喜寿をむかえた男の遊々生活!

喜寿を迎えた老人の日々を日記に・・・

小学校当時の古い写真。

2018-09-09 11:34:25 | 日記
 さて先週金曜日、播磨町本庄の草部渡船に予約を入れていたので 4時に起床
早めの朝食を摂り、5時に家を出て一路 草部渡船へと、家を出る時から雨は
降っていましたが 小野を過ぎ三木市に入るころには雨は土砂降り、”あぁこんな日
沖へ出られるかなぁ~”と思いながら向かっていくと、宗佐の厄神あたりから雨が
小降りになり、魚住まで着いた頃には雨が上がりました。
6時に受付小屋で受付を済ませ、乗船。 奥さんが「増田さん、まだ人が揃っていない
ので艫の良い場所に場所取りして」と言われ 早速クーラーと竿を船の左舷の艫に置き
車に戻り 雨に降られても良いようにカッパに着替えて乗船。

 しばらくすると右舷の艫に 私より若い男性が、挨拶をして”何処から”と聞くと
”姫路から来ました。今日ここへ来るのは初めて よろしくお願いします”と言われ
”こちらこそよろしく”と挨拶、 7時前に出船。沖合に船を20分ほど走らせた所で
船長が「やってよ」と言う。 仕掛けを投入。 水深は10m程度、しかし海底に
石か何か障害物が有って やたら引っかかる。 もたもたしていると 隣の姫路の客に
1匹釣れました。
しかし それきりタコの気配は有りません。 先日から降っている雨水のせいか潮は
濁っていて、波も荒い。
 30分も経たないうちに 船長が「あげよか」と言い、今度は港へ引返すように
船を走らせます。 赤灯台、白灯台が近くに見えるところまで引き返し、そこで
「やろか」との指示。 何投目か仕掛けを投入しているうちに やっと1匹ゲット。
しかし続かないので 餌木を変えて 仕掛けを投入すると 直ぐに もう1匹。
姫路の男性は 3匹釣り上げたようでした。
 波は 益々 荒くなり、前に乗っていた若い男性が一人二人と船酔いをし始めた。
9時半と時間が早かったが 船長が「少し早いが帰ろか」と言い、帰港。
先月末25日の釣りと言い、この日の釣りと言い、今年は 数が釣れずさっぱり。
 おそらく今日 乗船している殆どが坊主だったでしょう。

 帰港したのは10時半と早く、家へ帰れたのは11時半。昼食を摂り ゆっくり
して学校へ入れました。 学校の運動場の草刈りと思いましたが 下が雨でぬかるんで
いるし、刈り難い。 仕方ないので草引きをするが 草は引き易いが大きな根の張った
草は抜いた後 地面に大きな穴を空けて土を払うが落ちない。
根気よく 屈んだ同じ姿勢で2時間ほど ぶっ続けで作業していると 今度立ち上がろう
とすると 腹の筋肉が引きつるようになるし、足のふくらはぎは こむら返りを起こし
そうになり、慌てて 元の体制にして ゆっくりと回復を待つことに、
 若い頃なら こんなアホらしい仕事 やる気も起きなかったが、妙な事に 歳が
行くと 辛抱ができるようになりました。
魚釣りもそうです。 昔は磯へ行っても 1時間ほどして釣れないと 諦めてポケット
ウィスキーなど飲んで、磯の上で寝ていたものでした。
 それがいつの頃からか? ”何時かは釣れる”と信じて 撒きえ籠に沖アミを詰め
そして仕掛けの遠投を 飽きもせずに投げ続けたものです。
ヤマメ釣りもそう、 堰堤の滝の下で釣っているとき、自然に溶け込むように釣りに
没頭していると 用心深いヤマメも同じところで数匹釣れたものでした。
きっと 自然に溶け込んでいると殺気が感じられないのでしょう。


 さて 金曜日から土日にかけて天気は悪く雨、古い写真を整理していると 小学生
時代の写真が、 校舎は当時 木造でした。
1年生2年生と、担任の先生は市原長の松原先生 優しい先生でした。 この頃、生徒の
服装はまちまち。

小学校2年生の頃 担任は松原先生。


 4年生の担任は 住吉町から来られていた 宮下先生。剣道の有段者で 厳しいところも
有りましたが 優しい先生でした。 休みがちの私の勉強の遅れを放課後教えてもらいました。

小学校4年生の頃、担任は宮下先生。



 

小学校6年生の頃、前列中央 左は宮田校長、右は担任 森田先生。


 小学校の修学旅行は当時定番の京都・奈良、 病弱な私を 無理を言って頼んで
連れて行ってもらいましたが、 校医の吉田先生と 代わる代わる背負ってもらい
迷惑を掛けました。 

修学旅行の時の写真、旗を持っているのが私。


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