神様とともに歩んで行きましょうとよく言われることですが,
神様と歩むとはどういうことでしょうか?
神様は私達のはるか前から「こちらの道が正しいから早く来なさい」
というお方ではありません。
親しい友人のように「あなたはどうしたい?」と聞きながら
一緒になって悩みながら歩んでくださるお方です。
友人なので相談も出来ます。
決して上から抑えつけたりはされません。
神様と歩んでみませんか?
神様とともに歩んで行きましょうとよく言われることですが,
神様と歩むとはどういうことでしょうか?
神様は私達のはるか前から「こちらの道が正しいから早く来なさい」
というお方ではありません。
親しい友人のように「あなたはどうしたい?」と聞きながら
一緒になって悩みながら歩んでくださるお方です。
友人なので相談も出来ます。
決して上から抑えつけたりはされません。
神様と歩んでみませんか?
生まれる前から神様はわたしたちを知っていてくださるという話を
聞いたことがあります。
わたしは母の胎に宿ったときに病院の先生がこんな診断をされました。
「子宮外妊娠です。いますぐ手術を受けてください。」
両親は驚いて大きな病院でもう一度診てもらいました。
「おめでとうございます。二か月ですよ。」
前回はとんでもない誤診でした。
両親はいまでも「あのとき手術をしなくて良かった。」と言います。
わたしも第3子を妊娠したときに病気ということもあり、
病院の先生が大変心配されて、
「三か月と持たないでしょう。生まれても障害児です。」
との診断でした。
ところが三か月を過ぎてもすくすくと育っていき、無事元気に生まれました。
神様が生まれる前から知っていてくださることを感謝しています。
「神様に献金をしなさい。そうすればあなたの生活も祝福されます。」
こう言われて苦しんでこられた方は多いのではないでしょうか?
生活費をほとんど献金し、生活出来なくなった方に対して
組織はこういいます。
「見返りを期待して捧げるのではなく、神様のために捧げなさい」と・・・
神様のためにだったら神様はこうおっしゃるのでは?
「わたしはあなたを愛している。自分をたいせつにして幸せになりなさい」と・・・
神様は誰よりもあなたのことをご存知です。
献金をされるときは決して無理をされないように。
たとえ十一献金でも・・・
捧げるときは不安のなかでではなく、安心の範囲で・・・
少額でも神様は喜ばれるし、もちろんされなくても喜ばれます。
十勝みのる教会には献金がありません。
教会堂も礼拝も奉仕もありません。
あるのは神様の愛だけです。
最近の旦那ですが、神様に怒られているばかりだそうです。
旦那のなかの神様はみことばを通して責める神様なので
決して救いはありません。
いくら上書きしてもなにかのときにこの神様が出てきます。
本当に恐ろしいことに・・・
いつからかその神様は「わたしの栄光を表せないなら死ね」
と言ってくるようになったそうです。
そんなの神様じゃないと言うのは簡単ですが・・・
いまは旦那の気持ちを考えながら寄り添うことが大切だと思います。
組織の怖さを思い知らされます。
少しでも早く優しい神様に出会うことが出来ますように。
旦那のことを見ていると思うことがあるのです。
救いとは何なのだろうと・・・
宗教的に救われたとしても救いとはほど遠いものがあります。
教会に行くのをやめてから旦那には信仰と関係のない生活をしてもらいました。
何度も死にたいと言いまして、本当にどうすることも出来ませんでした。
自分の力ではなく神様が救ってくださいと願いました。
もちろん無条件で・・・