今から50年ほど前の話だが、
福岡の農家の家にひとりの女の子が生まれた。
跡取りがほしかったため、曾祖母以外誰も喜ばなかった。
そのため女の子は男だったらいいのにといわれて育った。
父は躁鬱で、毎晩言葉、身体的暴力を繰り返し、
母はそんな父を馬鹿にしていた。
わずか8歳で自分の生きている意味がわからなくなった。
成長して教会に行ったが、教会もまた同じようなところだった。
今は結婚して幸せになっている。
あの日々が噓のように思い出される。
教会や苦しんでいるひとたちのために働けるのはありがたい。
今までも、これからも、無条件の救いを伝えたい。
それが女の子の生きるということなのではないだろうか。