった山本五十六元帥だ。真珠湾攻撃を指揮した
人物。
その人の名言が「やって見せて 言って聞かせて やらせて見て ほめてやらねば人は
動かず」との言葉だ。
前線基地からのゼロ戦かに乗って移動中に 敵に暗号を知られ 敵機に撃墜されたと言う。
この人は 当初からこの戦争に反対した人だったと聞く。だが暴発する軍部を止めきれず
仕方なく、「短期間なら持ちこたえられる自信がある。その間に上層部は戦争終結に向ける
力を注いでほしい」と言ったとか?
まぁ これは山本五十六大将の誤算で、超大国のアメリカに停戦を促しても聞き入れる耳は
持たなかったことだろう。 戦争を仕掛けてきたのは日本。これがチャンスと思い、徹底的に
潰すことにしたのだろう。罪もない一般人を巻き込んでの悲惨な戦争だった。


高学年による組体操の一部

 さて先生方の努力のお蔭で 無事演技が終わり、後片付けも 先生方や子供たち また父兄の
一部の方が手伝ってくださったお蔭で早く済みました。

 

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