十勝みのる教会

教会堂、献金、奉仕、集会がない教会。しかし、神様があなたを愛してくれていることだけを伝える教会。

神様の愛に

2024-09-19 17:52:04 | 日記

神様の愛に感動し、涙する。

あとからあとから流れてくる涙を拭きながら、

やさしい神様と話をする。

神様は既にご存知なので、とても安心していられる。

教会で受けた傷も癒してくださる。

神様がいてくださる限り、

過去の記憶も怖くない。

 


神様のやさしい愛が

2024-09-17 17:27:27 | 日記

神様のやさしい愛がいつものように降りそそぐ。

神様は愛してくださるお方である。

そばにいてくださり、誰よりも理解してくださる。

怖い神様ではない。

こうしなさいといわれることもない。

教会や他の人がなんといっても、

神様はとてもやさしいお方である。


神様の愛に埋もれて

2024-09-03 19:13:41 | 日記

神様の愛に埋もれて生活をしていると、

とてもとてもありがたい気持ちになる。

いままで気がつかなかったことや、

わからなかったことも多くあるのがわかったりする。

教会では教えてもらえない神様の愛。

この状態こそが救いなのかもしれない。

特別なことをしなくても、

神様は愛してくださるのである。


神様の愛が雪崩のように

2024-08-17 18:52:59 | 日記

神様の愛が雪崩のように流れ込むことがないだろうか。

それは一瞬にして心をうめてしまう。

悲しかったり、寂しかったり、疲れているのも忘れるくらい

神様の愛はあたたかい。

教会のメッセージや聖書からではなく、

やさしい、やさしい神様がいらしてくださり、

あなたの心を満たしてくださる。

救われる条件は何もない。

無条件の救いをあなたに・・・。


繰り返される戦争

2024-08-15 19:07:25 | 日記

今日は終戦記念日、79年前に戦争は終わったはずなのに、

なぜか教会では戦争が繰り返されている。

というのは、戦時中に正しいこととされていたことが

教会のなかで相変わらず行われているということだ。

もちろん一部の教会だけだと信じたい。

お国のため、つまり神様のために命を捨てるのは美徳である。

お国の制度、つまり牧師に従わないものは非国民、罪と定められる。

お国のために供出、つまり生活費をすべて献金すること。

一億一千火の玉、つまりみんな同じ方向を向いて自由に考えることも、

個性も許されない。ただただ神様のため。

このようなことが行われているため、どうしても戦争が終わった気がしない。

牧師に問いただすと、そんなことは言ってないの一点張りだ。

戦争の責任を取りたくないので、あることないことを言って逃れようとする。

当時だったら間違いなく逮捕されるところだが、現在は平和になっているため

そんなこともない。

問題はそこにいた信徒の人生の犠牲である。

自殺したり、精神病になったり、生活できなくなってしまう。

一体この戦争はいつまで続くのだろうか。

本当に終戦を迎えたければ教会に行かない選択がある。

そんなことを考えていた。