教会に行くわけでもなく、祈るわけでもなく、
只々神様とここちよい時間を過ごしている。
余計なことは考えない、やすらぎの時間。
誰にも邪魔されることがない。そんな時間を・・・。
それが安息日、安息時間だったりするのかもしれない。
ゆっくりした時のなかで、深呼吸をし、
雄大な自然の景色を眺めながら過ごしていた。
教会に行くわけでもなく、祈るわけでもなく、
只々神様とここちよい時間を過ごしている。
余計なことは考えない、やすらぎの時間。
誰にも邪魔されることがない。そんな時間を・・・。
それが安息日、安息時間だったりするのかもしれない。
ゆっくりした時のなかで、深呼吸をし、
雄大な自然の景色を眺めながら過ごしていた。
いつもは気付かないかもしれないが、
イエスの愛や恵が降りそそぐことがある。
それは一時期ではなく、頻繫に、
またはそれがわかるまでの間なのかもしれない。
それによって癒され、休むことによって、
解放されることもある。
そのことを、神様に感謝しながら生きている。
神様を必要としているひとが、
神様のところに行くのは難しい。
ひとによっては自分が神様を必要としているかどうか
わからないことが多いからだ。
聖書のなかではわたしのところに来なさいとあるのだけれど、
現実的には大変である。
神様が導いているならば、イエスとともに行きたい。
イエスがそうされたように、何処までも・・・。
自分の思ってもいなかったことをやったことはないだろうか。
まるでイエスに導かれるようにことを成したり、
ふと、あるひとのことが浮かび、祈ったり、
そんなことがあったりする。
神様のみこころと言ってしまえばそうかもしれないが、
それ以外にも何かあるような気がする。
イエスが愛しておられるひとたちに、
今日もイエスの愛が、力が届くように祈っていた。
今年は全道的に雪が早いといわれているが、
今日ついに十勝に初雪が降った。
うっすらと霜のように積もっていた。
ついに冬が来る。
これから冬にかけて起こる事故や冷害などから
守られるように神様にお願いした。